素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura
№906 ある夏のことじゃが_e0125014_05240344.jpg
 
 ある夏のことじゃが、子どもが泳ぎよったらのー。ひょこっと十兵衛が見えんようになったんじゃあ!

 「十兵衛がおらん」「十兵衛がおらん」とみんなで大騒ぎになってしもうた。

 「どうでも岩まで泳ぎに行きょうって、おらんようになったらしい。」

 こどもたちゃあ、急ぎで大人を呼びにいったんよ!

# by hirosan_kimura | 2022-07-05 05:30 | Comments(0)
№905 運行が止まった広電宮島線_e0125014_10174285.jpg
 広電宮島口駅が2日移転開業した。これにより連絡船乗場も目の前になり、ホーム数も増え一層利便性も増した。先に連絡船乗場も改築され宮島口一帯は驚くほど様変わりしている。

 旧駅から新駅に切り替えるため、線路・架線・信号関係の工事は最終電車から始発までの時間では不可能であり、長時間電車の運行が止められた。

 運行が停止されるのは宮島口駅から広島総合病院間で、終電の23時40分くらいから翌日の午後2時前くらいであるが、このように長時間運行が停止されるのは、昭和30年頃の台風で堤防が決壊し電車軌道が壊れて以来ではないかと思われる。

№905 運行が止まった広電宮島線_e0125014_08391084.jpg
 この間代行バスが運行されたが、広電阿品停留所は国道に隣接しているが直接バスに乗降できないのでJR阿品駅が代行バスの停留所となった。

# by hirosan_kimura | 2022-07-04 09:10 | Comments(0)

№904 田尻はのー

№904 田尻はのー_e0125014_09331156.jpg

 田尻はのー!
 昔は、鰆をはじめいろんな魚が獲れるほど、ええ浜じゃったんよ!

 今から何年前の昔のことか、ようわからんが、田尻の沖で、だいたい40㍍くらいの海の底への―、大けな、大けな岩があるんじゃ言うてのー

 今も昔も子どもちゅうもんは、分からんもんじゃけえのー、その岩まで泳いで行っちゃー帰ったりして、また、その岩に立って休んだりしていたものよのー。

# by hirosan_kimura | 2022-06-30 09:19 | Comments(0)
№903 間違った言い伝え_e0125014_09211177.jpg
 十兵衛岩があったのは田尻沖です。阿品に生まれ育った古い人なら知って居られると思います。しかし阿品台西小学校の学校だよりに、子どもたちへの阿品の古い話をされた方が「鰆浜の十兵衛岩」と説明されたとありました。

 また、平成九年に廿日市市が発行した「図説 廿日市の歴史」でも「鰆浜の十兵衛岩」と説明があります。これ以外でも「鰆浜の十兵衛岩」と紹介されていることは珍しくありません、なぜ、このように誤って伝えられているのでしょう。

 昭和53年に町の教育委員会が「「廿日市の民話と伝説」の小冊子を発行しています。この中で「33 鰆浜の十兵衛岩 (地御前)」と紹介されています。これ以降「鰆浜の十兵衛岩」が定説のようになってしまいました。この冊子の編纂に地御前の人でも関わっていれば、このような間違いは無かったと思われます。

 今は目にすることが出来ない「十兵衛岩」が「田尻沖」であろうと「鰆浜沖」であろうとどうでもいいようですが、正しい阿品の歴史を後世に伝えたいものです。

 

# by hirosan_kimura | 2022-06-29 08:58 | Comments(0)
№902 阿品の紙芝居その2「田尻の十兵衛岩」_e0125014_09184977.jpg

 十兵衛岩は田尻海岸にあった岩で、満潮時の時には潮の中に隠れ、干潮時には姿を現わしていました。

 岩の上は平らかでかなりの広さがあったようです。

 高さは、子どもがよじ登るには高すぎたので、2㍍近くあったのではないかと思われます。

 今は、海岸の埋立によりこの岩はありません。

# by hirosan_kimura | 2022-06-28 09:47 | Comments(2)