素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№499 古地図

  阿品付近が描かれた古地図を探すがなかなか見つからない。日本では古くからたくさんの絵地図が発行されているが、阿品付近を詳しく記したものはほとんど無い。広域的な古い絵地図を阿品近辺で拡大してみた。勿論、阿品の地名も掲載されていないし、海岸線も極めて大雑把に記してあり詳しい地形は判別出来ない。
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 西国筋海路絵図より 寛文8年  1668年

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 西国海路之図より 延宝5年 1677年

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 日本図より  元禄年間

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 大日本沿海図より  文化8年  1811年

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 本朝図鑑網目より  貞享4年  1687年

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 官板実測日本地図より  慶応3年  1867年

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 江戸長崎間道中絵図より  発行年不明

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 船路図より  発行年不明

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 江戸期航路図  発行年不明
 この図は尾道市の旧家で新しく発見された屏風絵で、先日の中国新聞にその様子が掲載されていたものである。
by hirosan_kimura | 2012-11-15 14:32 | 地図 | Comments(2)
e0125014_13574942.jpg  大正15年に【広電沿線案内」が発行されている。はしがきとして、「廣島瓦斯電軌株式会社経営の電鉄は一は軌道として中国の大都市廣島市内を運輸交通に当り、一は市の西端己斐町より西南に延びて風光明美なる瀬戸内海沿岸の地を走り、山紫水明天下に絶景を知られる厳島に風雅行策の客を送る画して、車輪の印する所随所名所史跡に富み曳杖の地すくなからず。今序を写真と共に各所の駅域を紹介せんとす。」

 鰆浜(現在の阿品一丁目)にあった終点駅の説明は
 
新宮島駅 己斐町より卅一分
 現在宮島線終点にして厳島行連絡機船の乗換駅なり。前は漂渺(ひょうびょう 果てしなく広い)たる内海の風光を望み、厳島の秀峰眼前に浮かんで、呼べば答へん計りなり。眺望頗る佳。

火立岩
 駅の西方にあり。弘治元年厳島合戦の時、毛利水軍発船の地として名高く、又厳島神社管絃船此處にて燈を張り火を点ずるを古例とす。
 連絡船宮島丸に乗りうつれば、海上辷るが如く僅か廿分にして日本三景の一なる神仙境厳島に至る。其間の風光の妙なる筆紙のよく書す所にあらず。
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 路線案内の末尾に広告が掲載されている。大半が広島市内のものであるが、旧廿日市町内のものも若干ある。地御前関係のものは4業者がある。
e0125014_13594265.jpg 地宮館は地御前神社前の浜辺にあった。海水浴シーズンは随分賑わったらしいがいつの間にか閉鎖されたらしい。
e0125014_1401534.jpg 中井の石風呂は地御前の後山にあったが、昭和30年代くらいに閉鎖されている。
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カネサ醤油も清酒「活力」も今は無い。
by hirosan_kimura | 2012-11-13 15:02 | 広電 | Comments(0)