素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№433 ガード

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 鰆浜部落・阿品部落にも平地に土盛された線路が、部落を寸断するように横切っている。この線路敷の下には部落の手前から奥に行くための道路がある。このトンネルのような道路は鰆浜ではガード、阿品ではカルバルトと呼んでいた。同じような道路を、隣り合った部落で呼び方が違うのは不思議である。

 鰆浜と阿品では隣り合った部落であるが、鰆浜では線路の沖側に建物の大半があり、奥側の民家は一軒のみで残りは田んぼや畑のみであった。

 反対に阿品は線路の奥側に大半の民家があり、沖側は数えるほどの民家のみで大半は田んぼや畑のみであった。

 鰆浜の通路は奥には民家が一軒のみで、農作業に行く人が通る程度であったので巾が狭く、おまけに小川まで流れていたのでリヤカーがやっと通れる程度の道幅であった。

 この通路は余りにも狭いのでニュータウンが造成された際、下り側に新しい通路が新設されトラックでも通り抜け出来る道路に改良された。


e0125014_1222740.jpg 一方、阿品側は狭いながらも自動車の通り抜けが出来るためか改良されず元のまま残されている。

 この通路は自動車が通り抜け出来るといっても巾が狭いので、自動車の離合は出来ない。

 しかし、かつては阿品部落に車で入るにはこの通路しか無かったが、ふじタウンから降りる道路・ニュータウンから武田団地を経由して降りる道路・鰆浜の奥から阿品に入れる道路が整備されている。


e0125014_123585.jpg 鰆浜の古い通路は上の写真の左側部分にあった。今では排水路として残されているが、巾も高さも縮小されている。

 この通路はめったに人が通ることもなく、風が吹き抜けそばにせせらぎが流れているのでとても涼しかった。
 夏の暑い日に子どもたちは狭い通路にござを引き、寝転んだり女の子はままごとをしたりしていた。たまに農作業をする押車が通る時などは、一旦ござを片付け人が通り過ぎてまた涼しい場所で遊んだりしていた。

 今から四十数年前ののんびりした時代のことである。

e0125014_1235828.jpg 先日ある人と話していたら、線路の奥側に家を新築する際、古い通路を通り建築資材を自動車で運んだことがあるとのことであった。

 その人の思い違いか、よほど運転後術に長けた人であったのだろうか不思議に思う。
by hirosan_kimura | 2012-03-29 13:16 | 道路 | Comments(0)

№432 神輿の音頭

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 秋祭りの季節ではないが、先日コメントで昔聞いた「こども神輿」の時の音頭が今でも使われているのか、曲名などを知りたいと言う質問があった。

 勿論今でも引き継がれているが、盆踊りで歌われている歌と同じ歌詞であるが、神輿では節回しが全然異なっているようである。

 どちらとも主に二つの歌が歌われているが、木遣りの「宮島八景」と流しの「春徳丸」がある。

宮島八景
 矢野の入江の釣り船は 宇品の沖にと漕ぎい出す
 江波をさかえに能美島 阿多田が浦をと打ち過ぎて
 はるかに沖をと見渡せば 見ても見事な津久根島
 地から生えたか浮島か ちょいとじかたに渡りては
 黒居の明神伏し拝み 五日廿日の浦伝い
 浦を伝ふて串戸町 地御前神社を伏し拝み
 我は竹子(ちくし)の者なるが 今年初めて宮島に
 されば参詣申さんと 両社に参りて伏し拝み
 (以下、延々と続く)

春徳丸
 今度長崎恵比屋の甚九 甚九もとより小間物売りよ
 今じゃ小間物売りをばやめて 大阪がよいのいとまのだてよ
 船をつくろや春徳丸を 船じゃ七反九反で新造
 荷物ととのえ今日吉日と 明日は日も良し乗り止めましょう
 柱ゆり立て責口しめて いかり繰上げとも綱とりて
 帆をば巻きあげ下関を走る 周防灘をば 首尾よく越えて
 播磨灘をば早やのり越えて 須磨や明石の名所をながめ
 ここは何処かと船頭に問えば 一の谷又兵庫の沖で
 甚九恋風吹き捲くりつつ やあれうれしや大阪が見えた
 (以下、延々と続く)

 盆踊りでは打ち叩かれる太鼓に合せこれらの歌がうたわれ、秋祭りの神輿では軽快な太鼓が打たれ、合いの手に「はーやっとこせー よーいやら あれわいせ これわいせ さーなんでもせー」などの掛け声が入る。

 今では子どもが台車に乗せられた神輿の綱を引っ張りながら、町内を練り歩いているが、一昔前の阿品では青年が中心で、二本の丸太棒に俵を積み重ね榊や紙で作った飾りものがあるのみのシンプルなものであった。当時は神輿と呼ばず「俵揉み」と言っていた。

 秋祭りと言えば大人も子どもも年に何回もない楽しみの一つで、岩鏡神社では一日中人が途切れることも無く、大人たちは酒盛りで賑わっていた。

 当時と比べると秋祭りも静かなものであるが、この風習がいつまでも続いて欲しいものである。
 
by hirosan_kimura | 2012-03-22 11:56 | 行事祭礼 | Comments(1)

№431 水準点

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 水準点は地殻上下変動の監視、地図の作成や各種測量の高さの基準となるもので、一等・二等・その他に区分されている。一等は県内に415ケ所あり国土地理院が設置管理している。

 その内の一つが、鰆浜の広電阿品東駅近くの上り線路の脇にある。近隣では地御前神社境内、串戸の平良・宮内境、市役所大野支所に設置されているのは知っていたが、鰆浜に設置されているのは知らなかった。

 先日、弟が駅のすぐ傍に水準点があるのを教えてくれたので行って見た。他の場所のものは人目に付き易い場所に設置されているが、鰆浜にあるものは電車線路と国道に挟まれた場所にあるので気がつかない筈である。
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 この水準点は№1678と記されている。
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 脇に標識が建てられているが、この施設を破壊したり機能を損なう行為をしたものは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金だそうである。

 この水準点は何時設置されたものかは分からないが、地御前神社や串戸にあるものは旧国道があった頃の名残であろう。

 鰆浜にあるものも旧国道が整備された頃に設置されたものかは分からないが、バイパスの工事が行われた際に今ある場所に移設されたのかも分からない。
by hirosan_kimura | 2012-03-19 11:09 | 地形 | Comments(2)

№430 昔の旅

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 現在国内であれば自由に行き来できるが、江戸時代には一般庶民の旅行は厳しく制限され、物見遊山の旅などは禁止されていたらしい。

 しかし、近世中期以降になると、伊勢参拝・四国遍路・京参りなどが出来るようになった。それでも要所には関所が設けられ、「往来手形」の携行が義務付けられていた。

 庶民が旅をする時は,庄屋か旦那寺を通して「通行手形」が発行されるが、本人の名前・居住村・行き先・目的・宗派などが記載されていた。

 寛政十一年、今から213年前 地御前の若衆が金比羅宮を参拝した際の「通行手形」である。

往来手形之事
   一 芸州佐伯郡地御前浦  久兵衛
 右之者宗旨者代々浄土宗当寺檀那ニ無紛
 御座候此度四国中為巡拝罷出申候問国々
 所々御関所無相違御通可被下候尤此者自
 然致病死等候節者御国法遣以宜御取計被
 仰付可被下候尤国元御付届不及申候為後
 日一札仍如件
     寛政十一年未七月 日
             芸州廿日市  潮音寺

 久兵衛の通行に当たってはよろしく便宜を図って下さい。途中で病死などした場合は、そちらの風習に従って始末して頂きたいとでも書いてあるのだろうか。

 廿日市の潮音寺は現在でも在るが、地御前の久兵衛は同寺の門徒であったのであろう。今では地御前の人が潮音寺の門徒であることは余り耳にしない。

 なお当時の旅支度に必要な物は、衣類・脇差・三尺手拭い・頭巾・ももひき・脚絆・旅・こうかけ(手足の甲に掛ける)・下帯・扇・やたて・湯手拭い・鼻紙・道中記・心覚手帳・銀袋・大財布・巾着・刺刀・耳かき・きり・小硯箱・小算盤・秤・大小風呂敷・くすり・薬袋・針糸・髪結い道具・煙草道具・提灯・ろうそく・つけ木・合羽・すげ笠・手ごり・弁当・網三すじ、などとなっている。

 現在でも泊りがけの旅行となると準備が大変であるが、当時の旅支度はさぞ大変だったであろう。
by hirosan_kimura | 2012-03-17 11:39 | 娯楽 | Comments(2)

№429 波止(2)

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 №402で波止を載せたが、その時は鮮明な写真がなかなか見つからなかった。

 波止は鰆浜(阿品一丁目)にあった防波堤であるが、西広島バイパス工事で道路を拡張するため海面を埋立てる際撤去された。

 昭和の初めまであった広電新宮島駅や、厳島航路の発着場があった付近である。

 防波堤は途中で「く」の字に曲がっていたが、長さ25間6分・上面の巾が6尺とある。

 この防波堤は子どもの頃の遊び場で、防波堤の上から飛び込んだり、小魚を釣ったりして良く遊んだものである。

 松の枝は今は無い「火立岩」に繁っていたものである。この写真には写っていないが、左側沖の海面には厳島航路桟橋の残骸のようなコンクリート造りの一部が残されていたが、今では見ることも出来ない。

 周辺の風景はすっかり変わってしまったが、変わらないのは遠く薄く写っている宮島の島影のみである。
by hirosan_kimura | 2012-03-14 10:36 | 鰆浜 | Comments(5)
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 「ふるさと 阿品 よもやま」も今回で428回目となった。ネタも尽きかけ休眠状態である。以前のブログで、ネタが無くなったら「阿品の言葉」か「子どもの遊び」にすれば一息つけると書いたことがあった。

 今回は「子どもの遊び」にしてみた。子どもの頃良く遊んでいた「腰綱引き」があった。単純な遊びであったが飽きもせず遊んだ記憶がある。今の子どもたちもこの遊びをしているのだろうか。

 この遊びは3~4mの綱が一本あれば遊べるが、肝心なのは体力が同じ程度の相手でないと、すぐに勝負がついてしまう。

 遊び方は至って簡単で、向かい合った相手同士が綱をお互いの腰に廻し、綱の端を片手で強く握って置く。両足を地面で踏ん張り、腰を捻って相手を引っ張る。腰を捻るのみでなく、握った綱の端を思い切り引っ張っても良い。

 踏ん張った足が地面より少しでも動いた方が負けである。相手を引っ張ろうと思って、腰を強く捻ったり手で綱を引いた際、自分がバランスを崩してよろけて負けることもある。

 たったこれだけの遊びであるが、自分が力を入れて綱を強く引っ張るのみでなく、相手が力を入れた時自分の方は綱をゆるめて相手のバランスを崩さすなど、テクニックを要する遊びでもある。
by hirosan_kimura | 2012-03-12 11:04 | 遊び | Comments(0)