素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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昭和42年 2月 田尻地先海岸立造成工事開始
昭和44年 9月 田尻地先海岸埋立完了 80,909,88㎡
       10月 宅地149区画分譲開始 ㎡当37,000~45,000円 
昭和45年12月 阿品陸橋竣工 工費3億4,000万円
昭和46年 6月 入居開始
昭和48年 1月 団地内に「安藤耳鼻咽喉科」開院
昭和49年 4月 隣接地に「広島ナタリー遊園地」開園 
昭和51年 3月 田尻公園完成 1,431㎡ 
昭和52年     高潮対策工事開始
昭和53年 8月 広電田尻駅開業
昭和54年 4月 阿品台東小学校開校 地御前小学校より校区変更
昭和55年 4月 鼓ケ浜公園完成 149㎡
        9月 世帯109  人口339
昭和56年 4月 阿品台中学校開校 七尾中学校より校区変更
昭和57年 2月 町名変更 地御前字阿品→阿品三丁目
昭和58年 4月 阿品台西小学校開校 阿品台東小学校より校区変更
昭和59年 1月 世帯132 人口416
昭和61年     高潮対策工事完了 延長615.7m
昭和62年 4月 鼓ケ浜集会所落成 約108㎡ 
10月 老人クラブ「鼓ケ浜長寿会」発足 会員64名
平成 元年 8月 JR阿品駅開業
平成 2年 2月 世帯160 人口463 
        5月 田尻公園便所 汲取りから水洗に改築
        8月 岡本脳外科クリニック開院
平成 3年 5月 世帯数165 人口473 男221 女252 内小学生43 
           町内会費 年1,500円×2回
       9月 台風19号で町内被害発生
平成 4年 1月 子供会会員43名 男20 女23
平成 6年 2月 世帯169 人口480
平成 8年 3月 遊園地「広島ナタリー」閉園
平成11年 7月 フジグランナタリー開店 
平成12年 1月 世帯数185 人口475 
        6月 JR阿品駅=阿品三丁目間歩道陸橋完成
        8月 広電田尻駅が東70mに移転新設
平成13年 3月 午後3時28分発生「芸予地震」で被害が出る
       11月 「広電田尻駅」が「広電阿品駅」に名称変更する
平成20年 2月 世帯205 人口487
平成21年 4月 「鼓ケ浜町内会憲章」を制定
平成23年 1月 世帯205 人口463
by hirosan_kimura | 2015-03-30 12:04 | 三丁目 | Comments(0)
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 昭和40年代になると、広島市及びその周辺は人口の都市集中が著しく、強力な宅地、住宅の供給対策が望まれていた。

 この対策の一つとして、主として広島市の業務地域への通勤人口対策を対象とした、健全な居住環境と都市機能を備えた旧宅市街地を開発し、良好な住宅地の大規模な供給をはかることとされた。

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 大規模住宅用地の選定にあたっては海岸線沿いに国道・山陽本線・広電宮島線が平行し、広島市への通勤の便が良い。

 造成する山はなだらかで、昭和40年代まではほぼ無人の里山で、谷筋に僅かな耕地があるのみで開発が比較的容易である。

 広島湾に面し気候も比較的穏やかで、年中過ごし易い等の理由で阿品の地が選ばれた。

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 当時、広島県の輸入木材の6割を扱っていた広島港は、施設が各地域に分散されていたため、廿日市地区に貯木場と係留施設及び企業用地造成を行う木材港の計画が立てられた。

 この木材港造成の為埋立土は、廿日市ニュータウン造成の残土が搬出されることとなった。このため土砂運搬用道路が新設された。この道路は「阿品・高通り線」の名称で、住宅団地造成現場から山を削り宮内の「畑口・寺田線」まで結ばれた。

 昭和46年に住宅団地の造成工事が始まったが、この間一日何百台ものダンプカーが新しい港の新築現場まで行き交った。

 昭和52年には住宅の分譲が開始された。計画戸数3,500戸、計画人口12,600人で一時は若い人や子どもで溢れかえっていた「阿品台」も高齢化と少子化で、かつての活気がやや失われたようである。
by hirosan_kimura | 2015-03-29 11:37 | 阿品台 | Comments(2)
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 「№655 収穫の秋」で、阿品の田んぼが減り米作りが少なくなっていると紹介した。かっての阿品は田畑の中に住宅が散在していたが、今では住宅地の中に田畑が散在していると言ってもおかしくないくらいになっている。

 「№52 阿品は秘境?」で紹介したことがあったが、地御前以外の者が「阿品」といえばとても不便で寂しい地域と云われた時代もあった。昭和40年代頃より海が埋め立てられ、山が削られ住宅地に変わりかっての面影が無いくらいに変容してきた。

 e0125014_14231286.jpg 広電宮島線の二つの停留所に加え、JR阿品駅が開業して一層交通の便利が良くなった。大型商業施設に加え医療機関なども整い、日常生活を送るのにほとんど不自由は無くなった。目の前に世界遺産の宮島や、広島湾沿いに島々の風景も美しく、大変住みやすい地域となった。

 このため住宅地として人気があるようで、たくさんの田畑が潰されて住宅地に変わっている。

e0125014_14233312.jpg JR阿品駅裏の田んぼも昨年までは耕作されていたが近々埋め立てられて住宅地に変わるらしい。見慣れた田んぼが潰され風景が変わるのは寂しいことであるが、時代の流れとして止むえないのであろう。

 阿品地域もご多聞に漏れず高齢化が進んでいるが、新しい住宅やマンションなどの家族構成は、比較的若い世代や子どもが多いので他の地域ほど深刻でないようである。

 更に住宅が新築され若い世代や子どもが増えればと考える。なお一丁目の県病院跡地が住宅地になるのか気に懸かるところである。

 卒業シーズンを迎えた最近の新聞では、児童の減少による小学校の廃校の記事が目立った。我廿日市市でも二校の小学校の廃校があったが、阿品では当分その心配はないだろう。 
by hirosan_kimura | 2015-03-28 09:20 | Comments(0)
平成21年5月15日 e0125014_10565499.jpg
西広島タイムスより

「あじな桜」命名し新名所に
 阿品二丁目住民有志が整備

 廿日市市阿品二丁目の調整池そばにあるシダレザクラを名所にしようと地域住民有志が整備を進めている。5日には、命名した「あじな桜」と記した柱を樹木のそばに設置。「阿品の、サクラの新名所として盛り上げていきたい」と張り切っている。

 サクラは40年ほど前、現在阿品台団地になっている場所にあった地蔵を、団地造成に伴って移動させた際に記念植樹した。樹高・枝の広がりはともに15㍍ほどで「樹齢の割には立派な木」と有志の一人、〇〇〇〇さん(66)は木を見上げる。

 肥料をやるなど世話を続け、毎年春先にはきれいな花を咲かせる。近年は地元のみならず、口コミで地域外からの見物客も増えているそうだ。「名所とうたうからには名称が必要」と、呼び名を「あじな桜」に決めた。

 今後は木の下に、クローバーを敷き詰める予定という。「来春にはまた見事なサクラの下で花見をしたい」と〇〇さんらは胸を弾ませている。

 同所への道は離合が難しく、道の突き当たりにあるため、旋回もも難しい。JR阿品駅から徒歩10分程度。

今日の「あじな桜」
e0125014_11214581.jpg 本日午前10時頃の「あじな桜」は八分~九分咲き程度で、この土日が見頃であろう。ただし枝枯れが年々広がっているのは惜しい。寄生虫でも着いているのかも分からない。以前は垂れ下がった枝全体に花が満開であったが、現在では枯れた枝がたくさん垂れ下がっている。

 移転された「教え地蔵」はJR阿品駅裏のふじタウンから下る道の脇に安置されている。
by hirosan_kimura | 2015-03-27 11:31 | Comments(0)
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 国道二号線にそって地御前浜を宮島方面に向かうと、宮島線「地御前県病院前」停留所付近から道路はゆるいカービとなり、景色のよい御上がり場海水浴場を過ぎるところから山手を見ると、小さな開けた部落が見えはじめます。ここが阿品部落であって、家の割合に農地が広く、一見平和な農村を連想させます。

◎阿品のようす
 この部落には東と西に小さな谷川が流れていて、西を本谷と云いこの谷川が堆積した小さな三角州に部落が形成されています。今は山陽線や国道二号線が海岸沿いに走っているので、海へのみはらしが悪くなっていますが、そのため堤防の役目を果たし高波の心配をなくしています。

 それでも昔名残りの潮まわしが残っており、先年までは青年団の養魚池となっていました。南は海に面していますが谷川の働きは割合活発で、どんどん土砂を堆積しているので、浅海となり、いずれ近い日に埋め立てられることでしょう。

一、阿品の本谷の奥あたりに、「岩神」さんがあります。昭和二十五年の台風で社殿が倒れ、今はその附近の山に移されていますが、この神社の祭神が「アシナヅチ」と伝えられています。

 昔「高天が原」から出雲に来られ「ヤマタノオロチ」を退治された「スサノウノミコト」の伝説はよく聞きますが、そのときの姫「クシナダヒメ」の父親にあたる方で、土着の神で農耕の神とされていますが、その名前から「アジナ」になったというもの。

二、「アジナ」は葦でなでるという意味で、葦の生えていた所というもの。

三、昔弘法大師が諸国を廻られたとき、ここに来られて水を飲まれたところ、「味のない水だのう。」と云われたので「アジナ:になったという。

 以上三つの説が、土地の人に語りつがれています。

◎新しい阿品
 阿品も御多聞にもれず、東の丘に団地がつくられています。また宮島遊園地もあり、海水浴場と共に観光に役立っています。鉄工所も出来ていましたが、倒産し近代産業の複雑さをこの土地でも身を持って感じられます。

                         昭和41年 廿日市町広報より
by hirosan_kimura | 2015-03-26 11:34 | Comments(0)

№699 鰆浜町内会

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 魚ヘンに春と書いて「さわら」と読みます。これに「浜」がついて「鰆浜」がわが町内会です。むかし、ここらは浜辺で、さわらの水揚げ場所だったのでしょうか。

 海岸に松林があって、明治天皇が沖の宮島などでご賞覧されたとかで、「しょうらんば」、それが「さわら浜」とダブって「そうらんば」となったという人があります。世帯数は五十、とにかく小さくても古い町内会です。

 わが町内には、電車もバスも阿品停留所があります。ラッシュ時は、阿品台一丁目から三丁目の人が多く、町内の半分から沖へ行列ができます。

 古い人も新しい人も早く心安くなるために、「お盆のつどい」と「新年のつどい」を始めて五年になります。これを「そうらんばのつどい」といい、町内会のど真ん中の広場でやっています。

 三年前、「さわらはま音頭」という町内会の盆踊り唄を作り、8月14日「お盆のつどい」に踊っています。「つどい」には、周辺から参加される方がふぇてきました。この次は皆さんもぜひお越しください。

昭和58年3月24日発行 
        阿品地域コミュニティをすすめる会「コミュニティ広報」より
by hirosan_kimura | 2015-03-25 11:11 | Comments(0)

№698 新しい施設

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鼓ケ浜集会所が完成
 この度、鼓ケ浜地区に集会所ができました。鼓ケ浜集会所は、鼓ケ浜地区の南端部に位置し、木造平屋建てで約108㎡の広さがあります。

 鼓ケ浜町内会では、これまで集会等を行う場合、阿品公民館を利用していましたが、これからはこの集会所が利用出来て大変便利になります。落成式は、4月5日に行われる予定です。

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阿品地区に待望の公園建設中
 阿品地区に永年望まれていた公園が、現在、岩鏡神社の裏隣に建設中です。
 仮称岩鏡公園は、岩鏡神社の裏隣に神社と同じ高さで造られ、ゲートボールができる広さがあります。また、公園には、遊具・便所・公園灯等が整備される予定です。

 公園建設は、昭和61年度に造成工事を行い、62年度に進入路工事、施設整備を行うもので、今年度の盆踊りには、一応利用できるようになる予定です。

 完成は今年の秋ごろになるようですが、完成後は、ゲートボールや子供達の遊び場・盆踊りができるようになり、地区の憩の場としてみんなで大事に使いたいものです。

     昭和62年3月31日発行 阿品地区コミュニティ広報紙より抜粋
by hirosan_kimura | 2015-03-24 11:29 | Comments(0)

№697 地名「田尻」

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 1月28日に阿品台西小学校三年生の総合学習で説明した「阿品の昔の風景と建物」について、子どもたちが纏めた資料・子どもたち一人一人が書いた礼状が届いた。

 今の風景しか知らない子どもたちは、ふじタウンや阿品台が昔は山だったこと、阿品三丁目は海を埋め立てて住宅地となったこと。 昭和30年代頃まで残っていた阿品の家は、屋根は藁ぶき、壁は土、建具などは木で出来ていたことなどに驚いていた。

 また今ではマンションが立ち並んでいる場所には「遊園地ナタリー」があり、ジェットコスター・プール・スケートリンクなどの設備があったことなどに大変興味を持っていた。

 ある子どもが「昔はなぜ田尻とよんでいたのか知りたいです。」と書いていた。阿品には鰆浜・阿品・田尻と三つの大字があるが、地名阿品についてはこのブログ№16で、地名鰆浜については№17で紹介したが、「田尻」については取りあげたことがなかった。

 平成13年に「広電田尻駅」が「広電阿品駅」に名称変更されて以来、「田尻」の地名が残されているのは町内会の名称、公園名と集会所名くらいになってしまった。

 「田尻」が阿品の三つの大字の一つと言っても、地域も極めて狭く、僅かの田畑、一・二軒程度の民家しかなく部落の機能も成り立たず、阿品部落の一部としての付き合いをした時代が長く続いた。

 「田尻」の地名の由来は、色々調べるが残された資料もなく推測するしかない。「田」はその通り「田んぼ」から来ているのであろう。「尻」は人体の部分を想像するが、この字には「最後の部分」「端っこ」「うしろ」等の意味をもっている。

 田尻の田んぼは谷と谷の間や山裾などに僅かな耕作地しかなかったが、阿品部落の農民が耕作をしていた。「田尻地区」は阿品全体や阿品部落から見ると端の方に有り、端っこの方にある「田んぼ」で「田尻」と呼称されるようになったのではなかろうか。

 あくまでも推測の域を出ない。どなたか「田尻」の地名の由来を知っている人があれば、ご教示いただきたい。
by hirosan_kimura | 2015-03-23 10:49 | Comments(0)
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 今は亡き従兄が写した写真である。この写真は国道脇に造成された別荘地から、海やお上がり場を見下ろした写真で昭和31年1月に撮影されたものである。

 今は消滅してしまったお上がり場の松も生い茂っている。現在では桟橋沿いには沢山の釣り船が係留されているが、この写真では牡蠣養殖用の作業船が二隻繋がれているのみである。その左側の海は埋め立てられてマンションが建てられている。船の手前には宮島線を走っている電車の頭が僅かに見られる。

  左下手前の白い部分は造成された別荘地であるが、今では雑木が生い茂っている。

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 造成中の「新宮島遊園」の写真である。右中央の赤い屋根の建物は阿品で唯一の集会所である。様々な会合・催し物・選挙の投票所等に利用されていたが、阿品公民館の開設と同時に閉鎖されている。

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 同じく新宮島遊園の造成地であるが、上の写真よりJR軌道寄りから写したものである。中央やや右側の国道沿いに見える家屋は、国道の拡幅により立ち退きとなっている。 昭和31年1月に撮影されている。

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 昭和49年5月に撮影された「広島ナタリー」の様子。

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 現在の「広電阿品東駅」前の海岸から撮影された「管弦祭 御座船」の様子。昭和49年8月に撮影。以前は地御前神社に向かう御座船には沢山の漁船が伴走していた。この写真では伴走の船も少なく寂しくなっているが、現在ではこれ以上に寂しい状況になっている。

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 この写真は昭和51年4月に撮影されたものであるが、阿品沖を写したというより地御前寄りの山の上から写したものであろう。

 写真の中央やや下に縦に薄く写っているのは西広島バイパス出口の光が丘付近。中央右端に近い海にうっすら縦に写っているのはナタリーの観覧車。分かりにくいがそのやや左にナタリーのジェットコースターが写っている。
by hirosan_kimura | 2015-03-18 08:36 | Comments(0)

№695 惜しい写真

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 阿品の昔の写真を探すが中々見つからない。古い写真の残っていそうな旧家の人に尋ねると、お年寄りが亡くなられた際に中身も確認せずにごみとして処分したと言われることが多い。中には二度と手に入らない貴重な資料も有っただろうに誠に勿体ないことである。

 今は亡い従兄はカメラが好きで良く写真を撮っていた。東京に在住している従兄の子どもさんが帰省し整理していたら古い写真が出てきたと提供して貰った。珍しい写真も有り随分助かったが、一部保存状態が悪く汚れ等などもあり残念なものもある。

 上の写真は昭和38年1月に写された鰆浜の風景である。今から50年前のものである。県病院・吉田病院の建物を見る事が出来る。海岸線も埋立前で、火立岩・波止と言っていた防波堤もある。今から80年前には宮島線の終点はこの辺りで、すぐ傍からは宮島に渡る連絡船の発着場もあった。

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 これは約50年前のJR阿品駅前付近である。今のJR駅舎すぐ前には樋口工業と言う鉄工所の工場が見られる。

 国道も自動車が殆ど走っていずのんびりしたものである。当時の国道脇の調整池の様子も良く分かる。

 同じアングルから撮られた写真もあるが、白黒写真でピンボケの物が殆どである。この写真に汚れなど無ければと思うばかりである。

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 同時期に撮影された写真であるが、中央縦にJR軌道がある。Jr駅裏付近の民家も僅かで大半が田畑ばかりである。中央右側の山は住宅地に造成される前のふじタウンで、今では景色もすっかり変容している。

 この写真は汚れも少なく、パソコンに精通した人ならかなり修正出来るのではなかろうか。

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 この写真は昭和49年5月、今から41年前の物で鰆浜の海岸から「お上がり場」「ナタリー遊園地」方面を撮影したものである。撮影場所は「火立岩」があった付近の堤防の上からと思われる。

 汚れは少ないがピンボケなのが惜しい。
by hirosan_kimura | 2015-03-17 11:38 | Comments(2)