№132 田畑の減った「阿品部落」
2009年 04月 25日
当時の民家は殆どが山裾に建てられていた。左側中央あたりに写っている二階建民家は、当時としてはまだ新しい建物である。
この家が建てられるまでは、阿品の家屋はすべて山裾沿いに建てられ、田畑の真中に建てられた家は、1,2軒のみであった。
右端中央あたりに藁屋根の民家が一軒残っている。右側上方の山肌の土が見える場所は、造成中の武田団地であろう。
今は山肌がむき出しになっているニュータウウンは、緑に覆われた山ばかりである。
このように阿品部落は、中央に広い田畑が広がっていた。その真中を国道から部落の奥に通じる一本の道路が付いていた。
この写真からは窺えないが、中央山の上には人口一万人規模の大型団地があるのである。(№76参照)
田畑が埋立てられ宅地に造成され、今では鉄道線路脇近くまで新しい家が建てられている。
阿品は海岸線も大きく変わったが、古い部落の中も大きく変わっているのである。
「昔、地御前で名字がある家は三軒だけで、父親は他の家の名字をつける手伝いをした。田の中にあるから、中田。田の端(はな)にあるから、花田。そんな風に付けていってとても楽しかったと話していた。」
そんな時代の阿品の古い写真ですね。