素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№456 幻の広電「阿品」駅

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 大正15年7月に広電宮島線が鰆浜まで延長され、「新宮島駅」が火立岩付近に開業した。①の位置である。

 その後広電宮島線は昭和6年2月に宮島口まで延長された。宮島口までの延長に伴い「新宮島駅」は廃止され、新しく阿品に駅が新設されることとなったが、新駅は「お上がり場」の宮島口寄り阿品部落の入口付近に決定された。

 当時は阿品地域全体でも世帯数は少なかったが、鰆浜部落の世帯は僅かで圧倒的に阿品部落の方が多かったので、新駅が阿品部落の入口に新駅が計画されたのは当然であろう。新駅設置は②の場所であった。

 しかし線路延長の工事が始まった後に、鰆浜部落に「吉田病院」が新設されることが決定し、阿品部落入口付近に新設予定の駅が鰆浜部落へ新設されることとなった。③の場所で現在の「阿品東駅」である。

 一旦新駅の設置が決定し設計図まで出来ていたものが変更となると、今の時代であれば阿品部落から反対運動が起きそうなものであるが、当時の人たちは今のJR宮島口駅・廿日市駅を初め少々の場所には歩いて行くのは当たり前で、新駅が200m足らずの位置に変更になったくらいは気にも留めなかったようである。

 昭和53年8月には広電「田尻駅(現在の広電阿品)」が新設された。④の場所。仮に当初の計画通り阿品の入口に新駅が開業していれば、田尻駅までの距離は僅かであり田尻駅の新設は無かったであろう。また、JR阿品駅付近の様子も現在と全く違った方向で整備されていたかも分からない。

 昭和49年4月に遊園地「広島ナタリー」が開園したが、当時は「田尻」駅は無くナタリーに行く人たちは「広電阿品(現在の阿品駅)」を利用し、歩いて列をなして遊園地に向かっていた。当初計画の阿品駅は、ナタリーの東端のまん前に当たりナタリーに行く人たちは随分と楽であっただろう。
by hirosan_kimura | 2012-05-23 16:34 | 広電 | Comments(0)