今日は5月19日、新型コロナウイルスが流行していなかったら、東京オリンピックの聖火が阿品を走る過ぎていたはずである。
今から56年前の9月20日に聖火が阿品を通過し沿道にはたくさんの人たちが、聖火が通リ過ぎるのを見守った。
右の写真は田尻付近を聖火が通過する車列である。右側は団地の開発が行われる前の田尻山。
左側は美しい砂浜や海岸沿いの小山が見える。きれいな海岸線も海が埋められ、小山も削り取られ無粋な風景になってしまった。
丁度上の写真付近を走る聖火リレー。後ろに映る山は削り取られているが、土屋病院の前面付近の国道である。道路は車の通行する中央部分のみがアスファルトほそうされ、道路の両端は砂利のままである。
この付近は海と山に挟まれ寂しい場所であったが、山が削られ海は埋め立てられ風景は一変している。
聖火が通過する前の鰆浜の国道であるが、どこから人が集まったのかと思われるくらいの人出である。
左側に電車軌道が見えるが、現在の「広電 阿品東」の停留所付近である。当時の駅名は「地御前県病院前」であった。
待ちに待った聖火が到着している。
右上は山を削って別荘地が開発されたが、住む人も無く荒れ果てている。
左上にお上がり場に生い茂っていた松の木が伺える。この木も一本残らず枯れてしまっている。
我が家の実家の前付近であるが、選手の交代があったのか、トーチの聖火を次の走者に引き継いでいる。後方の山に生い茂っていた松も枯れてしまっている。
写真の映りが鮮明でないが、ピントが合っていれば懐かしい顔が判別できるのではと残念である。
鰆浜を通リ過ぎて地御前方面に向かっている聖火。聖火から出る煙が立ち上っている。
この付近は西広島バイパス工事により一変している。 右側の海が埋め立てられ、広電電車軌道が海側に移設されている。
国道も右側の電車軌道付近まで拡幅されている。阿品の海岸に風情を添えていた「火立岩」も削り取られてしまった。
前回聖火が阿品の国道を走り抜けて半世紀過ぎたが、この間、阿品では山が削られ海が埋め立てられ、懐かしい風景が亡くなってしまった。
田尻付近の写真を撮影されたSさん、鰆浜を撮影されたNさん。大変お世話になったお二方とも亡くなられて久しい。