№238 公衆電話
2009年 10月 29日
平成12年まではこの公衆電話BOXの側が、広電宮島線「田尻駅」であったが、8月1日に駅が移設されたため旧ホームの一部が残されているのみである。
それまでは電車を利用する人達がこの電話BOXを利用していたが、駅が移設され携帯電話も普及し、この電話を利用する人は殆ど無い。
携帯電話の普及により公衆電話がどんどん撤去されている。市民が利用する公民館の電話も撤去されてしまった。
以前には公衆電話は店先や、道路脇の電話BOX等到る所で見かけることが出来た。今では町中でも公衆電話を探すのは容易ではない。
携帯電話を持っている人には不便ではなかろうが、お年寄り達には不便になってしまった。
利用する人の殆どいない三丁目の電話が撤去されないのは不思議である。撤去費用より維持費の方が安くつくのであろうか。
阿品で電話が開通したのはいつのことか不明であるが、明治44年9月に廿日市~大野間に開通しているのでこの頃ではないかと思われる。今から約98年前のことである。
この当時に電話を引いた家は極僅かで、役所関係か特別の家のみで限られた所のみであったろう。
子どもの頃の昭和20年代30年代になっても一般家庭には電話は無く、鰆浜でも吉田病院・藤川商店など極限られた家にしか電話は見られなかった。
当時兄は名古屋に住んでいたが、子どもが生まれたときにはすぐ隣の吉田病院へ電話が掛かっていた。看護婦さんたちが電話が掛かるとわざわざ我家まで呼び出しに来ていた。
父が病院に駆けつけ「男の子が産まれた」と聞いてきた。しばらくすると又呼び出しがあり「男の子でなく女の子であった」と聞いてくる。しばらくすると又呼び出しがあり「やっぱり男の子が正解であった」と電話がはいったこともあった。
なぜこのようなことになったのか分からないが、名古屋では会社から病院とのやりとりで混乱があったのかも分からない。
我家に電話が入ったのは随分後であったが、自宅で電話を受けたり掛けたりするのがこんなに便利なものかと思ったものである。
今では一家に一台どころか一人一台の時代となった。一昔前のことを思うと自宅のすぐ近くの人にさえ、電話でやりとりするのを見かけると、勿体ないことだと思う方が間違いであろうか。(№86電話参照)
by hirosan_kimura | 2009-10-29 11:04 | 通信 | Comments(0)