素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№540 貴重な警報機

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e0125014_11435388.jpg  広電阿品駅と広電宮島口駅の間に「「田尻第二踏切」がある。合併前の廿日市市と大野町境付近である。この踏み切りは、渡ったところにあるヨットハーバー専用踏切のようで一般の人が渡ることはまずない。


e0125014_11443350.jpg  この踏切の警報機は一見何の変哲もないようであるが、全国的にも珍しい警報機らしい。

  電車が近づき警報が鳴ると赤い照明が点滅するがこの警報機は電球式である。最近の警報機ではほとんどが発光ダイオード(LED)が使われているが、電球式の警報機が残っているのは広電では田尻踏切のみらしい。ただし井口のJRと共用の踏切には電球式の警報機があるらしい。

  また最近では、電車が近づいた時の警報音は、警報発生器から警報機上部に設置されたスピーカーから電子音を発生させて、列車の近づいたのを教えている。

 しかし田尻第二踏切では、警報機上部に設置されている警報音発生器から、直接機械的に音声を発生させる電鈴式で、ゴング式とも言われている。この方式は音量調整が難しいらしい。

  最近では騒音対策で電子音式に更新され、JR各線ではすべて新しい方式に更新されている。私鉄でも大都市を中心に更新され、電鈴式はほとんど見られなくなっている。

e0125014_1145289.jpg  田尻踏切の警報機支柱の頭部に黒い塊が見られるが、この中に電鈴があり電車が近づくと電鈴を打って音をだしている。

  警報機が鳴っている時、近づいて良くみると電鈴を打つ振動で支柱が震えているのが分かる。

 普段何気なく見ていた田尻第二踏切は、点滅装置も警報音も他ではほとんど見ることの出来なくなった警報装置が残されているのである。
by hirosan_kimura | 2013-04-23 12:19 | 広電 | Comments(4)
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 阿品台西小学校は4月9日に入学式が行なわれ、97名の新一年生が入学してきた。今年度当初の全校児童は532名である。
 小学校入学前の保育園や幼稚園の登園は、保護者が付添っていたが小学校では子どもたちのみで登下校を行なわなければならない。朝の登校は上級生と一緒に行けるが、終業時間の早い一年生は子どもたちのみで下校しなければならないので、下校路毎にグループ編成し地域の人が各2名程度付添うこととなった。
 先週は学校給食が無いので昼前に小学校に集合し、今週は給食終了後の1時30分頃学校を出発した。
 来週からは新一年生も午後の授業が始まり、上級生たちと一緒に下校するのであろうか。

e0125014_14481622.jpg 担当したのは三丁目・四丁目のグループであったが、この地区はマンションも多いので20名以上の新一年生がいる。先頭と最後に大人たち付添ったが、学校を出発する時は二人づつが手をつなぎ二列で整然と歩いていても、その内手を離したりかけりだす子もいて、大声で注意するも中々言うことを聞いてくれない。

 その内、子どもと子どもの間が大きく離れたり、座り込む子どもがいたり中々大変である。大勢の子どもを担任する先生の苦労が偲ばれる。家の近くになると保護者が出迎えており、子どもを親に引渡すと緊張がいっぺんに緩む状況である。

e0125014_2115302.jpg いちごグループは小学校から比較的近い「県警宿舎」まで帰る子どもたち。







e0125014_211666.jpg みかんグループは宮島口東・宮島口上に帰る子どもたち。このグループはおおの東小学校区であるが、阿品台西小学校が近いので校区越えて通学する地域である。






e0125014_2116292.jpg メロングループは阿品二丁目の沖側の子どもたち。








e0125014_21172121.jpg ももグループは小学校すぐ傍の「県営住宅」の子どもたちであるが、隣接の阿品台山の手・福面の子どもたちも含まれる。





e0125014_21174848.jpg りんごグループは阿品二丁目奥の子どもたち。

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 午後も授業のある上級生は休憩時間中で、グランドを走り回って遊んでいる。
by hirosan_kimura | 2013-04-20 11:53 | 幼小中 | Comments(0)

№538 阿品の葬式

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 家の人が亡くなると大野や阿品から遠く離れた親戚や知人に知らすのに、当時は電話など普及していないので近所の人に頼んで、徒歩や自転車で連絡をしてもらっていた。これを阿品では「飛脚」を頼むといっていた。

 葬式の準備や手配は「講」の人がすべて行なっていた。阿品の講は東組と西組の二つに分かれていた。講の女性たちは葬式の料理を作るのにおおわらわであったが、献立はほとんど決まっており煮物・素麺・酢の物・あらめ・味噌汁などであった。意味は良く分からないが、おひら・おつぼ・おせんなどがあったと言う人もある。あんぱんも付いていたらしい。

 平釜でご飯を炊いていると子どもたちが集まって来て、おこげが出来るのを待っていておこげに砂糖や塩をまぶしてもらって食べるのが楽しみであったそうである。

 男たちは葬儀の準備が主であったが、亡くなった人の家には二本の竹に紙で飾り物を付けたものを家の入口に立て、野辺送りに行く時はその飾りを葬列にかざして火葬場まで行っていた。

 葬列には亡くなった家の人・親戚・近所の人・知人などが同行して長い列で鰆浜の火葬場まで行っていた。子どもたちも葬列に参加したが、お菓子が貰えるのが目的で葬式があるのが楽しみだったらしい。

 火葬は近所の人たちが薪を燃やして行なっていたが、火葬場での儀式が終わると野辺帰りで家の人や親戚
の人たちが会食を行なうので、その接待で近所の手伝いの女性は大忙しだった。火葬を手伝った近所の人々は隣家で相伴にあずかり、酒なども出て大騒ぎをすることもあったらしい。

 火葬場に残った人はしばらく火葬の様子を見ていたが、火葬の途中で遺体が海老のように曲がり起き上がったようになることもあるので、この時はスコップで遺体を叩きつけ元に戻すこともあったそうであるが、いくら遺族が見ていないと言え随分と乱暴なことをしたものである。

 翌日、火葬をした人は遺族が骨拾いに来る前に火葬の状況を下見にいったが、たまに遺体が半焼けのこともあり再度焼き直すこともあったそうである。

 この話は阿品のある高齢者から聞いたものであるが、半分冗談で作り話もあるかも分からない。

 上の写真は嘉永二年六月生れの祖母の葬儀写真の一部であるが、葬儀の年月は分からない。
by hirosan_kimura | 2013-04-12 14:02 | 冠婚葬祭 | Comments(4)

№537 県病院跡地

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 県立地御前病院跡地は面積約16,500㎡で阿品で唯一まとまった広さの空き地である。

 昭和15年頃より田んぼ等を埋立、昭和18年9月に「教員保養所」が開設され、昭和26年6月に「広島県立地御前病院」に移管され、昭和47年3月に廃止された。

 以来未利用で空き地のまま残され、地域の「とんど」や「盆踊り」などに利用され、敷地の一部は県職員の福利施設として野球やテニスなどに使用してきたが、利用される日数は年間でも僅かな日数に限られていた。

 この広い空き地も県の財政難により処分されることとなり、長年地元で自由に使ってきた空き地が本年3月末で利用できなくなった。

e0125014_9233085.jpg 跡地は何に活用されるのかは分からないが、最近正式に土地の測量が行なわれ敷地周囲の至る所に敷地境界の標識が埋め込まれ、いよいよ処分のための準備が開始された。

 地元では、民間に払下げられ住宅地にでもなるのではないかと噂されている。

 鰆浜地区もご多分に漏れず、高齢者が増え若者が少なくまるで「高齢者部落」だと言う人もある。子どもが少なく子ども会の運営にも支障を来たしているらしい。

 この地に住宅がたくさん建てられ、若者や子どもたちで溢れ活気のある部落になれば望ましいが、果たして県病院跡地は何に生まれ変わるのであろう。
by hirosan_kimura | 2013-04-11 13:07 | 鰆浜 | Comments(0)