素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

<   2016年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

№748 馬飛ばし

e0125014_1241976.jpg
 昨日は旧暦の五月五日のこどもの日であった。例年この日には地御前神社で流鏑馬の行事が行われる。子どもの頃には秋祭り・お正月・管絃祭と並んで年に何回もない楽しみにしている日であった。

 思い出されるこの祭りの日は、小学校は授業は午前で打ち切り、各家では御馳走を作り、神社前にはたくさんの屋台が立ち並び、沿道は人波でごった返し動きもとれないくらいであった。やがて流鏑馬の行事が行われ馬が走り抜け祭りは最高潮を迎えた。

 これらの賑わいは今では夢物語で、6・7軒の屋台・わずかな観客・例年初節句の男の子がお祓いを受けに来ていたが、今年は一人の姿も窺えないような寂しさである。

 何に掲載されたものか不明であるが、古い記事を紹介する。なお写真は昨日撮影したものである。

e0125014_1204494.jpg
 地御前神社では、毎年 御陵衣祭の時、流鏑馬神事が奉納される。御陵衣祭は、旧暦五月五日に端午の節句を祝う祭りで、厳島神社から宮司を迎えて行われる。
 
 この神社は厳島神社の外宮と称され、昔は厳島神社から白い神様と御神体が船に乗ってきて、その神馬を先頭に、白装束の若者が三つの神輿を担いで、参道を歩いたといわれる。しかし現在では、拝殿で初節句の男の子にお祓いをするなどの神事が行われるのみである。  

e0125014_1213252.jpg
 その後、舞楽「後の舞」が納められるが、これは厳島神社で舞楽面陵王をつけて元旦に奉納される「環城楽」「越天楽」で、舞い手も厳島から迎える。

e0125014_123035.jpg
 そしていよいよ、流鏑馬神事である。古式ゆかしい狩人の衣装を身につけた騎手が馬に乗り、まずは客殿の前で天地、東西南北の六方向に厄除けの矢を放つ。その場で馬が三回まわされ、それから参道を三往復する。衣装はすべて昔から使われているもので、笠には「慶長十三年(1608)五月吉日」と書かれており、その頃から行われていたと思われる。当時、安芸の守が私有馬を奉納馬に仕立ててこの神事を行ったのが始まりらしい。

 この地域では、端午の節句に菖蒲と蓬(よもぎ)を束ねて軒に挿して祝う風習があり、端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれる。その菖蒲の読みに勝負・尚武という言葉が掛けられ、流鏑馬神事が行われるようになった。

 地元では「明神さんの馬とばし」と親しまれていたが、馬が居なくなったこと、参道がアスファルトに舗装され馬が走れなくなったことなどから、昭和四十二年を最後に廃止されていた。それが地元住民の熱意で、昭和五十七年六月に十五年ぶりに復活。昔のように馬を勢いよく走らせることはできないが、その勇壮な姿は時代を逆行させてくれる。

 この日にはちまきやかしわもちを食べ、また軒にさしていた菖蒲と蓬を風呂に入れて菖蒲風呂にする風習もある。
e0125014_1221866.jpg
 この「ちまき」は地御前の友人が家で作ったと届けてくれた。子どもの頃には各家で必ずと言っていいくらい粽(ちまき)を作っていた。他の地区では「かしわ餅」を作っていたようであるが、阿品にはかしわの葉っぱが無いのでかたる「サルトリイバラ」の葉で包んだ「かたる餅」を作っていた。かたるをかたらと云うひともある。この粽を包む笹は吉和の方まで採りにに行ったそうである。
 
by hirosan_kimura | 2016-06-10 12:15 | 行事祭礼 | Comments(3)
e0125014_8315857.jpg
 先日、阿品に関する記事が新聞に掲載されたり、テレビで放映された。
 
 昨年7月に入札された鰆浜の県病院跡地が、土砂災害警戒区域に指定予定であったのを県が見落とし売却したものである。病院跡地11.500㎡を3億7千万円で売却したが、警戒区域に指定されたことで土地の価値が下がり差額9,800万円を賠償することとなった。

 指定予定を見落としたこと、差額を賠償することはともかくとして、隣接の山が土砂崩れが起きそうとは素人目には不思議な気もする。隣接地は山と云うより小高い丘のようである。元々ある自然の山で傾斜も緩やかで樹木も生い茂っており、崖崩れが予測される危険地域にも見えないが、専門家の目から見れば「土砂災害危険区域」に匹敵するのであろう。
e0125014_8324817.jpg
 阿品区域の山々は比較的緩やかで、土砂災害の起こりそうな場所は他地域に比べて少ないのかと思っていたが、予想以上に危険な場所が多いようである。
 
 中にはこんな所まで危険地域に指定しなければならないのかと思われる場所もあるが、万全を期して万一の災害に備えてあるのであろう。
e0125014_911065.jpg
 急傾斜地危険地域に指定されている場所で、素人目に見ても明らかに危険な場所もある。

 この写真だけではあまり窺えないが、下から上を見ると見上げるような急斜面である。斜面も堅固とは言えず一部 玉石状の物が積み上げられたり自然の土肌のみの場所もある。斜面の上の方では土を掘り起こして野菜が作られている。

 崖上の家屋は崖地ぎりぎりに建っているものもある。上に住んでいる人は足元は気にならないかも分からないが、崖下に住んでいる人はいい気はしないであろう。

 この団地は阿品で一番古い団地であるが、現在の厳しい決まりではこのような崖地は許可が降りないかも分からない。
by hirosan_kimura | 2016-06-09 12:54 | 行政 | Comments(0)

№746御洲掘神事

e0125014_10315886.jpg
 いつも資料を提供していただいている方から珍しい写真を紹介してもらった。戦前に撮影された地御前神社「御洲掘神事」の写真である。神事の写真は幾種類か目にする機会はあったが、これほど全体像を捉えた写真は珍しい。右端にはかつての海水浴場の飛び込み台も映っている。

 この写真を提供していただいたのは撮影者の孫に当たる方である。この写真はパノラマ写真のようであるが、別々に撮影した三枚をつなぎ合わせたものだそうである。別々に撮影した風景写真ならいざ知らず、動き回るたくさんの人がいる写真をつなぎ目も分からず、一枚の写真に加工する技術は不思議である。

 撮影者の方は明治39年にアメリカに移民として渡り、昭和2年に帰国し広島市の中心部で写真店を営んでおられた。戦争の悪化により昭和17年に写真店を閉鎖し地御前の実家に移り住まれ、昭和40年に76歳で亡くなっておられる。

 昭和20年に原爆が投下され広島は壊滅状態となったが、戦前に撮影された膨大な数の写真は地御前の実家に移されていたため戦禍を逃れることが出来た。7年くらい前にはこれらの貴重な写真が公表され、写真展が開かれたりマスコミを賑わしたこともあった。

 管絃債祭は毎年旧暦の6月17日に行われ子どものころには「十七夜 じゅうしちや」と呼んでいた。当日は神社前も阿品の海岸沿いも、たくさんの観客で溢れかえっていたが今では寂しい限りである。今年の「十七夜」は7月18日に行われる。

 祭りは事前の「祭場整備」の「お洲掘り」から始まる。厳島・地御前両神社前で行われるが地御前側では祭りの二日前の正午の干潮時に、神社前の砂浜を左右に掘り分け、澪木(みおぎ 水路を示すために建てられた杭)を立て、厳島から来る管絃船の着岸を円滑に行うために行う。

 洲掘りの地ならしのため、美しく飾った数頭の牛を近隣から集め、五・六十人が見守る中、村長の指揮の元に行われた。この洲掘りも農耕牛の減少により、今では機械による整地作業となってしまった。
by hirosan_kimura | 2016-06-01 11:40 | 行事祭礼 | Comments(4)