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by hirosan_kimura

№421 先生の激怒

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 小学校の5年生くらいのことである。

 現在阿品台一丁目にある「光の園」が広島市より移転してくることとなり、山を削って敷地を造成するため岩国基地の兵士がたくさん来ていた。

 昼休みになるとこの兵士たちが、小学校の近くにある地御前神社付近によくやって来た。学校が昼休み時間になると、子どもたちは兵士が珍しいので学校を抜け出して遠巻きに見に行っていた。

 最初のうちは恐ろしさもあり近づくこともなかったが、その内兵士の方から子どもたちに笑いかけたり、手招きしたりする内にだんだん慣れてくると、言葉は通じないながらも兵士と子どもたちの間で交流とまでも行かないまでも打ち解けるようになった。

 大人からは、兵士は恐ろしいので近づいてはならないと言われていたが、みんなやさしい人ばかりと思えるようになった。

 しばらくすると兵士がチューイングガムやチョコレートなどを呉れたりするようになると、子どもたちはそれを目当てに兵士に付きまとうようになった。

 そのうち子どもの方から催促するようになり、兵士は面白がって走るジープの上からガムや10円玉を投げるのを、子どもが追いかけまわすようになった。

 これを知った先生が「日本は戦争に負けたが、乞食のようにお菓子やお金をねだったりするようなことをしてはならない。涙が出るほど情けないことだ」と、男の先生であったが本当に涙を出しながら、子どもたちに諭された。

 時には怒られることもあったが、この時ほど先生が嘆かれ涙を流されるようなことは初めてであったので、子どもたちも先生の心情を肝に銘じたものである。

 これ以降、子どもたちが菓子やお金をねだって兵士たちを追い回すこともなくなった。

 きびしい先生であったが、子どもたちに慕われたこの先生も亡くなられて十数年が過ぎた。
Commented at 2012-10-05 14:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hirosan_kimura at 2012-11-17 08:42
菱田先生です。
by hirosan_kimura | 2012-01-13 15:08 | 子どもの生活 | Comments(2)