素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№395 修学旅行

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 今回は直接「阿品」とは関係ないが、小学校の修学旅行のことを載せてみた。今から55年前の昭和31年のことである。

 当時は敗戦から10年経過したばかり、今と違って家族で泊りがけで旅行に行くことなどまず考えられず、隣部落の母の実家に泊まった記憶があるくらいである。

 今の子ども達も修学旅行を楽しみにしているが、当事は今の子が楽しみにしているのと違った意味での大イベントであった。

 二泊三日の別府・阿蘇・熊本巡りといっても、旅館に泊まったのは一泊のみ。帰りは夜行の車中泊。椅子も背中を直立にして座り通しであった。

 5月8日 7時30分に小学校に集合し、地御前駅から電車で宮島口駅に行き9時4分発。7時間36分汽車に乗り、4時40分に別府駅に到着し地獄巡り後、旅館に行き宿泊。

 翌日は別府を6時40分発車の汽車に乗り、4時間かかって阿蘇坊中駅着。阿蘇山登山後1時46分発車し、一時間半乗車し3時14分熊本着。

 熊本では熊本城・水前寺公園を見学し、夕方5時20分熊本駅発、11時間21分乗車し5月10日早朝4時41分に宮島口駅到着。

 締めて22時間25分汽車に乗ったことになるが、見学できた時間は僅かな時間であった。

 修学旅行のしおりを見ると今と随分異なっているように思う。

 修学旅行の目的は、「自然美に優れた自国に対する国民的誇りを高め、祖国愛・郷土愛の精神をたかめる」とある。

 行きの車内の弁当は、おむすびの主食と、いたみにくい副食とある。

 間食は、学校で配布するので家から持って行かない。

 米四回分6合持って行く。今時、旅行するとき米持参でないと食事が出来ないとは理解できないであろうが、当時はこれが普通であった。それにしても子どもが四回の食事で米6合必要とは多いような気もする。

 小遣いは300円まで。

 服装は、よく洗濯したほころびのないもの。特に下着は清潔なもの。

 ねま着・下着の着がえは不用。

 入浴の時、ぬいだものは風呂敷に包む。

 汽車の中で寝なさいと言われたら、目をつむりましょう。

 なにもかも恵まれた子ども達が当事の修学旅行の様子をしると、どんな思いがするのであろうか。

 修学旅行にいって半世紀以上経過したが、何もかも珍しく坊主地獄や血の池地獄にびっくりし、阿蘇の雄大さ、熊本城・水前寺公園の美しさ、夜旅館でさわいで先生に大目玉をもらったことなど、懐かしく思い出す今日この頃である。

 参加した児童は、男子44名 女子14名 計58名であった。

 引率は、阿部校長先生、阿品の開業医で校医の吉田繁満先生、担任の菱田・山崎先生、中・低学年で担当であった高橋・池田・津島先生の7名であった。

 泊まった旅館は別府市の「海楽荘」、木造二階建てであまり大きな旅館でなかったような記憶がある。今でも営業されているのであろうか。もし存続しているのなら、機会があれば一度泊まりに行ってみたいものである。 
by hirosan_kimura | 2011-07-07 12:08 | 幼小中 | Comments(0)