№1034 水道指定工事店   

 各家庭や施設への上水道の接続工事は、指定工事店以外は行えないこととされている。当時の廿日市町の指定工事店は10事業所程度であったが、大半は零細事業者であった。家族経営や従業員を雇用していても一・二名程度であった。中には一人のみで営業している事業所も複数あった。

 

 こうした中、中国電気工事㈱廿日市営業所のみは複数の従業員を抱える企業であった。電気工事事業所がなぜ水道事業に参画しておられたのかは分からないが、住宅や建物等が建築されると電気工事に加え給水設備の施工は不可欠であったためであろうか。

 給水工事等に必要な作業車も軽トラックが一台のみが殆どであっでた。驚いたことには自動車が一台もなく自転車のみで営業する事業所もあった。工事を行う現場への資材等は業者に注文して届けてもらうにしても、さぢょうするにはスコップや工具など必要であるが、自転車の荷台にたくさんの用具をくくりつけていた。それでも間に合わないので、片方の手でハンドルを握りもう片方の手に抱えて運転していた。時には長い給水パイプを片手に抱えて離れ業のような運搬をしていた。交通量が今と比べて少なかった時代と言え、よくも事故など起きなかったものと驚くばかりである。

 

 たった一人で自転車での資材運搬も大変であっただろうが、忘れ物でもあれば現場をそのままにして取りに帰ったり、道路を掘り返して給水管を埋設したり今では考えられないことばかりである。当時は道路もほとんど舗装してなく掘削作業も容易にできたのだろう。そうは言え何もかも一人で行うのは困難で、時には同業者同士で人や機材などの貸し借りを行い助け合っていたのだろう。

 

 当時は指定業者との接点は給水工事の申請書等の受付、部品が不足すると購入に来られたりしていたが、従業員も少なく対応する従業員も少なく家族ぐるみで懇意にしてもらうこともあった。通勤は広電であったが水道事務所の最寄り駅は「宮内」で、停留所のすぐ近くある業者とは特に懇意にしてもらった。時には帰宅の途中に寄ってほしいと誘われることが良くあった。そこの奥さんはとても気さくな人であった。行ってみると他の業者も来ておられ水道関係の話題で話が盛り上がっていた。

 

 お酒を飲みながらの談笑で初めのうちは話を聞くのみでお酒は断っていた。しかしそれで済むはずもなく一杯頂くと二杯、二杯が三杯になりいつの間にか酒盛りに加わっていた。酒盛りと言っても翌日はそれぞれ仕事があり、ほどほどで切り上げていた。今の時代であれば業者と飲み食いすれば大問題になるが、のんびりした時代であった。お世話になった方々とは年齢も随分離れていたが、有難いことに様々なことを教えてもらったり、どのかたとも可愛がってもらい懇意にしt貰った。

 

 水道事務所と縁が切れて何十年と経過した。当時、懇意にしていただいた方は廃業されたり、次世代に事業を譲ったり、亡くなっておられるが、楽しかった当時のことを懐かしく思い出す。


# by hirosan_kimura | 2025-04-18 11:03 | Comments(0)

№1033 やっと平常勤務に   

 午前は本庁、午後は水道事務と言う変則勤務から解放され、頭から離れなかった初めての当直業務も終了出来た。やっと本来の業務に取り掛かることとなった。当時の水道事務所の体制は、事務所長一名・事務員二名。現業の人四名であった。加えて嘱託現業職員四名であった。

 所長は様々な交渉業務等で本庁に赴いたり、その他の所用など事務所を空けられることがことが多かった。現業の人は日中の大半を現場の作業で不在であった。通常の日中は年配の事務員の方と二人のみのことが多かった。ところがこの事務員の方が、何の業務でどこに行かれるのかは分からないが事務所に不在の場合が多かった。結局、日中は広い配水場の中の事務所に一人だけのことが多かった。

 通常の業務としては、事務の補助。指定工事店の給水の新設・増設・変更工事申請書等の受付。浄水場内の各計器類等の定時巡視。給水関係消耗品等の在庫管理。量水器の検針。端末の残留塩素測定。その他の雑務等であった。

 給水関係の申請書の受付は、指定工事店よりの申請書を受け取り手数料を受領し領収書を交付していた。書類審査は専門の知識が無いと出来ないので,後で現業職の人に審査してもらい許可証を交付していた。現金は個人のみで扱わず所定の手数料の領収書を発行し、もう一人の事務員の人が申請内容と現金を照合して指定金融機関に納金しておられた。

 浄水場内では途切れることなく取水・送水ポンプが回り続けていた。日中は端末での給水量が安定しており、ポンプの停止・送水ボタンを操作する必要は殆どなかったが、一定時間に計器類の確認やその他機器類の監視は怠らなかった。

 資材の管理も任されていたが当初は名称や用途も分からず戸惑った。管理する資材は大まかに送水関係と給材水関係等に分類するが、その内容は使途・材質・口径等があり覚えるのも大変であった。送水関係の部品は比較的大きなものが多かった。それに引き換え給水関係の物は細々したものが多かった。材質は鋼鉄製や石綿、給水関係はビニール・ガス管等が用途に応じて様々な形状をしたものがあった。口径は何故かミリ単位・インチ単位の物があり、ミリ単位の物は13ミリから始まり20ミリ.25ミリ.40ミリ・50ミリ・75ミリ・100ミリ~、インチは1/2インチ・1インチ~10インチ~など細かく細分されていた。これらの各品々を切らすことなく、帳簿と現品を一致さすことも当初は随分苦労したものである。

 前職の年金業務から手が切れたとはいえ、時たま電話で分からないからと問い合わせもあった。時には電話では分からないので本庁まで来て欲しいということも結構あった。その際は上司に了解してもらい自転車で駆けつけていた。しかしいつまでも付き合うわけには行かないので徐々に手を切って行った。

 こうして徐々に水道業務を会得していき、苦手であった日直・宿直業務も苦にならなくなって行った。


# by hirosan_kimura | 2025-04-16 09:59 | Comments(0)

1032 初めての当直   

 水道事務所に配置換えとなって二か月を経過した。一日も早く新しい職場の業務を熟知しなければならないが、午前中は本庁で旧業務の引継ぎ、午後は水道事務所で水道業務の習得と落ち着かない日々であった。中でも新業務に慣れたら当直業務に当たらなければならないことが頭から離れなかった。大半の者にとっては何でもないことであろうが、メカ音痴で機器の操作の苦手な自分にとっては頭が痛いことであった。

 

 当時の廿日市町は今と比較すると規模が小さく、人口2万3千人足らず、世帯56百世帯程度であった。その内、上水道を給水されていたのは3千2百世帯、給水人口は1万3千人であった。冗談であろうが先輩職員から当直中に機器の操作を誤れば、多くの町民に取り返しのつかない迷惑を掛けることになるなどとからかわれることもあった。この2か月の間午後のみであったが、水道の仕組み・施設の説明・機器の操作等を少しずつ教えてもらい、ある程度理解出来るようになると危惧していたほど悩むことも無かったが、当直の日が近づくにつれ緊張は高まるばかりであった。64日金曜日、とうとう一人で当直に当たる日となった。こちらの心配をよそに慣れない者にでも業務が遂行できるよう小さな段取りにまで気が配られ、不測の事態があれば連絡次第ベテラン職員がすぐ駆け付けられるよな手配もされた。当日は通常の勤務が終了後も親しい先輩が遅くまで居残ってくれた。夜9時くらいまで付き合ってくれたが、よほどの不測の事態が起こらない限り朝まで機器の操作が不必要であるところまで段取りを行ってもらった。とは言え緊張で朝までほとんど寝付かれない状況であった。

 

 当時の水道事務所は一階のほとんどが送水ポンプと、たくさんの表示板が並んだ操作室で占められていた。その一角に職員の待機スペースがあり、布団が敷かれるスペース・簡単な調理ができる設備など六畳程度の広さであったが、ポンプ室との仕切りはガラス戸一枚で、切れることなく送水ポンプの轟音が鳴り響いていた。先輩職員が帰った後、広い敷地の浄水場の中にたった一人で孤独感に苛まれるかと想像していたが、外周を見回ったり道路と川を隔てた簡易水道施設を点検に行き、各機器の操作盤を確認等していると時間の経過に気が付かないほどであった。ほとんど眠れない中で朝を迎えたが、早朝に近くに自宅のある橋本所長が「どうしているか心配で落ち着かなかった」と来られ、各機器の状況を点検され「異常なし」と帰って行かれた。ほどなくして当庁の早い職員が来られ初めての当直から解放された。

 

 今回は初めての当直と言うことで大半の段取りが行われ、夜遅くまでと早朝に様子を伺ってもらった。広い浄水場の見回りや、各機器の運転状況の確認等のみで済んだ。通常の当直業務ではこの程度で済むはずもなく、配水池の貯水量に応じて送水ポンプの始動・停止。滅菌用塩素ガスの補充。河床下受水管目詰まり解消。電話応対。その他の臨時的対応等多くの業務に追われることもある。

 

 当時宿直では通常の勤務後引き続き当直業務に当たっていた。自宅が近い職員は自宅で夕食後再度事務所に来て当直業務にあたる。自宅が遠い場合はご飯を炊いて近くの商店で簡単なおかずを買ってきた。今のようにコンビニや弁当を売る店も無かった。翌日は当直終了後に大急ぎで自宅に帰り朝食後すぐに通常の勤務に当たっていた。土曜の半直。休日の日直。夜間の当直を職員全員で交代で行っていた業務も、その後、専任の職員が配置されこれらの業務から解放された時はとても嬉しかったものである。


# by hirosan_kimura | 2025-04-11 09:18 | Comments(0)

№1031 水道メーターの検針   

 当時の水道事務所では夜間・土日の宿直、水道メーター(量水器)の検針は職員全員で行っていた。夜勤は一週間に一回程度、土曜日の半直・休日の日直はそれぞれ月に二・三回程度廻ってきた。

 現在では水道が引いてあれば量水器が取り付けてあるのが当たり前であるが、当時は量水器の設置してある家庭、設置していない家庭が混在していた。当初は水道メーターは取り付けは無く、すべての家庭で定額制で家族数に応じて月額の水道料が決められていた。

 水道メーターが取り付けてないからと言って水を無駄に使う人はあるまいが、いくら使っても水道料が同じであれば節約の心構えが疎かになるであろう。このため水道を新設する場合は必ずメーターが取り付けられていた。また、メーターの取り付けてない家庭でも順次、地域ごとにメーター取り付けが行われ、定額制から使用量に応じる水道料への切り替えが行われていた。

 当時の記録では6月1・2・3日と量水器の検針業務を行っている。担当地区は主に旧廿日市地区の西新町・住吉・新港・南町・幸町などを行ったようである。最初に検針に当たるときは旧担当者が同行し、各家庭や量水器の設置場所を教えてもらうのが通常であるが、何故か最初から一人で検針業務を行っている。

 それぞれの地域ごとに検針カードがあり、最初の一軒が分かれば隣同士なので家を探すのは容易である。量水器の設置場所も大体目安が付くが、中には敷地内ので設置場所が分からず在宅であれば家の人に聞けばよいが、不在の場合は隣の家の人に教えてもらったりしていた。いくら探しても分からない場合は次の家に行き、日を改めて訪問し検針することもあった。

 検針に回ってみると前任者の性格等が良く分かる場合もある。前回の検針票に「推定・犬」「推定・泥」等の記入がしてあり犬が傍にいたり、量水器の中が泥等で検針で出来なかったので前前回分と同じ使用量が記入してある場合もある。推定が一回のみならまだしも、何回も続くと正規に検針した場合にとんでもない使用水量になったり、時には辻褄が合わばくなる場合もある。几帳面な性格の人なら、家の人の了解を得たりメモ用紙を残して断ればよいが、後にその家の人と揉め事になる場合もある。

 当初は自分に割り当てられた地区み検針に回っていたが、他の人が都合が悪く引き受けることがあった。こうしてるうちに段々と広い範囲を受け持つことになった。旧廿日市の廿日市・下平良・串戸・地御前と広がりJR線路の沖側の大半を廻り、細い路地の隅から隅までの地理が分かり、後に他の業務を担当してからも役に立つことになった。

 水道事務所全員で受け持っていた検針作業も、後に検針員が雇用され職員で行うことも無くなった。昔・昔の懐かしい思い出である。

# by hirosan_kimura | 2025-03-25 10:55 | Comments(0)

№1030 「午前 本庁」「午後 水道事務所」勤務   

 職場で配置転換があった場合、相互で事務の引継ぎを行い余程のことがない限り新しい職場に勤務するが通常である。余程 高度の技術で習得に長期を要する場合を除き、一般事務の場合は長くて二・三日で引継ぎを終えるのが慣例である。

 今回の配置替えでは二人しかいない担当者が同時に移動になったにせよ、当面の間 午前は旧職場で午後は新職場に勤務するとは異例の措置だろう。新担当者が上司にどのような交渉をした結果は分からない。自分としては釈然としないが、住民課長・水道事務所長が協議の上決められたことであり指示通リに従った。

 こちらとしては新しい職場に迷惑をかけて申し訳ない気持ちであった。しかし新年金担当者はこちらが思うほど気の毒がることも無く,至って気楽で気を使っているようでも無かった。

 古いメモを見ると「4月14日(水)午前年金未納者督促」とある。年金担当在職中に年金未納者の納付督促には力を入れていたので、残っているのは一筋縄ではいかない人たちばかりであった。督促に行くと何回も来てくどい、二度と家に来るなと追い返されるような方ばっかりであった。このような人を訪問しても怒鳴られるのが分かっていたが、新担当者に机の上の事務ばかりでないことを知ってもらう思惑があった。今から60年くらい昔のことでハッキリ記憶しているわけではないが、おそらく訪問に行っても怒鳴り返されたような記憶が残っている。同行した若い職員はびっくりして「このようなことまでしなければならないのか」と驚いていた。

 このことがあって職務に対する取り組み方が少し変わったようであった。その後もここまで詳細に指示しなければならないかと思うほど、微に入り細に入り同じことの繰り返しのような日々を繰り返し、5月末までこの状態が続いた。

 この間、午後は水道事務所の業務の習得に取り組んだが、何もかも新しいこと、経験したことのないことばかりで戸惑うばかりであった。水道事務所では事務の補助、水道メーターの検針、機材の管理、水道施設・設備の勉強、各種機器の運転操作の習得等、ずいぶん苦労したものである。

 この間 常に気になっていたのが、近日中から夜勤・日直当番をしなければならないことであった。これらの当番は一人でこなさなければならず、その日の水道の使用量に応じて送水ポンプを始動したり停止した、その他機器の操作を行う必要があった。
 最初は何を聞いてもちんぷんかんぷんであったが、空き時間を利用しては何回も繰り返し教えてもらった。他の人はそんなに深刻にならなくてもだれでも出来るとは言うが、頭の痛いことであった。
 
 6月1日(火) 本日より水道事務所常時出勤とある。早速その日より3日間、水道メーター検診。とある。

# by hirosan_kimura | 2025-03-13 10:32 | Comments(0)