長年役所に奉職し、たくさんの上司・同僚・後輩に巡り合うことが出来た。中でも最初にお世話になった年金係の増井さん、次の職場の橋本所長は生涯忘れえぬほど懇意にしていただき、一方ならぬお世話になったお二人である。
年金係の増井さんは初めて社会に出て西も東も分からない状態の中で、手取り足取り教えていただき多くのことを学ばせてもらった。
この方はとても几帳面な性格で、何をするにもきちんと完璧にしないと気が済まない人であった。なれない最初の頃は何をしても注意され、手直しばかりで戸惑うばかりであった。
仕事をする前に段取りを考え、必要な文具・書類のみを用意し机の上があまり乱雑すぎると注意された。不要になった書類等は直ぐ片付け、次に必要なものだけを取り出すようくどい程指導された。
一つの仕事も完璧に処理し、次の仕事に取り掛かる。紙を半分に折るときも角と角をピタッと合わせ奇麗に折ること。身の回りも机の引き出しの中も乱雑にしないこと。
集合時間等も遅れていくなどもっての外、ピタッとかけり込んでやっと間に合ったもだめ、早く行って無駄話で時間を費やすのもダメ。
定刻の五分前に集合し余裕をもって会議等に臨むこと。なんでこんなに、厳しいのだろうとも思ったが、時間厳守の習慣は身についてその後も、何かにつけて定刻の五分前集合の癖が身に着いた。
大変厳しい方であったが、社会のことが何も分からない自分に随分たくさんことを教えてもらった。増井さんとは年金係の二年のみの付き合いかと思ったが、水道事務所に配置換えになった暫くして水道事務所で一緒に仕事をさせてもらった。その後数年して福祉担当になった際、上司として一緒になり保育所の新設や児童担当として長く指導してもらい、不思議な縁を感じたものである。この方は病気で奥さんんを亡くされ気落ちされたのか早くに亡くなられ残念である。
水道事務所に代わってからの上司は橋本所長であった。この方は性格の穏やかな方であったが、芯が通リ人のお世話もよくされる方であった。このような方なので誰にでも好かれる方であった。
この方の自宅は水道事務所の近くであった。当直などの際 機械の操作で困り一人でどうしてよいか分からないとき、電話でお願いするとすぐ駆け付けて来られ、何回助けてもらった分らない位である。
橋本さんは水道事務所では二年くらいしか一緒でなかったが、その後、様々な役職に就かれ商工会の会長や心配事相談員等に従事された。
後に福祉担当に従事した際、民生委員を受けてもらい長く助けてもらったことも忘れられない。また、たまたま総務部に移動した際 選挙管理委員長の職についておられたが、選挙のことなど素人で途方に暮れていた際、懇切丁寧に教えてもらったこともあった。
このお二人への感謝の気持ちを文章で表現するのは難しいが、長いお役所勤めの中で、このような素晴らしい方に懇意にしてもらい感謝しきれないくらいである。
余談であるが、人から呼ばれる時「ひろさん」と呼称されていた。親兄弟・親戚・近隣のひと・友人・職場の人等からもこの呼称で呼ばれていた。しかし上司からは「木村さん」「課長」などの職名で呼ばれていたが、何故かこの二人は「ひろさん」と呼んで懇意にしてもらっていたのが懐かしい。