№411 家中煙が充満
2011年 11月 11日
衛生状態の悪かった昔の家では、家の中にゴキブリがたくさん走り回ったり蚤に噛まれて夜もろくに眠れないのは当たり前であった。今ではダニはどこの家でもたくさん生息しているらしいが、それ以外の不快害虫は夏に戸を開け放しておくと蚊が入って来るくらいである。
そこで昭和30年代くらいまでは年に一回くらい、村が全世帯の家を消毒していた。消毒の方法が今では考えられないが、家中に消毒薬を噴霧していた。
まず各家庭では外面に面した窓や戸をすべて締め切り、室内のふすまや障子を開放し押入れなども開け放す。そこで玄関など一部開いた所からリヤーカーなどの乗せた動力の噴霧器で家の中に煙状になった消毒薬を吹き込んでいた。
外に面した窓などはすべて締め切っているとはいえ、小さな隙間から煙が噴出すこともあった。消毒中は勿論、消毒が済んで2~3時間くらいは家の中に入ることは出来ない。その間は大人は外で仕事をしたり、近所の人と世間話などで時間をつぶし、子どもたちも近所の子どもたちと遊んだりしていた。
家中の消毒薬の煙が収まった頃中に入れるが、それからが大変で畳や床などについた消毒薬をふき取らなければならなかった。
どんな消毒薬が使われていたのかは分からないが、今このような方法を行うと健康被害などクレームが出るのではなかろうか。
昭和32年9月に鰆浜・阿品地区で害虫駆除の室内噴霧が行われている。鰆浜では25日の午後35世帯。阿品では26日に一日かけて87世帯に消毒が行われた。消毒は役所の職員が一軒づつ廻って行い、鰆浜は藤川さん、阿品では本田さんが立会人となり、一軒も漏れなく消毒が行われたか確認のため同行された。
いつの時代にこの消毒がなくなったのかは分からないが、この時期が最後くらいだったのだろう。。
昆虫駆除室内噴霧の実施について 各位
今年は町内の赤痢・疫痢の患者数は昨年の三倍の発生を見て居ます。初秋から初冬にかけて赤痢・疫痢・伝染病の流行期でありますから各位におかれましては、手洗いの励行、早期診断、昆虫の駆除等を周知徹底の上伝染病発生防止にご協力をせつにお願い申し上げます。
尚標記昆虫駆除室内噴霧については伝染病発生防止の一環として、全世帯一斉に実施の計画でありますが、これが施行に当たっては費用の内薬品代の半額を貴殿の部落の負担に御願いしますからその点ご了承宜敷くご協力御願い致します。 昭和32年9月5日
by hirosan_kimura | 2011-11-11 14:21 | 衣食住 | Comments(12)
私は昭和41年生まれです。私が住んでいた群馬県の田舎では昭和50年を過ぎても噴霧による消毒が行われていました。ただ、白煙が消えて家に入った際に拭き取るという作業はしたことがありません。違う種類の消毒だったのでしょうか。当時はハエの消毒と言っていました。ものすごいエンジン音(モーター音)が聞こえてくると、そろそろ順番が来たことが分かり、家から出たものです。
思わぬ方からコメントが入り驚いています。消毒終了後に粉状の物を拭き取った経験が無いそうですが、恐らく液状の消毒剤を噴霧していたためでしょう。昭和41年生まれの方ならご存じないかと思いますが、以前は粉状の消毒剤を使用していました。恐らくDDTと言われるものでとても強い殺虫剤で、毒性が強いため今では使用禁止になっています。当時は外地から帰還した兵士に噴霧したり、衛生状態が悪く頭に虱の湧いた子どもに振りかけたりしていました。ハエやゴキブリのの駆除に日常的に使っていました。今考えるととんでもない使い方をしていたものと思います。衛生状態の良い今では想像もできませんが、今の子どもたちに話しても信じてもらえません。このブログが縁もゆかりも無い方の目に止まり嬉しく思います。
奇遇ですね。
私は鹿児島の田舎で生まれ幼少期を過ごしました。
幼かったのであまり意味もわからず、でも家の中に煙が充満するという非日常にワクワクしたものです。
DDTについては親から話を聞いたりテレビでしか見たことがありません。
昭和40年代後半鹿児島市内に引っ越してからは消毒はありませんでしたね。
このブログを書いて懐かしいものを思い出させて下さり大変ありがとうございます。
また、同い年生まれの不思議なご縁を感じ朝から少々嬉しくなりました。
お二方ともお元気でお過ごしください。
群馬生まれの昭和41年さんから、鹿児島生まれの41年さんにつながり不思議な縁を感じます。ちなみに私は喜寿を越した昭和19年生まれで、安芸の宮島の対岸で生まれ育ち現在も暮らしている者です。面白くもおかしくもないブログを覗いていただき有難うございます。
グーグルアースででも「広島県廿日市市阿品三丁目6-○○」覗いてみてください。宮島の向かい側と分かると思います。子どもの頃、阿品の海岸から宮島まで泳いで行ったことが親にばれてこっぴどく怒られたことを思い出します。
19年のお生まれですか。ブログを書かれていて尊敬します。
広島県廿日市にお住まいなのですね。マップで見てみましたがステキなところですね。本当に海のすぐそばで宮島の対岸ですね。毎日海辺を散歩出来そう。宮島へ泳いで渡ったなんて!日に焼けた坊主頭の逞しい少年を想像しました。昭和は遠くなりましたね。
楽しいお話しを聞かせて下さりありがとうございました。不思議なご縁に感謝します。
返信ありがとうございます。宮島が目の前なので宮島とは縁が切れません。小学生の時の遠足と言えば宮島。遠来の客が有れば宮島を案内。数年前までは高校の友達四人と毎月宮島への山登り。山登りと言えば聞こえが良いですが、それぞれが好きな飲み物を持ち込んで飲酒。登山が目的かお酒を飲むのが目的か分かりませんが、とても楽しかったです。それも年を取ってみんな息切れで山登りどころではありません。つまらないことを記しましたが、どうかお体には気を付けて下さい。今宮島のシンボル大鳥居は修復のため覆いがしてあります。間もなく修繕も終わり美しい姿を現わします。機会があれば宮島へ遊びに来てください。
私は埼玉県東部の住人なのですが、こちらの記事を読んだ後、改めて高齢者に聴いてみたところ、昭和50年頃でも行政区の役員が地域をまわって各家の中を消毒してまわっていたそうです。家を締め切って2~3時間は家に入れなかったという記述で、色々とかすんでいた部分が思い出せました。有難うございました。
コメント有難うございます。10年以上前に投稿した記事が、遠く埼玉県の方の目に止まり驚いています。昭和は遠くになりにけりではありませんが、何もかも遠い昔の話になり時代の波についていけません。家の消毒の話などすると笑われてしまいます、
夏休みの 巡回防虫液散布のことを思い出し、
日本脳炎との関係を確認したくて、検索して、
貴兄のブログに 舞い込みました。
読ませていただきました。
ありがとうございます。 1950年代生まれです。
どちらにお住まいの方か分かりませんがコメント有難うございます。このブログは長年続けてきましたが、地域特定の為ネタもなくなり半年くらい前より新規投稿はしていません。ブログそのものを閉鎖しようと思いましたが、残してほしいとの声がありそのままにしています。現在覗いている方はほんの僅かですが、久しぶりにコメントが入り驚いています。昔の記憶を元に書き留めたものですが、ほんのひと昔前のことを語る人も少なくなりました。偶然目にとめていただき、コメントしていただき有難うございました。
近隣ホテルの朝食会場がモクモクしてもお構いなしw
子供の頃に家に来たなぁと懐かしくて検索していたら、このページに辿り着きました。
私の地域では1970年の初頭まではきていたかな?
当時は低木や草むらに吹きかけていました。
親からは蚊の退治だと教えられました。
コメント有難うございます。このブログは長期間新規投稿せず閉鎖しようと思っていましたが、残して欲しいとの声がありそのままにしています。今考えると昔は随分危ないことをしていましたね。田舎では農薬散布は当たり前にしていましたし、今では禁止されているⅮⅮTを虱退治に頭からかけることもありました。インドネシアのバリ島からでしょうか。