素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№364 阿品積石塚

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 県営住宅団地造成以前に、阿品の谷の奥に地元で「はみが頭」と呼ばれていた遺蹟があり、古くから清浄の地として畏敬されていた。

 場所は背後の山から流れ出る谷が二つあり、このうち西よりの谷川を遡って行くと、人家が切れるあたりから地形が狭まり、更に進むと大野に越す道の分かれ道あたりであった。

 団地の造成によりこの遺蹟が消滅するため、昭和49年(1974年)7月1日より発掘調査が行われた。午前10時より関係者出席のもとに慰霊祭が行われ、午後より草刈・テント設営・遠景近景の写真撮影を行い、7月13日に調査が終了している。

 調査の前には径約10㍍前後の円形の墳丘と想定されていたが、調査の結果は自然の地形に少し手を加え、少量の角礫(角ばった小石)を積んだだけの、小規模な積石塚と判明した。

 積石のすぐ下は花崗岩の地盤で、何らかの遺構は発見されず、積石の中に後世に混入したと思われる若干の土器・磁器・スラグ(金属を精錬する際、浮かび上がる滓)のみで、墳墓として断定できる決定的なものは検出できなかった。

 従って何時、何の目的で造られたものかは分からないが、形態的に明らかに積石塚であり、中世における厳島との関係、中世末期の厳島合戦の古戦場にも近く、中世を中心とした時期の墳墓であろうと想定される。

 発掘調査が行われるまでは、この塚は1200年前の遺蹟と言い伝えられてきたが、発掘調査の結果4百数十年前から、古くても6百数十年前に造られものと推測された。

 この積石塚のあった場所は団地造成のため谷が埋められ、今では面影も残っていない。
Commented by hitoshi at 2010-06-07 22:22 x
以前コメントしたかも知れませんが、私が小学生の頃、校舎の東階段の踊り場に、”阿品古墳出土の鉄剣”と表示された錆びた鉄器がガラスケースに展示してあったと記憶しています。今田先生が関係されていたような気がします。???
Commented by hirosan_kimura at 2010-06-14 11:16
 コメント有難うございます。古墳から発掘されたものはどうなっているのでしょうね。
by hirosan_kimura | 2010-06-06 12:26 | 遺跡 | Comments(2)