素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

<   2010年 03月 ( 26 )   > この月の画像一覧

e0125014_9411465.jpg

 大正14年7月から昭和6年2月まで、鰆浜から厳島を結ぶ連絡線航路があった。

 この航路は今の広島電鉄の前身「広島瓦斯電軌㈱」が経営していた。詳しいことはこのブログ№8で紹介している。

 子どもの頃には沖合いにコンクリートの施設が一部残されていたが、今は跡形も無い。

 上の図は桟橋の施設であるが、旧国道が大きくカーブした火立岩の脇から、乗降場まで長い桟橋があった模様である。

 この桟橋は幅2間、長さ39.33間とある。幅は約3㍍60㎝。長さは約71㍍くらいであったらしい。桟橋は仮桟橋とあるので、当初よりこの航路は広電宮島線が宮島口に延長されるまでの、暫定的航路として運航されたものと思われる。

 桟橋の付け根あたりに「待合所及事務室」と記されているが、特別な建物は見あたらないので、桟橋通路の上が待合所と事務室として使用されていたのであろう。

 今では面影もないが、今から約80年前のことである。
by hirosan_kimura | 2010-03-29 10:04 | 海運 | Comments(0)

№353 阿品の谷

e0125014_9313840.jpg

 阿品地域は団地の造成等で、山は削られ谷は埋められ今では比較的単調な地形となっている。

 昭和40年代前半までは、阿品・鰆浜地区とも谷が山の奥まで延びていた。その狭く細長い谷の最深部まで耕され、田圃が造成されていた。

 その昔の阿品は海が山裾まで迫り平地は殆ど無かったが、谷間の狭い所に人が住み始め田畑を作り暮らし始めたと推測される。

 川から少しづつ土砂が流れ出し、沖合いに平地が広がり、埋め立てたり干拓しながら平地が広がっていったらしい。

 海岸沿いには道も無く、地御前の方からは山越えで阿品に入り、谷の奥に入りまた山を越え大野方面に抜けていた。

 昭和40年代に入り、大型団地の造成により谷は埋められ、山は削られ昔の面影は全く無くなってしまった。
 
by hirosan_kimura | 2010-03-28 09:49 | 地形 | Comments(0)
e0125014_991580.jpg

 工事中であったJR阿品北口のエレベーターがやっと完成した。今では階段のある駅には、エレベーターやエスカレーターが設置されているのは当たり前であるが、JR阿品駅が完成した平成元年頃は、阿品のような小さな駅にエレベーターを設置するような発想はなかった。

 阿品駅は橋上駅のため乗客は階段で駅舎に登り、ホームに降りるにはまた階段を降りる必要があり、高齢者や乳児を連れた乗客には不便な駅であった。

 その後バリアフリーの考えにより、駅舎からホームに降りるエレベーターは設置されたが、駅舎には依然として階段の昇り降りが必要であった。

e0125014_9194527.jpg 海側にはふじグランと言うショッピングセンターがあるが、間に国道・広電宮島線があるため、駅舎とそこを結ぶ長い陸橋があるが、陸橋に上がるためには駅舎の階段を登る必要があり、駅の南側広場からはエレベーターが設置されたが、北側からは依然として階段を登る必要があった。

 南側は駅前広場の一角を利用してエレベーターを設置出来たが、北側は線路のすぐそばがが道路で、エレベーターを設置できる用地もなかった。

 そこで自転車駐輪場や送迎車回転上場を一部移設して、元の道路の一角にエレベーター設備を設けて今回やっと、駅の裏・表側にエレベーターが完成した。

e0125014_925840.jpg このエレベーターの完成によりJRを利用する人のみで無く、駅の北側から広電を利用したり、ショッピングセンターを利用する人の利便性は一層増すこととなった。

 ただ一つ残念なのは、長い陸橋を渡りきった所に数段の階段があることである。この階段が無ければ車椅子や乳母車を利用する人にとっては容易に通行出来るのだが、スロープを設けるなどの工夫は出来ないものであろうか。
by hirosan_kimura | 2010-03-25 09:56 | 交通 | Comments(0)
e0125014_124158100.jpg

 本日は午前10時より阿品台西保育園の卒園式に参列した。

 この保育園は昭和60年4月に新設された保育園で、今回は25回目の卒園式。本日は28名の卒園児で、累計710名の卒園児を送り出した。

 式は国歌斉唱・保育証書授与・園長挨拶・来賓挨拶・記念品披露・お祝いのことばと歌・お別れのことばと歌・卒園児退場と、一時間あまりの式であった。

 
 保育証書は園児一人づつが壇上に上がり、園長より受け取る。その度に園児が大きな声で「有難う御座います。」と言い、みんなの前に保育証書をかざし、「大きくなったらケーキ屋さんになります。」「遠足が楽しかった。」「友達がたくさん出来て楽しかった。」など将来の希望や、楽しかったことなどを発表する。

e0125014_12422874.jpg それが済むと壇上を降り、担任の先生の所に行き握手しながら、感謝の言葉を述べる。

 この際、泣きじゃくりながら先生に抱きつき離れない園児もあり、つられてもらい泣きする園児や保護者も見受けられた。

 先生への感謝の言葉が済むと、園児が保護者の所に行き、保育証書を渡しながら「今日まで育ててくれて有難う。」「毎日送り迎えしてくれて有難う。」「おいしい食事を作ってくれて有難う。」など感謝の言葉を述べる。

 園児よりの感謝の言葉を聞くと保護者は、今まで育てて来た子がここまで元気に育ったことに感極まったのか、親子ともども涙を流す情景が見られた。

 長い子どもでは6年間保育園に通った者もあり、赤ちゃんからここまで育ち、みんなの前で立派に発表出来るまで育った姿を見れば、感激もひとしおであろう。

 中学校・小学校の卒業式にも参列したが、別れの涙を流すことも無くたんたんとしたものであったが、保育園の卒園式ではこちらまで感激した日であった。
by hirosan_kimura | 2010-03-24 13:13 | 幼小中 | Comments(0)
e0125014_12575026.jpg

 その昔、阿品附近は山裾まで海が迫り海岸沿いには道が無く、潮の引いた時にやっと磯伝いに人が往来出来るのがやっとであった。

 そのうち、人が歩ける程度の道の時代が長く続いたようである。

 明治12年に旧国道が完成したが、地御前村内の国道は宮内境から地御前神社附近までは旧村道で、道幅二間(約3.6㍍)弱のところもあった。

 神社以西は海を埋め立てて整備された新設の国号で、道幅は三間(約5.5㍍)以上あった。

 鰆浜(今の阿品一丁目)附近は、海岸からの高さ一尺五寸(約45cm)で漆喰土盛りだったそうである。この高さで風の吹いた時には潮が道路に上がらなかったのであろうか。

 旧国道は田屋と鰆浜境界部分から山沿いに新設されている。

 昭和7年3月には旧国道沿いに海岸が埋め立てられ、新国道が完成した。有効幅員は11㍍であるが、海岸の埋立や、沖山付近の広電宮島線との立体交差等の難航時であった。

 上図はオレンジ部分と黄色部分が旧国道。青色部分が新国道である。黄色部分は旧国道と新国道との重複部分である。

 中央右側の新旧が分離した部分は、現在でも国道沿いに三角部分に僅かに面影が残っている。現在の藤和ハイタウンマンションの前附近である。

 分離した左部分の旧国道は払下げられ民家が建っている。

 その後、新国道海側には広電宮島線が敷設され、昭和49年4月に完成した西広島バイパス工事では更に海沿いが埋め立てられ、広電宮島線の海側への移設、道路の拡幅により、この附近の風景は大きく変容している。 
by hirosan_kimura | 2010-03-23 13:37 | 国道 | Comments(0)
e0125014_6505265.jpg

 大正14年7月15日に、廿日市駅が終点であった宮島線が地御前まで延長され「地御前駅」が新設された。今の地御前小学校の体育館附近らしい。

 宮島線は現在では「広島電鉄株式会社」が経営しているが、当時は「広島瓦斯電軌株式会社」の経営であった。

 それと同時に阿品から厳島に渡る、連絡船の運航が開始された。地御前駅から連絡船乗り場までは徒歩で行くか、厳島の旅館「岩惣」の自動車にのるなど、厳島に渡る観光客は不便を余儀なくされていた。

 地御前駅から連絡船乗り場までの自動車運賃は、9銭であったと言われている。

 廣島電鉄ではこれを解消する為、地御前駅から線路を1,56㍍延長し、大正15年7月に「新宮島駅」を開業した。

 この新駅は連絡船乗り場に隣接し、宮島に渡る人達の利便性が一層増した。

 この新駅の場所は、西広島バイパス阿品出口のカーブした陸橋の下附近であった。

 駅舎・上下線の乗降場・宿舎等がでなり、工大・広大の艇庫附近には待機線も設置されていた。

 駅舎は3間×6間とあり18坪くらいの広さであった。その他便所・電話機・側線が整備され、列車保安法は閉塞信号機とある。

 昭和6年2月1日には電車軌道が2,654㍍延長され宮島口までの営業が開始された。これと同時に南寄りに「阿品駅」が新設され「新宮島駅」は廃止された。

 同じく阿品から厳島への連絡船航路も廃業となった。
by hirosan_kimura | 2010-03-21 07:23 | 広電 | Comments(0)

№348 阿品の春

e0125014_9172640.jpg

 昨日は何か変わったものは見つからないかと、阿品の谷を歩いてみた。阿品の谷の一番奥に今から30数年前に植えられた枝垂桜の様子を見に行って見た。

 まだ蕾かと思っていたが、満開とまでは行かないが、6~7分咲きで見ごろを迎えている。車も2~3台止まっており見物するお年寄りや、桜の絵をスケッチしておられる人も見受けられた。

e0125014_9392551.jpg以前には見られなかった、立派な標柱も設置してある。

 桜の下では地元の高齢者の人が酒盛りをしておられる。じろじろ見ても悪いので早く切り上げようとしていると、その中の一人に見つかり酒を一緒に飲もうと勧められた。

 最初は遠慮をしていたが、余り断るのも悪いのでビールや焼酎を頂いた。昔から住んでおられる人、後に阿品に越して来られた人もあるが、阿品の話しに花が咲き楽しいひと時を過ごすことが出来た。

e0125014_9181592.jpg

 阿品は団地の開発や、田畑を埋め立てての住宅化で昔の面影はほとんど無くなった。

 その中でJR阿品駅から川沿いに奥に入る道は、田畑も僅かながら残されている。ひじタウウンの下の崖も昔のままに残っている部分もあり、数少ない自然が残されている。

 崖下に桜と山椿が咲いていたが、椿の赤と桜のピンク色のコントラストが美しかった。

 間もなく山つつじの花も咲き、一層華やかになることだろう。
by hirosan_kimura | 2010-03-20 09:47 | 阿品 | Comments(0)
e0125014_12101999.jpg

 本日は阿品台西小学校の卒業式に参列した。正式には「卒業証書授与式」であるが、長年親しんできた我々にとっては、卒業式の方が実感が湧く。

 天候には恵まれたが広い体育館の中での式、寒さが身に沁みるようで女性の参列者は、寒い寒いと言っておられた。それにしても子ども達の中には薄着の者もあり、その元気さには感心される。

 本日の卒業生は男子35名・女子40名の75名二クラスであったが、四月の新入生は90数名で三クラスになると言うことである。子ども達が減り統廃合の学校も見受けられる中で、幸いなことである。

 式は国歌斉唱・卒業証書授与・学校長式辞・来賓挨拶・祝電卒業記念品披露・門出の言葉・校歌斉唱と一時間半程度で済んだが、我々の時代と違い泣きの涙も見られず、淡々としたものであった。

 卒業生75名の内阿品台中学校以外に進学する者は8名程度で、大半が同じ中学に進むため別れと言う意識も少ないのかも知れない。

 阿品地域ではお祖父さん、その又曾お祖父さんの時代から地御前小学校に通学していたが、人口の急増により、昭和54年に阿品台東小学校が開校し、長年親しみのある地御前小学校から転校を余儀なくされた。

 さらに昭和58年には阿品台東小学校もマンモス校となり、阿品台西小学校の開校により、再び転校せざるを得なかった。

 阿品台西小学校は開校27年目であるが、本日の卒業生で2,189人の子ども達を送り出したこととなる。

 式終了後は、校庭で卒業生が在校生より花束を貰い、保護者が両脇に並ぶ中を送り出された。

 この風景を見ると、今から50年余前に地御前小学校の卒業式が目に浮かぶようである。担任の先生を先頭に卒業生が列をなして正門から進み、まち中の道路両脇に保護者や在校生が両脇に並ぶ中を西向寺あたりまで進み、そこから裏道を通り、裏門から学校に入ったのが思い出される。
e0125014_12432625.jpg

e0125014_1425499.jpg

 この写真は西小学校とは関係ないが、今から55年前の地御前小学校の卒業式終了後のものである。校門から出発し、先頭に阿部校長先生、その後は担任の先生に続いて卒業生が卒業証書を持って進んでいる。両側には在校生が並んで街中の道路で見送りを受けている。
 街の人も見送る中を数百m進み、わき道に入り裏門から小学校に再び帰った。

 ツリーハウスに良く遊びに来てくれたKちゃんも今年は小学校の卒業生。
 広島市の卒業式もこの時間に行われているのかなと思いながらの、阿品台西小学校の卒業式であった。
by hirosan_kimura | 2010-03-19 12:48 | 幼小中 | Comments(0)
e0125014_926101.jpg
わかた
我が家  あしたー わかたへ 遊びに来んさいやー

わきゃーない
簡単である  それをするなー わきゃーないよー

わざに
わざわざ  わざに来てもろーて すまんことよのー

わしゃー
私は  わしゃー 誕生日で80歳胃に ならまさーや

わしゅー
私を  おまやー わしゅー馬鹿にしとるのー

わしらー
私達  後は わしらーで 片付けまさーや

わずろーしー
うっとおしい  髪が伸びて わずろーしーのー

わや
メチャクチャ  掃除をせんけー 家の中はわやよー

わやーくちゃー
同上

わやくそ
同上

わらかす
笑わせる  あんまりわらかすけー 腹が痛とーなった

わらき
薪  風呂を沸かすけー わらきを割っといてやー

わりかし
比較的  今日のテストは わりかしみやすかったのー

わりゃー
おまえ  わりゃー かばちゅーたりゃーがったら てべしゃーげるどー

わろーた
笑った  赤ちゃんが やっとわろーたよ

わん
○○さん


しない  見ん 来ん いなん せん


な  あげんさい しんさい 話しんさい 行きんさい

んか
のですか  みてたんか 行ったんか 買おーたんか

んさる
される  今日は どこへ行きんさるんのー

んじゃーもんじゃー
あれこれくだらないこと  んじゃーもんじゃー言う閑があったら 動きんさい

んちゃい
なさい  見んちゃい 行きんちゃい しんちゃい

んで
します  わしゃー 夏にゃー ハワイに行くんで

んでー
しなさいよ  宿題は ちゃんとするんでー

んでー
します  今日は 思い切り遊ぶんでー

んの
ですか  見たんの 来たんの 行ったんの したんの やったんの
by hirosan_kimura | 2010-03-18 09:27 | 方言 | Comments(0)
e0125014_925262.jpg
よろくそ
どうしようもない人  うちのよろくそ亭主にも 困ったもんじゃー


してみたら  行ったら したら 走ったら

らー
います  そのぐらいのことは 知っとらー

らー
たち  あんたらー そんにらー わしらー

られん
られない  行かられん 食べられん

らん
していない  見とらん しとらん 行っとらん

らんきょー
らっきょう

りゃー
れば  すりゃー 見りゃー やりゃー

りゃーげる
強調語  走りゃーげる 怒りゃーげる

りんちょう
沈丁花(ちんちょうげ)

れん
られない  付けれん されん 見ちゃーおれん

ろーこ
かまどの熱で沸かす湯沸し

ろく
まとも  あんなー ろくな者んじゃーないで

ろくすっと
ろくに  ろくすっとに考えもせんですると 失敗するでー

ろくすっぽー
ろくに  ろくすっぽーに知りもせんのに えらそーにするな
by hirosan_kimura | 2010-03-17 09:03 | 方言 | Comments(0)