
久しぶりに歴史講座に参加した。退職して間もない頃に様々な機関が企画する講座に参加していたので、最近はこのような講座に参加することはほとんどない。
今回参加してみようと思いついたのは、厳島合戦の毛利軍の攻め込んだ跡を訊ねるもので、特に毛利軍出発の地「火立岩」跡より厳島に向かうものであり参加してみた。

火立岩跡と言っても面影を残すものは何もない。陸上からみれば「火立岩跡」という木柱がみることが出来るが、海から望んだのでは無粋な風景が臨まれるのみである。

厳島合戦は河越夜戦・桶狭間と並ぶ「日本三大奇襲戦」と呼ばれている。天文24年9月29日夕刻、暴風雨をついて火立岩の地より出陣している。毛利元就59歳。4,000名の兵を引き連れていた。

途中の景勝地 聖崎蓬莱岩

厳島包ヶ浦に上陸し背後の山を登り、翌早朝、敵本陣を奇襲、一方的な勝利となった。

浜辺には「毛利元就上陸之地」の石碑が建立されている。陶軍の戦死者8,000人。これに対して毛利軍の戦死者はわずか5人であったと伝えられている。