素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№415 藤川商店

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 阿品地区は、現在の団地が開発されるまでの昭和40年代頃までは、世帯数は100余り、人口も500人少しの地区であった。

 それでも個人経営の商店が僅かにあった。鰆浜では、藤川商店・浜田商店・沖野商店。阿品では瀬土商店・阿品屋などの記憶がある。いずれも駄菓子・食料品・日用品などを売る家族経営の小さな店であった。

 浜田商店は駄菓子やお好み焼きなどを売っていたが、経営者が変わり後に今崎商店となっていた。

 沖野商店は駄菓子・文具・僅かの化粧品や履物などがあった。

 瀬土商店は食料品などを売っていたが、阿品で最後まで残っていた商店の記憶がある。阿品屋は昭和38年に阿品で始めて出来た小さな団地が完成した頃開店したが、いつの間にか閉店されている。

 いずれにしても、今ではこれらの商店はひとつも残されていない。

 子どもの頃の印象として残っているのは何と言っても藤川商店で、阿品で一番早く出来た店で長い間阿品で唯一の商店であった。

 売っていたのは食料品が中心で、簡単な日用雑貨や薪炭などが売られていた。場所は現在の「阿品東駅」のまん前で国道沿いにあった。

 現在ではなにもかも袋詰めやパックで販売されているが、当事はこのようなものは殆どなかった。味噌や醤油なども量り売りで、これらの物を買う時は容器や壜を持って行きこの中に入れてもらっていた。豆腐は水を入れた一斗缶に入れてあり、持参した皿やボールに入れてもらい持ち帰っていた。

 経営者の人はとても優しい人で、子どもたちは「藤川のおじさん」と呼んで親しんでいたが、部落内のお世話を何かとされ、子どもの頃には認識していなかったが民生委員もしておられた。

 この家の息子さんは岩国基地に勤めておられたが。めったに無いことであるがおじさんに代わり、休暇の日に店番をされることがたまにあった。

 とてもひょうきんな人で、この人が店番をするときは子どもたちが良く駄菓子などを買いに行っていた。商品に値段が書いてあるものは別として、値段が分からない時は反対に「これは幾らか」と子どもたちに値段を聞くのである。子どもたちはふざけて20円の物でも10円ですと言って売って貰っていた。

 ほかの子どもたちもこれを聞きつけて、「今日は息子さんが店番しておられる」と、わざわざ駄菓子を買いに行くことも良くあった。

 今思い出すと、本当の値段を知っておられたのに、子どもを喜ばそうとわざっと売っておられたのかも分からない。あとでこのことがおじさんに分かり、怒られたことがあったかも知れない。

 この店もおじさんが亡くなられて、しばらくは親戚の人が店を開いておられたがいつの間にか閉店され、子どもさんはハワイに住んで居られるらしい。

 閉店後しばらくして跡地に鶏肉を加工する工場が出来たが、それも無くなり今では建売住宅地となってしまった。

 余談であるがこの家に「タビ」と言う名の犬がいた。名前の由来は分からないが足に履く「足袋」だろうと勝手に解釈していた。

 ある時我家で子犬を飼うことになり、藤川の犬が足袋(タビ)ならうちは下駄(げた)にしょうとすると、母親が「どんな名前でも良いが、(げた)だけは頼むから止めて欲しい」と言うので別の名前にしたことを思い出す。

 上の写真は藤川商店であるが、真正面から撮った写真でないので店の様子は良く分からない。
Commented by hitoshi at 2012-01-07 15:39 x
子供の頃の近所の愛犬の名前を今でも覚えておりますが、ドリ、エル、マル、ジョン、シロ、チビ、トラマル(飼い主が熱烈なタイガースファンだったそうです)、ハッコウ(会社の名前でしょうね)意味とかそれぞれあるんでしょうが今とはセンスが違いますね。タビは足がしろかったとかそんなことのような。
Commented by hirosan/kimura at 2012-01-08 09:58 x
 久しぶりのコメントありがとうございます。本年も何か面白い話があったら教えてください。ちなみにその時付けた名前が「ドガ」です。有名な画の踊り子のことと思って付けた名前ですが、実は画家の名前と後で分かりました。代々この名前は我家で引き継がれ、兄の家の犬の名前は「ドガ」です。初めてこの名前を聞いた人はビックリしますが、何十年も引き継がれた名前なので今では驚く人もありません。「タビ」は多分足に足袋を履いた模様から付けられたのでしょうね。
by hirosan_kimura | 2011-12-13 13:26 | 商業 | Comments(2)