素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№386 阿品の飛行場

 このブログ№12で「阿品にあった飛行場」を掲載している。

 飛行場と言っても海岸に簡単な建物があり、滑走路は無く浜辺の海上より離着陸する水上飛行機が使用されているのみである。

 航空士を養成するかたわら宮島上空までの遊覧飛行もあり、昭和8年10月に開設され昭和16年頃閉鎖されたらしい。

 最近、この写真数枚を入手することが出来た。

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 良く見るとワイヤーで吊り下げてあるので、今から機体を海に降ろすのであろうか。

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 海に降ろされた飛行機。

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 翼に座っているので記念撮影されたものであろう。後背に飛行場の建物らしきものが見える。

 
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 操縦桿を握っているが、飛行機にしては余りにも簡単な設備なのでグライダーであろう 

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 機体の点検か整備中らしい。
by hirosan_kimura | 2011-04-25 12:08 | 交通 | Comments(1)

№385 舗装前の国道

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この写真は昭和7年に撮影された鰆浜の新国道である。

 この国道の完成は昭和7年3月とあるから、完成間もない時期の写真である。この当時は道路の舗装がされていない。道路が舗装されたのは昭和11年である。

 阿品の海岸沿いには人がやっと通れるような道があったらしいが、この頃の主要道路は宮内から置くに入り阿品の山の裏側を通り、遠く九州方面に向かっていた。

 明治12年に海岸沿いの旧国道が開通したが、道幅は三間(約5.4m)・海沿いの高さは海岸から一尺五寸余りとあるが、この高さでは波の荒い日には道路に海水が揚がっていたかも知れない。

 明治26年の新聞では「廿日市以西の国道は非常に破損し車馬の通行も出来ざる程に至れり」とあるように国道とは名ばかりのようであったらしい。

 旧国道は写真左側山沿いにまっすぐの位置である。

 新国道が完成した時、阿品の人々はその広さにびっくり仰天し、戦争になればこの道路に飛行機が離着陸するのではないかと噂しあったそうである。

 また「雨の日でも、わらじで歩くことができる」と関心したそうである。

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 新国道が完成した時、飛行機が離着陸出来る広さに当事の人がびっくりした道路も、車社会の到来により狭隘となり、西広島バイパスが完成し鰆浜はその西端出口となった。

 道路拡張のため海岸が埋立てられ、広電の軌道は海側に移設され道幅も広くなり、この付近は大きく変容している。

 国道を自由に往来していたが車の増加により危険となり、高くて長い陸橋が架設された。

 沿道にはマンションも建てられ風景も随分と変わった。

 上の写真の右側にあった「火立岩」も電車軌道移設のため無くなってしまった。
by hirosan_kimura | 2011-04-22 10:16 | 道路 | Comments(0)
兵隊ごっこ
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 この写真は鰆浜の子ども達が「兵隊ごっこ」をしている写真である。
 
 写真の裏には昭和の初期ときにゅうしてあるので、今から約80年くらい昔のものである。

 場所ははっきりしないが、恐らく鰆浜部落と鉄道線路との間の小山の頂上付近であろう。

 この頃では子どもの数も少なく、室内で遊ぶのが主流で外で子ども達がかけりまわって遊ぶのを見る機会はめっきり少なくなったが、一昔前までは室内で遊ぶのは雨の日くらい。暑くても寒くても阿品の子ども達は野山をかけりまわり遊んでいた。

 たまに遊んでいても同年代の子ども達同士で遊ぶのがほとんどであるが、昔は小さな子どもから大きな子どもまで一緒になって遊んでいた。

 おもちゃも店で高価な物を買って貰うのが普通であるが、昔は自然の物を利用して子ども達で手作りをしていた。写真では鉄砲らしきものを何人かが肩に担いでいるが、恐らく木切れを利用して自分たちで作ったものであろう。

昭和の初期のみで昭和何年かは分からないが、満州事変の起こる前後で子ども達は勇ましい兵隊三さに憧れ、戦争ごっこに明け暮れていたのであろう。
by hirosan_kimura | 2011-04-19 15:43 | 遊び | Comments(0)