素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№681 じんねんさん

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  このブログ№654で「厳島神社の神馬」を掲載したが、今ではこの白馬も居なくなり厳島神社入口の白馬舎に作り物の神馬が展示してあるのみである。厳島神社の神馬は色の付いた馬が奉納されても、数年経つと白馬になると年寄りなどから聞いたことがあるが本当だろうか。

 毎年、地御前神社の「馬飛ばし」の日には、厳島神社の人が白馬を引き連れ阿品の国道を地御前神社に向かう姿が見られた。夕方には地御前神社から厳島神社まで連れて帰っていた。

 阿品ではこの白馬を親しみを込めて「じんねんさん」と呼んでいた。阿品には「神馬のくぼ」「じんねいばな」の地名が残されている。「神馬(しんめ)」が「じんね」となり「じんねんさん」と変わったのかも分からない。

  流鏑馬で走る馬の写真はたまに見掛けることはあるが、この白馬が地御前神社に連れて来られた時の写真でも無いかと探してみたがなかなか見つからなかった。先日、いつもブログの材料を提供して下さる方より白馬が写った写真を提供してもらった。

 写真の場所は、地御前小学校脇の「大歳神社」下の「釈迦堂」の前である。写真を提供して貰った方は昭和初期のものでは無いかとのことであるが、傍に写っている子どもの服装から見ると昭和20年代か30年代のものでは無いかと推測されるが、詳しい年代は分からない。

 この写真を見ると、祭りの朝に阿品の道路を地御前神社に向かい、夕方になると厳島神社に歩いて帰る白馬の姿が思い出される。

 また祭りの日には授業中もそわそわして、学校が終わると沢山の露店や祭り見物の人たちの中を急いで家に帰り、僅かな小遣いをを貰って祭り会場に行っていたことなどが懐かしく思い出される。
by hirosan_kimura | 2015-01-31 11:14 | 行事祭礼 | Comments(5)
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滅多に手紙やはがきを郵送する機会もないが、近くに郵便ポストがあれば至極便利である。幸い我が家では歩いて数分も掛からない場所に郵便ポストが設置されている。

 現在阿品全体では18個の郵便ポストが設置されている。阿品一丁目2か所、二丁目2か所、三丁目3か所、四丁目1か所、阿品台10か所で全部で18個の郵便ポストが設置されている。

 郵便ポストはメールの普及や人口減で、全国的にみれば設置数が減少しているらしい。ポスト1個当たりの人口は全国で700人程度となるが、阿品ではポスト数と人口からみれば780人程度にポスト一か所ととなるので全国平均よりやや少ない程度で、ほぼ全国平均に近いポストが設置されていることになる。

e0125014_11414985.jpg 現在ではこのようにたくさんあるポストも、かつては阿品全域で1個のポストがあるだけであった。場所は鰆浜(現在の阿品一丁目)の広電停留所前にあった藤川商店に設置してあった。図の赤丸の場所である。

 阿品で最初に開店し唯一の店であった「藤川商店」も店主の方が亡くなられ、一時親戚の方が引き継いで居られたが間もなく閉店された。その後鶏肉の加工場になっていたがこれも無くなり、今では一般住宅が建てられている。

 いつの時代に設置されたのかは分からないが、このポストは三丁目の埋立、ふじタウン・阿品台が開発されるまでの長い間、阿品の人たちの唯一の郵送手段として利用されてきた。この地にあったポストは現在では鰆浜の集会所脇に移転されている。

e0125014_10555981.jpg 当時のポストの写真でもあれば良いがなかなか手に入らない。

 阿品で唯一のポストは壁掛け式で、現在では余程田舎の方にでも行かないと見る事が出来ない。
by hirosan_kimura | 2015-01-30 14:05 | 通信 | Comments(4)
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 昭和31年3月16日、本村と大野町との境界を明らかにする必要が生じたので、緊急に村議会の協議会が招集された。問題は阿品部落、田尻の村境から、山頂のオドネ境に連なる境界の不確実な箇所を明らかにする方法であった。

 これは、相当意見を闘わせた結果、早急に大野町に連絡して双方協議のうえ、要所要所に境界標を打ち込む、ということに落ちついた。要所とは大体神馬谷、ナマコ山、赤子谷などである。

 この協議に附随して、阿品の奥の村有林を間伐する問題についても審議された。その結果、
一、間伐本位に切ること。
二、伐採は阿品部落の希望者のうち出来得る限り経験者とすること。
三、間伐に対する日当は出さないが、切った木は個人の取得とする。
四、無暗に切ってはならないので監督者を一名つける。

 伐採者を阿品部落の経験者としたのは、間伐現場が大変困難を極める所なので、実際問題として考慮が払われたわけである。

 今一つ当日協議されたのは、スリコギ谷及び長サコの谷の立木売却についてであった。これは、三月二十日に指名競争入札することに一致し十三名の指名、その他入札日に関する重要事項等が決定された。
by hirosan_kimura | 2015-01-21 14:19 | 地形 | Comments(4)