素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№393 安全マップ

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 一時、子どもに対する事件が続き中には殺人までに発展し、子どもを持つ親は戦々恐々になったものである。最近は収まったかのように思われるが、それでも様々な事件、事件に発展しそうな例が後を絶たないらしい。

 事件から子どもを守るため、各地の小学校では安全マップを作成することが進んでいる。地域の人と子ども達が地域を点検し、それぞれの視点で危険な場所を見つけると同時に、子ども達に注意を喚起するものである。

 阿品台西小学校でも四年生を中心に、毎年地域の危険な場所の点検が行われている。今年も6月17日に地域の点検を行い、6月24日に子ども達が纏めた成果の発表会が行われた。

 17日は地域内を20班に編成し、それぞれ子ども4~5人、保護者1名、地域に精通した協力者1名で約2時間程度の地域の点検を行った。

24日には保護者や子ども達と一緒に点検に回った地域の人達も参加し、子ども達がそれぞれの斑毎に成果を発表した。平素、地域のことは良く分かっているつもりでも、子ども達の視点から見ると違った見方もあり、大いに勉強することが出来た。

e0125014_1050393.jpg 「こども110番」が表示されているのを見かけるが、子ども達はこの表示された家などを随分頼りにしていることが分かる。この表示はどこが管轄しているのか分からないが、随分前に選定されその後事情が変わり、「こども110番」の用をなさない建物や個人の家があるように感じる。定期的に点検することが必要ではなかろうか。

e0125014_10511551.jpg 我が町内でも転勤や住んでいた家の高齢者が亡くなり誰も住んでいなかったり、別荘等に使われ結構空き家が多数見受けられる。平素から手入れがされていれば良いが、植木が生い茂り外から見通しがきかない場合は結構危険である。

 こうした空き家は、植木を選定し見通しがきくようにしたり、不要な家屋は撤去して貰うよう持ち主への働きかけが必要である。

e0125014_10515275.jpg わが町内は三方を海に囲まれ堤防があるため、海側は道路よりからの見通しはきかない。海に下りるため三箇所に階段が設けられているが、階段の外は道路から死角となり危険な場所の一つである。

 昼間は結構釣り人があり目が届きやすいが、釣り人の居ない時間帯や夜間は通り掛かる人もなく危険である。

 海側には排水の土管が貫通しているが、この土管は大人でも屈めば侵入することが出来る。潮の満ちているときは進入出来ないが、潮を引いた時間帯は危険な場所のひとつである。

 e0125014_10523616.jpg 公園は道路脇にあり病院や民家に隣接しているので、大人の視点からみれば安全なようであるが、子どもから見れば危険な場所と写るようである。

e0125014_10532141.jpg 町内の入口付近に電鉄会社の資材置き場がある。

 この場所は高いトタンの塀が設けられており、大人でも中に入ることが出来ず危険な場所とは感じなかったが、子ども達はどこから入るのか分からないが、中に入って遊ぶことがあるようである。

 中に入ると外からは全く分からず危険な場所の一つであろう。

e0125014_1054758.jpg わが町内は三方を海に囲まれ堤防があるため、海側は道路よりからの見通しはきかない。

 昼間は結構釣り人があり目が届きやすいが、釣り人の居ない時間帯や夜間は通り掛かる人もなく危険である。

 海側には排水の土管が貫通しているが、この土管は大人でも屈めば侵入することが出来る。潮の満ちているときは進入出来ないが、潮を引いた時間帯は危険な場所のひとつである。
by hirosan_kimura | 2011-06-25 12:44 | 幼小中 | Comments(0)
e0125014_9553596.jpg 国勢調査実施年である昭和20年は、戦争の影響で調査が実施されなかったとある。

 ところが地御前村の古い書類に「昭和20年 人口調査ニ関スル書類」が残されている。

 国勢調査に変わるものとして調査されたものであろうか。

 この調査の集計表では、鰆浜・46世帯・292人、阿品・63世帯・292人、合計・109世帯・584人となっている。

 年齢別を集計したものでは、鰆浜・244人、阿品・296人、合計・540人となっている。

 集計と年齢別人口が異なる理由は分からないが、鰆浜の差48人は病院の入院患者の差であると思われる。

 これを考慮すると、鰆浜45世帯244人、阿品63世帯296人が地域住民により近いのではなかろうか。

 従って昭和20年10月頃は、現在の阿品・阿品台地域で108世帯・540人程度の人口・世帯数であったのであろう。

 現在は阿品・阿品台地域で5,234世帯・14,402人となっているので、世帯で48倍、人口で26倍となっている。

 世帯と人口の伸び率が二倍近く異なるが核家族化によるもので、昭和20年の一世帯当たり平均家族数が5人に対して、今では2,7人となっている。

 現在、少子高齢化が急速に進み日本の将来が危惧されている。昭和20年当時は鰆浜・阿品併せて、0~14才が29.6㌫、15~64歳64.0㌫、65歳以上が6.2㌫であった。

 現在の阿品地域のみの年齢構成は分からないが、廿日市市全体では0~14歳13.6㌫。15~64歳64・9㌫。65歳以上は21.5㌫程度である。

 現役世代の割合は当事と余り変わらないが、年少者は2.1分の1、高齢者は3.4倍となっており、いかに少子高齢化が進んでいるか良く分かる。

 ちなみに昭和20年に調査した人は、鰆浜地区は阿品地域で唯一商店を開業し長年民生委員を勤められた「藤川策一さん」。阿品地区は地元の名士「原田清さん」。

 いずれも阿品に古くから住んでいる人なら、知らない人はないであろう。
 
by hirosan_kimura | 2011-06-23 10:49 | 行政 | Comments(0)

№391 海の漂流物

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 昔から海には様々な漂流物がある。色々調べていたら面白い記録があった。

 明治33年8月2日(今から111年前)、午前8時頃田尻海岸で阿品の木村新次郎という人が竹籃の漂流物を発見した。この中には{鰒と魚偏に郎の字}の魚十六匹が入っていた。ふぐのことだろうが良く分からない。この漂流物は翌3日に大野村の上野他人吉と言う人に引き渡されている。上野は現在宮島口でアナゴ飯で有名な店であるが、多分この店を創設された方ではなかろうか。中に入っていたのは「ふぐ」でなく「あなご」だったのだろうか。

 明治44年6月28日午前一時頃、木村連という人が長さ壱間の艀舟(はしけか?)が漂流しているのを発見し地御前村役場に報告している。これは7月5日に村役場より広島水上警察署厳島分署に届出が出されている。評価額は参円とある。この舟は所有者が見つからなかったのか。一年以上経過した大正元年10月11日に発見者に引渡されている。

 大正7年12月20日午前7時頃、同じく木村連と言う人が阿品新開沖に松丸太三本が漂流しているのを発見している。12月24日に村役場より水上警察署厳島分署に届出られ、評価額拾五円とある。

 大正12年8月11日午前10時頃、鰆浜海岸で木村幸一と言う人が、短刀1、越中ふんどし 1の入った包みが漂流しているのを発見し、8月18日に村役場から水上警察所に届出られている。評価額は五拾銭とある。

 良く調べればその他面白い漂流物が有ったかも分からない。

 広島に原子爆弾が投下された際は、阿品の海岸にはたくさんの死体が漂流してきた話を聞いたこともある。

 ちなみに連と幸一は兄弟で、新次郎はその父親である。
by hirosan_kimura | 2011-06-19 10:51 | その他 | Comments(0)

№390 鼓ケ浜の海岸

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 この図は明治の終わりごろから昭和の初めごろの、鼓ケ浜海岸の図である。詳しい年代は分からない。

 線路脇の四角に斜線は民家であるが、二軒の家があったことが記されている。

 海岸沿いのピンク色は明治12年に開通した旧国道。鉄道は明治30年に開通した山陽鉄道(今のJR)であるが、この軌道の位置は現在とほぼ同じ場所である。

 この図を見ると海に突き出た山の一部を削り取り、旧国道・鉄道線路を敷設した様子がよく分かる。

 その後海を埋立て、旧国道を拡幅しその沖側に広電宮島線が新設されている。

 その際海に突出た岬も削られ、昭和40年代には岬の一部が残されていたが、岬の左側の海面を埋立て住宅団地にした際、僅かに残された岬も削り取られてしまった。岬の一部でも残されていたならと残念でたまらない。

 図の岬右側の灰色の部分は、旧国道造成の際に山を削った残土で海面を埋立てたのかも分からない。昭和20年代の初めごろまでNHKの保養所が建っていたが、その施設はその後料亭のようなものとなり、いつの間にかこの施設も無くなった。

 この場所は今では住宅地の一部となり、競艇選手の宿泊施設も建てられている。

 黄色い部分は砂浜とも陸地とも区別の付かない土地であったが、現在では廿日市高校の艇庫が建てられているが、その建物の前の海辺で僅かに当時の面影が残されている。

 前面に宮島を望み、自然溢れたこの地も鉄道から奥側は山を削り谷が埋立てられ住宅地となった。

 海側は左側海面が埋立てられ住宅地と成り、右側海面は競艇場となり開催日にはモーターの轟音が鳴り響いている。

 海面に臨むのは、中央部分が僅かに残されているのみである。 
by hirosan_kimura | 2011-06-07 12:47 | 地形 | Comments(0)

№389 旧国道絵図

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 何時描かれたものか分からないが、阿品周辺の旧国道を中心として作られた絵図である。

 旧国道が完成したのが明治12年、今から約132年前である。絵図にある「お上がり場」が整備されたのは明治18年である。

 大正14年に運航された「火立岩~厳島」間の航路桟橋、大正15年に延長された広電「新宮島駅」の記載がないので、明治18年~大正14年の間に描かれた絵図とも考えられる。

 この絵図に描かれていないが明治30年には広島~徳山間に山陽鉄道(今のJR)が開通しているが、意図的に描かれていないのかも分からないが、山陽鉄道開通以前に描かれた絵図なら、明治18年から明治30年の間に描かれた絵図とも推測される。

 旧国道と現在の国道が異なるのは、お上がり場上部の山を削り、火立岩左の窪みの海面の埋立、鳥山の下部と沖山の上部を削り、ほぼ直線状に整備された点であろう。もちろん道幅は約3間(約5.5㍍)から約11㍍に拡幅されている。
by hirosan_kimura | 2011-06-03 14:03 | 国道 | Comments(1)