素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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平成7年6月 廿日市市議会 H議員の一般質問

 ナタリーの閉鎖とその後の影響についての質問する。

① 平成8年から平成13年まで毎年(マンションを)ずつ建設し、販売される予定と聞いている。この期間に入居され、廿日市の人口増ともなるわけであるが、学校建設、特に阿品台西小学校は十分対応できるかどうか。

② 下水道処理施設はどうするのか。串戸の廿日市浄化センターとの接続はいつごろになるのか。

③ ナタリーの閉鎖に伴う廿日市市の経済的損失はいくらぐらいになるのか。財政面にこうむる損失は幾らぐらいになるのか。

④ ナタリーに現在ある遊具類の一部を例えば迷路とかを廿日市市のアルカディア敷地内に移設する考えはないか。


市長答弁

① 計画どおりマンションが建設されても、既存の施設で対応ができるが 建設年次が未定であるので、今後業者との協議をしていく中で、具体的な対応を考えていきたい。

② 公共下水道の事業認可区域外であることや、現在の幹線整備の状況からも当分の間、公共下水道への接続は困難である。
 事業として行なう場合は、開発区域内に事業者が汚水処理施設を設置し、公共下水道に接続するまで維持管理を行なうこととなる。

③ ヒロシマナタリーの平成6年の推定観光消費額は8億3,000万円と思っている。 
 従業員数は通常約20人と夏のシーズンにはアルバイトが100人から120人となっている。
 飲食関係のテナントも5軒あり、その従業員数が通常10名から15名、シーズンには50名から70名程度ある。
 本市の観光消費額9億5,600万円のうち、ナタリーが8億3,000万円であるから、非常に減少・減額となる。雇用面からも220名ぐらいの雇用関係の問題が起きてくる。

④ ナタリーの遊具であるが、アルカディア創出事業は自治省のリーディングプロジェクトとしての採択を受けている。採択を受けるに当り特定政策課題が与えられている。これらの課題を十分考慮しなければならない。
 利用可能な遊具があったとしても、移設費用や維持管理に多大な経費を必要である。
 また遊具の大部分はほとんどリースである。現在の計画では設置場所がなく、新に設置場所の確保も必要であり、ナタリーの遊具の移設は非常に困難でないかと考える。
by hirosan_kimura | 2014-07-28 13:32 | 経済 | Comments(0)

№646 調整池

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 このブログ№99で「阿品のダム」を紹介した。地元では「ダム」「調整池」とも呼称している。この調整池は農業用ため池との兼用で昭和50年11月に完成している。

e0125014_11132556.jpg この調整値池は阿品台ニュータウン造成時に造られ、団地の西側98㌶の流域から流れる雨水を調整し下流に放流している。

 調整池の貯水面積は約8,600㎡で平常時の水深は約4・6㍍、満水時の水深は6・6㍍で見た目よりは深くないようである。貯水量は4万2,500立方㍍とされている。

 この貯水池は団地内に大雨が降った際、一気に下流に大水が流失しないよう水量を調整しながら放流しているが、阿品二丁目地内の田畑などの灌漑用水の役目を果たしている。

 しかしこの調整値池の完成時には下流にたくさんの田畑があったが、JR駅の新設などによりこの地の利便性が増し、田畑を埋め立てて住宅地が造成され残された田畑も僅かとなってしまった。

 流出水の調整機能としての役割は残るが、溜池用としての役割は近い将来には終わるのではなかろうか。

 ダムが完成して誰かが放流したのか鯉などが繁殖し、子どもたちがダムの周辺で魚釣りをしていたが、遊んでいた子どもが溺れ死んでからはダム周辺は立入禁止となっている。

 また堰堤の脇に歩行用階段があり、阿品駅を利用する廿日市西高校の生徒や地域の人達が利用していたが、この通路も防犯上の理由から閉鎖され、ダム周辺には近づく人も無くひっそりとしている。

 しかしダム周辺の法面には自然の樹木が残された場所もあり、小さな湖水ではあるが水鳥などが遊泳していることもある。

 周辺が開発し尽くされた阿品ではあるが、唯一残された広い空間ともいえる。
by hirosan_kimura | 2014-07-24 11:51 | その他 | Comments(4)
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 本日は毎年恒例の海のクリーンアップ作戦が行なわれた。この作戦は平成5年に第一回目が行なわれ、和歌山県から大分県に至る瀬戸内海に面した県で一斉にに海の清掃が行なわれる。廿日市では地御前神社前と阿品のお上がり場周辺で清掃に取り組んでいる。

e0125014_11365277.jpg 第一回目が行われる際、生活環境課に属していたので最初から拘わっていた。初めての取り組みで戸惑うばかりであったが、大勢の人に参加してもらうため、町内会・子ども会・老人クラブ・その他の団体に呼びかけた。 予想以上にたくさんの人に集まってもらい主催した方がビックリするくらいであった。

 海のゴミは海草などが浜に打ち揚げられた物も多いいが、相変わらず牡蠣養殖による廃棄物、針金・プラスチック管・発泡スチロールの残骸などが特に目立つのは、以前も現在も変わりない。
by hirosan_kimura | 2014-07-19 12:02 | その他 | Comments(0)
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 学校は今日で一学期が終わり来週から夏休みに入る。夏休みは昔の子も今の子も楽しみであるが、今の子は家族で旅行に行ったりするが、昔は家族旅行などする家は僅かで、近所の子どもたちと朝から晩まで勉強もせず遊びまわるのが普通であった。
 
今でも夏休みの思い出として残っているのは、小学校五年生の時に子ども・先生・母親などで宮島の裏にキャンプにいったことである。

 キャンプと言えば今では立派なテントや炊事道具・シェラフなど何でもあるが、当時はそんな便利なものは無かった。炊事は家で普段使う鍋や釜を使い、煮炊きは転がっている石を並べ小枝などを拾い集め行なった。

 テントは家庭で使っている蚊帳で代用し雨でも降れば大変なことになるが、幸い天候に恵まれ蚊帳の中で夜遅くまで皆と大騒ぎをしながら寝た。

e0125014_918341.jpg 炊事は殆どの母親が付添いで来ていたので、子どもたちが遊びまわっている中母親たちが作ってくれた。食料も現在のような保存食も無く単調なものであったが、子どもたちはいつもと違う環境の中で美味しく頂いた。

 母親たちは炊事以外のときは木陰に茣蓙をを引き寝転んで、皆で他愛の無いおしゃべりに華が咲いていた。普段は家事や仕事などでゆっくり出来る時間も無いので、こんな何でもないくつろぎの時間を持っただけで、「命の洗濯が出来た」と喜んでいた。

e0125014_919571.jpg キャンプをした浜辺は砂浜と松林があるのみで勿論水道施設などは無い。炊事に必要な水は海水を使ったが、米を磨ぐのは浜辺の海水で子どもたちが行なったが、普段と違うので面白がって米を研いだ。

e0125014_9192915.jpg 地御前漁港からキャンプをした砂浜までは同級生の家庭が牡蠣養殖をしておられたので、牡蠣の作業船に乗せてもらい行った。今の時代なら小さな船に大勢が乗れば危険だと許可も出なかっただろうがのんびりした時代であった。

 潮の良いときに地引網をしたが、取れた魚は小さなものまで大はしゃぎで拾い集め、海水で骨や内臓を皆で取り除き焼いたり煮つけにして食べたのも忘れられない思い出である。

e0125014_9195130.jpg 宮島は神の島と言うことで農業も許されていなかったが、戦後の食糧難の時代に開拓の人が入植され、キャンプをした浜辺の山裾にも数件の農家があった。

 この地は土地の関係か米を耕作することが出来ず、持参した米を持っていくと喜んで野菜や西瓜などと交換してもらった。米と交換した西瓜で西瓜わりを皆としたのも楽しい思い出である。

 楽しいひと時はあっと言う間に過ぎ去り、子どもたちや母親には忘れられない楽しい思い出として残ったが、引率された先生方はキャンプが終わり地御前港に到着するまで、事故は無いかと緊張ばかりであっただろう。

 キャンプに引率された先生の多くは既に亡くなり、子どもたちの中でも何人かはこの世を去っておられる。

 キャンプをした入浜海岸は、白い砂浜と鬱蒼とした松の木が生い茂り、これぞ「白砂青松」と絵に描いたような美しい景色であったが、今では松枯れで浜辺の松の木は一本もなくなり悲惨な風景に変わってしまった。
by hirosan_kimura | 2014-07-18 10:57 | 子どもの生活 | Comments(2)
e0125014_14383548.jpg 明治30年、今から117年前の地御前村の人口は男1,443人・女1,362人で計2,805人であった。

 生年毎の資料によれば、明治30年生まれが当然0歳で遡ること慶応・元冶・文久・万延・安政・嘉永・弘化・天保・文政・文化生まれと遡り,まるで時代劇に出てくる年号が続く・

 一番高齢者は文化12年生まれで82歳、何れも女性の方である。82歳といえば今と比較すると驚くほどの高齢者ではないが、現在の平均寿命男79・94歳・女86・41であるが、当時の平均年齢は男42・8歳・女44・3歳から比べると相当の長生きであったのであろう。
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 現在少子高齢化が進み日本の未来が危惧されている。117年前の地御前村の年齢構成と比較しても参考にはならないだろうが、当時の地御前村の未成年者は45㌫を占めていたが、現在日本全体の未成年者は17㌫に過ぎない。

 60歳以上の高齢者は地御前村が6.3㌫であったのに対して、現在の日本全体では31・3㌫を占めるすさまじさである。

 現在日本人全体の年齢を均すと44・9歳であるが、当時の地御前村は平均年齢26・1歳となっている。単純に現在と比較しても意味はないが、60歳を過ぎれば立派なお爺さんと呼ばれていた時代で、今のような医学も進んでいず早死にをしていたのであろう。 

e0125014_14401458.jpg 統計上15歳から64歳までを生産年齢と言うが、当時と比較すると生産年齢者の比率は余り変わっていない。しかし14歳未満の比率は、今と比較すると驚くほど高かった。

 反対に高齢者の比率は当時と比較すると、驚くほど高くなっている。
by hirosan_kimura | 2014-07-14 15:36 | 人口 | Comments(0)
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 鰆浜の海岸は干潮になると沖合いまで磯が広がり、あさりを掘りに行くと子どもでもたくさん採ることが出来た。火立岩に近い磯では大貝・ミル貝なども面白いほど採れていた。お上がり場に近い浜辺ではたくさんは採れなかったが、蛤(はまぐり)が見つかることもあった。

 浜のすぐ沖の水中には藻もたくさん生えており、えびやたこ・小魚などもいて夏の夜にはカーバイトの灯りで浅瀬を網を押して行くと獲物が獲れ、この漁りを楽しみにする人もあった。

 夏の蒸し暑い夜に堤防で夕涼みをしていると、闇夜の中を漁火が行き交い夏の風物詩でもあった。

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 昭和43年には西広島バイパス工事のため、道路の拡幅・広電の移設・堤防沿いの道路の新設用地として、海岸沿い長さ920m・巾最大35mの埋立が行なわれた。埋立面積は7,268㎡であった。

 昭和49年には無くなった浜辺を再生するため、沿岸漁業改善事業により鰆浜沖に人口干潟が造成された。干潟には山砂が入れられこれによりあさりなどは消滅してしまった。

 人口干潟には牡蠣の稚貝を育成するため、竹ひびがたくさん建てられた。あさりの稚貝も放流されたが浜は山砂のせいか元のようにたくさん増えることもなかった。

 人口干潟は工費8,600万円でフジタ工業が造成した。

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 昭和43年に人口干潟造成された人口干潟も、埋立てにより潮流が変わったせいか搬入された砂が沖合いに流され浜はやせ細るばかりであった。

 このため平成8年に人口干潟改修整備工事が行なわれた。この工事は南北延長700㍍・東西巾95㍍、工事面積6・7㌶の干潟の整地や牡蠣棚の復旧が行なわれた。

 また土砂の流失を防ぐため沖合いに土止溜堤が新設された。この堤は基礎捨石の上に巾4・2㍍・高さ2・5㍍のコンクリートブロックを設置し、沖側には波除の被覆石が積んである。

 この堤は2ケ所設けられそれぞれ延長182・25㍍と115㍍あり、総延長297.25㍍となっている。

 これらの工事は工費3億6,668万円で五洋建設が施行した。

 これらの工事により浜辺の砂の流失は止まったが、あさりなどは以前のようにたくさん見かけられない。潮の良い時にはたくさんの人達が潮干狩りを楽しんで居られるが、掘れるあさりはほんの僅かで貝を入れたバケツの底が見えるくらいで、見ていて気の毒なような人もある。
by hirosan_kimura | 2014-07-08 13:27 | 鰆浜 | Comments(2)

№641 釈迦の寝姿

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 日本三景の一つ、世界遺産にも登録された宮島は阿品の目の前に浮かび、原生林の緑に覆われ美しい風景である。その稜線は凹凸し変化に富んでいる。

 この稜線は見る方向により、釈迦の寝姿・観音さんの様にも見られ昔から神の島として崇められている。

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 どの方向から見るのが釈迦の寝姿に相応しいのか分からないが、阿品の海岸から見えるのは宮島の山の中央当りの左側が頭で、真ん中辺りが鼻と唇に見える。

 見方によっては数年前の豪雨で崩壊した、白い山崩れの跡が目にも見える。

 阿品から眺めるより五日市か西区の方から眺めるほうが、よりお釈迦様の美しい姿が見えるのかも分からない。

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 人によっては、裸の女性が横たわったように見えると言う人もある。神の島を女体に例えるのは恐れ多いことであるが、そう言われば女体に見えないこともない。

 右側が頭で、出っ張った顎があり中央部分が乳房で、左に腹部から足に続く。

 この女性は顎が出っ張りすぎで首は短く足もスマートでなく、余り美しい女性には見えない。

 違った方向から見れば、もう少し美しい女性に見えたり、他の形に見えるのかも分からない。
by hirosan_kimura | 2014-07-06 10:24 | 地形 | Comments(0)