素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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 先日、JR阿品駅下りすぐ傍の線路脇法面崖の樹木などが綺麗に伐採された。この法面は樹木が生い茂り蔓などが木に巻きつき地形が良く分からなかったが、整備されたので崖を掘削した当時の様子が良く分かるようになった。

 この場所は阿品の山が谷別れし何本か海岸まで延びていた峰の一つであったが、明治29年(今から118年前)に山陽鉄道(今のJR)の線路を敷設する際、海に向かって突き出ていた山際を削ったもので地肌は当時のままの面影を残している。

 当時は写真の崖地の上には山が続いていたが、昭和40年代に造成された住宅団地「ふじタウン」の工事により山が削られ住宅地となった。

e0125014_149102.jpg 山が削られ崖地となった場所は、左図の赤線部分である。

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 今から460年前、毛利軍と陶軍が戦った厳島合戦の際、阿品附近にはたくさんの戦死者が流れ着いた。漂流した戦死者を弔うため旅の僧がこの附近に小さなお寺を建てたので、この地を阿品の人々は「阿弥陀坊」と呼称していた。

 地御前の人々は海岸の小島や海に突き出た岬を「小坊主(こんぼうず)」と言っていたが、地御前の「金剛寺二つ山」「観音山」「沖山」と阿品の「火立岩」「神馬の鼻」「田尻山鼻」とともに「阿弥陀坊」を合わせて、地御前の「七小坊主」と称していた。

 またこの崖裾に阿品の「火葬場」もあった。火葬場と言っても特別の施設は無く野焼きに近いものであったらしい。この火葬場は明治17年9月に鰆浜へ移転している。この火葬場も昭和43年1月に町営火葬場「霊峯苑」の完成とともに廃止された。

 かつては火葬場もあった辺鄙な地であったこの場所も、JR・国道・広電の自動車や電車が行き交い、山の上には「ふじタウン」、海側には「鼓ケ浜」の住宅やマンションが立並び大きく変容している。
by hirosan_kimura | 2014-09-23 15:06 | 地形 | Comments(4)