素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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 鰆浜の県病院は昭和47年3月に廃止され,以来42年間空き地のままであった。この間跡地には様々な施設の案が浮上しては消えいずれも実現に至らなかった。

 その後、県職員が野球やテニスなどに利用することもあったが使用する回数は限られ、地域のでの盆踊り・とんど・高齢者がゲートボールに使うぐらいで永らく放置されたままであった。

e0125014_13402477.jpg 最近になって県有地売出しの幟や看板が設置された。地元では跡地にマンションや戸建住宅が建てられるなど噂をしていたが、やっと県が売出しに動き出した。

 この地を売出すに先駆けて土質調査が行なわれ、極狭い部分であるが水銀が検出されたそうである。 
 
 検出された場所は病院時代に塵芥を処理する施設が有ったらしく、今ほど規制の厳しくない時代であったため医療廃棄物の処理がずさんに行なわれていたらしい。

 汚染された場所の土は掘り起して処理をするらしいが、極狭い場所に限られ大きな支障はないらしい。

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 設置された看板によると、近々一般競争入札により業者が選定されるようである。

 面積は11,498.73㎡(約3,400坪)とある。以前県病院跡地は16,500㎡と紹介したことがあるが、今回の売出し面積と約5,000㎡の差がある。

 これは恐らく県が阿品台ニュータウンを整備した際、地元対策として周辺道路の整備・公園の新設・集会所用地の確保に県病院用地を充当したものであろう。

 阿品地域は前は海に面し、後方は山を控え平地が限られている中で、県病院跡地は最後に残された纏まった土地と言えよう。

 鰆浜地区も他に漏れず高齢者が増加し、子どもが少なくなりかつての様な活気が見られないような気がする。

 跡地に何が出来るのかはわからないが、たくさんの住宅が建てられ子どもたちの歓声が溢れるような町になって欲しいものである。
by hirosan_kimura | 2014-06-29 14:17 | 鰆浜 | Comments(0)

№639 台風の被害

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 昭和30年9月21日に発生した台風22号(ルイーズ)は9月29日に鹿児島県薩摩半島に上陸し、日本各地に大きな被害をもたらした。北陸地方にも強風が吹き荒れ、新潟大火の原因にもなっている。

 瀬戸内海沿岸でも突風や強風が吹き、満潮時とも重なり各地で大被害が発生した。山間部では豪雨となり山崩れや河川の氾濫により、田畑や家屋に甚大な被害を蒙った。

 地御前では扇新開や宮内側護岸・地球館沖・地御前港に面する中国石油沖などの堤防が破壊され甚大な損害が発生した。

 阿品では火立岩附近の電鉄海岸で、堤防が延長50㍍くらい損潰している。またお上がり場海岸の護岸が延長50㍍、雁木一箇所が破壊された。阿品新開も冠水などの被害を受けている。

 10月3日には台風23号が通過し、沖山西側の堤防2箇所延長50㍍が決壊しさらに大きな被害をもたらしている。

 阿品は海岸線に面しているため、台風の都度堤防などが決壊しているが、その度に広電の電車が不通になっている。

 台風22号が来襲した時は小学校5年生であったが、家の近くの頑丈なコンクリートの堤防が破壊されたのを目の当りにして驚愕した記憶が残っている。
by hirosan_kimura | 2014-06-16 10:39 | 災害 | Comments(2)
e0125014_1491641.jpg 昭和4年、地御前村の車等を調査した資料がある。

 昭和4年当時の国道は明治12年に開通した旧国道のままで阿品附近は海岸沿いに整備されていたが、地御前神社から東は地御前の町の中古い道路を通っていた。新しい国道が整備されたのは昭和7年であった。

 明治30年に山陽鉄道が開通しているが、当初「地御前停車場」が設けられる予定であったが、地元の大反対により地御前を通過して大野の赤碕に駅が設けられた。JRの阿品に新駅が設置されたのは平成元年になってからである。

 広電の宮島線は大正14年に地御前駅が設置されている。同時に今の阿品一丁目の東海岸から宮島に渡る連絡船が就航している。翌年大正15年に宮島航路渡船場のそばに宮島線の「新宮島駅」が開業している。当時は当然今の「阿品駅」「阿品東駅」も無い。

 昭和5年1月には、己斐~宮島口間に乗合自動車が開通し地御前・鰆浜(今の阿品一丁目)にバス停留所が設けられている。

 昭和4年の地御前村の車等の調査によると、「馬車 乗用0・荷積用1台」「牛車 0」「荷車 129台」「自動車 乗用0・荷積用0」「人力車 0」、自転車は「自動 乗用0・荷積用0、通常 乗用141台・荷積用0」となっている。

 自転車が自動と通常に分かれているのも面白いが、自動とはは今のバイクのようなものを指し通常とは人がこぐものであろう。

 その他「一輪車 33台」「無税車 2台」とある。一輪車とは今の鋼鉄製でタイヤの付いたものでなく、木製の猫車のことであろう。以前は良く見かけていたこの猫車も今では見かけることもなくなった。無税車とはどんなものを指すのか不思議である。

 調査項目に「牛車」「人力車」の欄があるのも珍しいが、この時点で地御前村に自動車が一台も無いのも以外である。 

 現在では各家庭が自動車を所有し、JR阿品駅・広電停留所も新設され移動手段も格段に便利となっているが、今から85年前には人の移動も荷物の運搬も人力による場合が殆どであった。
 
 小さい頃にお年寄りから、隣村に行くにも歩いて行くのは歩いて行くのが当たり前であったと良く聞かされていたものである。
by hirosan_kimura | 2014-06-14 15:25 | 交通 | Comments(0)