素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№497 沖島橋

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 この写真は昭和35年3月(今から52年前)に沖山橋で撮影されたものである。ブログのネタ切れに困っているのを知ったある方より提供していただいたものである。

 旧国道は電車軌道より山側にあったが、昭和5年に工事の始まった新国道はこの付近より海側に新設されることとなった。沖山橋は電車軌道と国道を立体交差させるために新設されたものである。

 今でこそ道路の立体交差は至る所で見られるが、当時としては画期的なことでこの工事は随分と難工事であったらしい。

 この写真の橋は新国道新設当時のままである。橋の奥右側に山を削った一部が小山のように残っている。小学生の頃、この小山の麓で水晶を採って良く遊んでいた。

 奥の左側は山を削った跡が崖のように残されていた。この地を利用して射撃訓練が行われていた。アスファルトのような材料で出来た小皿状のものを機械で飛ばし、それを的にして射撃訓練が行われていた。

 弾が命中するとこの小皿はバラバラになるが、たまに弾が当たらないで草むらなどに落ちていることがあったが、訓練が済んだ後にこの小皿を拾い集めるのが楽しみであった。しかし小皿を集めるだけで何かに活用する訳ではなかったような気がする。
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 この写真は撮影したアングルが少し違うが、上の写真と同一場所のものである。橋は当時のままであるが、舗装の上に舗装を重ねているので路面が少し高くなり、欄干の高さが少し低くなっている。

 周辺の背景は随分変わり、小さな小山は削られすぐ傍にマンションが建てられている。橋の左側には西広島バイパスの出口のため道路が新設されている。

 左側の崖は階段状に整地され、「光が丘」と言う小さな団地が造成されている。

 すぐ傍のの海側には沖山と呼ばれる鬱蒼と木々が繁った小山があったが、ここも削られてしまい周辺の風景は一変してしまった。
by hirosan_kimura | 2012-10-20 15:52 | 国道 | Comments(2)

№496 小学校の遠足

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 この写真は昭和29年春に、地御前小学校の子どもたちが遠足で「チチヤス」に向かっている所である。

 地御前を離れて数十年、現在京都に住んでおられる方が偶然このブログを見られ、ネタ切れで困っていることを知って提供して頂いたものである。

 場所は鰆浜の観光道路で今は無い「火立岩」付近である。正面の山は沖山であるが、今では削られて殆ど面影は残っていない。右側の柱は広電の電柱。左側は鵯山(ひよどりやま)の法面である。

 中央は国道であるが当時は観光道路と呼んでいた。全面が白ぽっく見えるが、中央のみコンクリート舗装され両側が2mくらい土のままであった。

 この写真でも分かるように自動車は一台も見えず、たまに車が通過するくらいなので道路わきを子どもたちが手を繋いで歩いても危険ではなかった。

 今の子どもたちの遠足は何処に行っているのか良く分からないが、当時の地御前小学校の遠足は「速谷神社」「海老山」「桜尾城跡」「チチヤス」「大野の滝」「宮島」が定番であった。

 当然バスなどで行くのでなく一年生でも歩いて行くのが当たり前。宮島に行くときも桟橋までは歩いて行っていた。上の写真でも分かるように一年生は六年生の子と一人づつ手を繋いで行っていた。

 小学校から東方面に行く時は何とも思わなかったが、西方面に行く時は阿品から小学校に集合し、また引き返して家の前を通って行くので、阿品の子ども達は家の前で皆が来るのを待っていれば良いのにと思っていた。 その代わり帰りは阿品で解散させてもらえるので、地御前の子ども達は羨ましがっていた。

 当時の子どもたちからみれば、今の子どもたちの食べ物は毎日が大ご馳走に見える。当時の弁当は今の子どもたちから見れば貧しいものであるが、粗末な弁当でも日ごろ食べるものとは違うので弁当を食べるのが大きな楽しみであった。
by hirosan_kimura | 2012-10-16 10:37 | 幼小中 | Comments(0)

№495 地御前絵葉書

 今回も阿品ではないが、地御前の古い絵葉書を紹介する。発行年ははっきりしないが大正十四年頃ではないかと推測される。絵葉書の写真には全て「要塞認可」と入っている。
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 地御前全景
 中央は地御前小学校の旧校舎である。昭和26年に入学した時はこの校舎であったが、4年生の頃新しい校舎に改築されたような記憶がある。手前には藁屋根の民家も見える。扇園周辺には建物が見当たらず、田んぼか畑ばかりである。
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 観音堂
 手前に藁屋根の民家も見える。かつての観音堂は小高い丘の上にあったが、今ではこの丘も削られてしまい平地にお堂がある。
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 明神浜
 地御前神社傍のJR踏切を渡ったあたりである。すぐ前には海の砂浜がある。小学校から家に帰る途中でこの大きな松に登って遊んだ思い出がある。右手は地御前神社の前辺りであるが、浜辺には小船が停泊しており、良くみると海には飛び込み台が見える。かつてはこのあたりは海水浴場で、夏になると広電の臨時停車場が設けられ、広島方面からたくさんの海水浴客が遊びに来ていた。
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 養魚場ノ沙魚釣リ
 広電地御前電停前の国道沖で、今でも僅かに当時の面影が残っている。沙魚(ハゼ)
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 汐干狩ノ一
 現在料亭が建っている辺りである。右側は沖山で、遠く微かに弊司岩が見える。
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 汐干狩ノ二
 場所ははっきりしないが、岩礁が見えるので沖山の沖辺りであろう。
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 海水浴場
 地御前神社の前。背景左側は沖山。右側に田屋の家並みが見える。
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 聖覧場ヨリ火立岩ヲ望ム
 この写真は阿品に残る数少ない古い写真の一枚なので、今までも何回か紹介したものである。中央が火立岩。旧国道が海岸より僅かの高さしかないのが覗える。
by hirosan_kimura | 2012-10-10 13:19 | 写真 | Comments(2)

№494 地御前神社

 阿品の資料も無いので、今回は阿品には関係ないが「地御前神社」を紹介して見る。
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 これは地御前神社付近を描いた絵図である。年代は分からない。神社の前はすぐ海岸で海中に木の鳥居が建っている。神社左側の川の海岸沿いに大きな松の木が一本描かれているが、昭和30年代終わりごろには残っており、この松のすぐ前を通って毎日小学校に通学していた思い出がある。
 阿品は左手の山の裏側になるが、左端に「火立岩」が描かれている。
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 神社が老朽したのか無くなっていたのかは分からないが、明治四十年に神社再建のための寄付が集められている。神社再建に当たっては、地御前より海外に移住されていた人より多額の寄付があったらしい。
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 神社再建の図とあるが、「拝殿二宇ハ旧藩主ノ建立」と「拝殿再建 横十四間 縦五間」と小さく書いてある。この図では木製の鳥居が海中に建てられているので、計画では海の中に鳥居を建てる予定であったのだろうか。
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 「地御前神社上棟式奉祝記念」とある。
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 神社前に大勢の人が見えるので完成の記念式典でも行われているのであろう。鳥居は地上に石造りで建てられている。
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 神社横の記念碑前のものであるが、記念碑の完成式のものであろうか。
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 神社前の海水浴場の写真である。年代は分からないが、神社前に国道も広電軌道も見えないので昭和6年以前のものである。左端には「有府の水門」の石造りの太鼓橋が写っている。その左には藁屋根の民家も見える。
by hirosan_kimura | 2012-10-09 16:39 | 神社 | Comments(0)

№493 阿品散策

  大して新しい話題も無いので、今日の阿品を紹介して見る。
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  今日の日の出時間は6時8分。阿品から見れば広島市と呉市の間、テレビ塔などがある絵下山付近から太陽が昇って来る。間もなく日の出である。
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  太陽が登った直後の時間である。
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  対岸の宮島も見えるようになった。
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  かつては山裾に農家が散在し大半が田畑であった阿品も、民家が建て込み家と家の間に田畑があるような風景となってしまった。
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 残された僅かな田んぼにも実りの秋を迎え、早い所では稲刈も始まっている。
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  県病院の跡地で県の職員が野球を行っていた。県立地御前病院が廃止されて40年。跡地は更地で残され、鰆浜部落では盆踊り・とんどなどに利用してきたが、この地も間もなく何かの施設に活用されるらしい。長年親しんだ空き地が無くなり、来年からは「とんど」をする場所が無くなると、地元の人たちは心配しておられる。
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  雑草が生い茂り、通るたんびに何とかならないかと思っていた「お上がり場公園」の草刈が行われていた。
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  鰆浜の沖合いに先日から浚渫船が作業を行っている。何の工事を行っているのだろう。
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  鼓ケ浜の堤防ではのんびりと魚釣りを行っている人がいる。今の季節はどんな魚が釣れるのであろうか。
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  海岸の沖合いでは水上スキーを楽しむ人もある。
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  今日は土曜日。土日は相変わらず宮島方面下りは車の渋滞が続いている。これから秋の行楽シーズンを迎え渋滞は日常茶飯事となる。何とか解決策は無いのだろうか。
by hirosan_kimura | 2012-10-06 16:10 | その他 | Comments(0)

№492 高畑山(2)

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 №234でも紹介したがこの山は標高197.5㍍と低い山であるが、面白い山なので再度掲載してみた。

e0125014_1430367.jpg 広島湾近辺の山は松と低い雑木が多いが、この一帯は付近の山と形相が異なり照葉樹林が多く、中には驚くほどの巨木が立っている。団地のすぐそばの山になぜこのような樹木が残されているのか不思議に思うくらいである。
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 登る途中は木々が繁っているので見通しはきかないが、ときたま樹木の切れ目から遠望出来る場所がある。阿品全体を見渡せる場所は少ないが、前方に阿品の海岸付近・広島湾・江田島方面が望めて素晴らしい景色である。

 団地すぐそばの山でありながら登る人は限られているようである。登山道も各ルートが整備されているので、気軽にたくさんの人に親しんでもらいたい山である。
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 角度を変えてみると、前方に素晴らしい宮島の景色を眺望出来る。

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 この近辺の山は、照葉樹林帯を覗き赤松の樹木が繁っていた。このためこの一帯は秋になるとマツタケがたくさん生える場所であったが、松枯れにより赤松は全滅状態となっている。

 このため、松くい虫に強いスーパー松が開発され周辺に何本か植えられている。試験的に植えられたものであろうが赤松の巨木に育つためには、まだまだ年月を要するであろう。

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 西高側の下山道の途中に数十メートルに渡って「かすみ網」が設置されている。これは鳥類の調査のためのものであるが、調査時以外は小鳥が絡みつくので「かすみ網」はたたんである。

 この調査は国の許可を受けているが、鳥類調査が行われると言うことは、自然が豊かで小鳥たちがたくさん生息していると言うことであろう。

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 高畑山の麓付近に、阿品台西保育園の年中児が園外保育に来ていた。子ども達は小さな虫を見つけると歓声を挙げたりしていたが、団地内の保育園のすぐそばに自然豊かな森が残っていることは素晴らしいことである。

 海岸沿いの自宅から高畑山の頂上まで40分もあれば登ることが出来る。ゆっくり歩いても往復二時間もあれば充分である。

 折角身近な所に自然の残された場所があるので、阿品の人々が気軽にこの一帯を散策すれば良いと思うばかりである。
by hirosan_kimura | 2012-10-04 15:21 | 地形 | Comments(0)