素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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 長い夏休みも最後の日になったが、相変わらず子ども達の姿を外で見かけることは殆ど無い。学校に持って行く宿題を必死で片付けているのであろうか。

 小学校の頃を思い出すと、毎年この時期には親に怒られながら、半分は泣きべそで宿題を片付けていた。夏休み中遊びまくったつけが最後になって廻ってくる。

 毎年夏休みが始まると、今年こそは最初に宿題を片付けて思う存分遊ぼうと思っていたが、いざ休みが始まると朝から晩まで、家の外や海で一日中遊んでいた。

 それでも盆が過ぎる頃になると焦りが出てくるが、何とかなるだろうと思っている内に夏休みは2・3日を残すのみ、親からは今まで何をしていたのか怒られながら、半分泣きながら必死で宿題に取り組んだ。

 夜も寝ないで片付けようと頑張っても眠くなり、最後の日になっても片付かないこともあった。9月1日の登校日になっても出来ていないので、学校を休みたくなるが親が許す筈が無い。

 登校して先生に「宿題を忘れて来ました」と言っても、宿題が出来ていないのはお見とうしだろうが「明日は忘れないように持って来るように」と言われる。

 始業式が済むと飛んで帰って宿題を片付けるのである。他の宿題は何とかなっても、どうにもならないのが絵日記。夏休み中、日々何をしたのかなど思い出されるはずが無い。適当に書くが困るのは日々の天気。真面目に日記を書いた人に教えて貰ったものである。

 それにしても、書くにことかいて出鱈目な絵日記。これを見た先生はどう思われたのであろうか。

「五年生の夏休み」
7月25日 はれ 昼から泳ぎに行った。自分でごはんをたいて食べた。
7月26日 くもり きょうは泳げなかった。せみを五十六ぴきとった。
7月27日 はれ ねつがでて、ねていたのでおもしろくなかった。
7月28日 はれ 26日より多く98ぴきせみをとった。
7月29日 はれ せみを86ぴきとる。ばくだん二つたべた。
7月30日 はれ きょうがさいこうで112ひきせもをとった。
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8月3日 はれ せみを98ひきとった。
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8月5日 はれ おぼんがちかいのでせみをとらないようにした。
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8月12日 はれ 泳ぐ時500メートルおよぎました。
8月13日 はれ きょうはおよぎませんでした。
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8月19日 はれ 山へききょうをとりにいった。38本とった。
8月20日 はれ ききょう7本とった。
8月21日 くもり せみを72ひきとった。
8月22日 くもり ききょう2ほんとった。
8月23日 くもり あさがおが3こはじめてさいた。
8月24日 くもり あさがおが50こさいた。
8月25日 雨   あさがおが80こさいた。
8月26日 はれ あさがおが123こさいた。
8月27日 くもり あさがおが157さいた。
8月28日 雨   山でききょう138本とる。あさがおが201こさいた。
8月29日 くもり あさがおが250さいた。

 正しいのは人に教えてもらった天気のみ。せみとききょうとあさがおの数を適当に書いたのみ。この日記を見られた先生は、あきれ返って怒るに怒られなかったのだろう。
by hirosan_kimura | 2009-08-31 11:22 | 子どもの生活 | Comments(2)
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 自宅から数分沖に海岸がある。正面には日本三景の安芸の宮島。左には能美島・江田島・広島市と続き素晴らしい景色が続く。

 安芸の小富士と言われる似の島、兵学校の生徒が訓練で登る古鷹山も望め、生まれ育って毎日見ている風景であるが飽きることは無い。

 この海岸によく釣り客が来ている。そぐ傍の道路は車が自由に停車できる。トイレは近くの公園で利用できる。歩いて行ける場所に大型スーパーがあり、飲物や弁当を買うことが出来る。おまけに前面は素晴らしい風景。

 余り大物は釣れないようであるが、釣りをする人には人気スポットらしい。今はサヨリやコノシロが釣れる程度で多くの釣り客はいないが、小鰯や太刀魚などが釣れる時期には多くの釣り客が訪れる。

 お金を余り使わず長時間楽しめる魚釣りは、誰でも気軽に楽しめるレジャーであり結構なことであるが、一部マナーの悪い釣り客には困ったものである。

 弁当がらや飲物の容器を放置したり、余った餌を堤防に捨てて帰る。釣れた雑魚を放置、切れた釣り糸などを投げ捨てる人も有る。

 愛犬が居た頃この堤防を良く散歩していたが、投げ捨てられた小さなフグを食べてひどく苦しんだこともあった。

 打ち捨てられた釣り糸にからみ、残った針が足や舌にくい込み暴れれば暴れるほど絡みつき、動物病院に連れて行き処置してもらったこともあった。

 散歩する犬に危険なばかりでなく、小さな子ども達にも危険なことである。釣り客はマナーを守って欲しいものである。

 多くの釣り客が来てゴミなどを捨てて帰っても、この海岸がゴミで溢れることは無い。この海岸を散歩する人達がビニール袋をを持ち歩き、ゴミを拾らいながら散歩している人が何人もあるからである。

 この人達が散歩するのは早朝か夕方。マナーの悪い釣り客の目に止まることは無い。
by hirosan_kimura | 2009-08-29 09:01 | 釣り | Comments(0)
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 昨年の12月13日より始めた「ふるさと 阿品 よもやま」も200回を迎えた。

 当初は在宅である限り毎日投稿を目標にしていたが、回を重ねるごとに話題も少なくなり、途中より土・日・祝祭日は休稿とした。

 週休二日にして気分的に何と楽なことと思ったのもつかの間、最近ではネタも尽き果て毎日の投稿が青色吐息である。

 当初の目的が、阿品の歴史や昔の習慣などを書き残して置きたいと思って始めたが、最近ではどうでもよいことを無理やり記事にしなければなくなった。

 内容を「阿品」に限定しているので、「阿品」に縁もゆかりも無い人にとっては、面白くもおかしくもない内容であり、閲覧する人も僅かな人数である。

 それでもたまに「阿品」に関係ない人から、「時々見させて貰っている」と言う声を聞くことも有る。

 本当に見て貰いたいのは阿品に詳しい人で、内容の間違いを指摘して貰ったり、新しい材料を提供して貰いたいのだが、阿品に詳しい人で見てもらえるのは皆無に近い。

 折角始めたブログなので止めるのは惜しい。これからは無理をしてつまらない記事を書かず、良いネタのある場合のみ投稿し、息の長いブログを続けたい。
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by hirosan_kimura | 2009-08-19 06:19 | その他 | Comments(3)

№199 阿品の国道

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 阿品附近の国道は、阿品以東では旧国道「宮島街道」片側一車線と、西広島バイパス片側二車線があり、阿品以西では旧国道のみとなる。

 鰆浜で二本の道路が合流し一本となるため、盆や正月・行楽シーズンになると下り車線は良く渋滞が起きる。

e0125014_495728.jpg 昭和49年に西広島バイパスが阿品まで開通するまでは、旧国道一本のみで渋滞は日常茶飯事、特に盆や正月・管弦祭の際は車が身動き出来ない状態であった。

 西広島バイパスが完成してしばらくは渋滞することも無くなったがそれもつかの間、車社会の到来ににより再び盆や正月には大渋滞が起こることとなった。

 岡山の兄の子どもが小さい頃、家族で良く帰省していたが、車が出発してしばらくして忘れ物に気が付き、走って届けに行くとまだ数百㍍の所で車が止まっているような状態であった。岡山にたどり着くまで一体何時間掛かるのだろうと思ったものである。

 夏になると家族で九州方面に行楽に行く車が数珠つなぎ。当時は車にクーラーの無いのが当たり前で、暑い車内で子供づれの家族は大変であっただろう。

 ほとんど動かない車を相手に、缶ジュースを売ったことがあるが飛ぶように売れ、家中の冷蔵庫で缶を冷やしても間に合わず、終いには生温かいジュースを売る状態であった。

 女性や子どもはトイレが大変で、国道沿いの家ではトイレを借りる人が引きも切らなかった。

 また、渋滞する車を相手に工大の生徒が回り道と称して手造りの地図を売っていた。一枚100円くらいで売っていたが結構売れていた。しかしこの附近には車がスムースに走れる回り道などは無く、信用して地図を買った人はとんでもない道に入り込み、却って時間の無駄があったのではなかろうか。

 20年くらい前に山陽自動車道が全面開通し、今ではこのような大渋滞が起きることもなくなった。
e0125014_4102084.jpg しかし、阿品から宮島口附近までは後ろは山で前は海。平地は住宅が密集しJR・広電宮島線の軌道もあり、道路を拡幅・新設することも難しく、時々渋滞が続くのであろう。
by hirosan_kimura | 2009-08-18 05:32 | 国道 | Comments(0)
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 阿品一帯の国道沿いに百合の花がたくさん咲いている。

 鉄砲百合に似ているが、国道と広電軌道との間のわずかな場所に咲き、切花にすれば綺麗であろうが危険なため誰も採る人はいない。

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 百合は球根で増えるので誰が植えたのか不思議に思っていたが、鉄砲百合でなく台湾原産の「高砂百合」らしい。

 この百合は繁殖力が強く、種子が風で飛んで増えるそうである。

 最初は何処から種が飛んで来たのかは分からないが、道路沿いに1㎞くらいに渡って咲いている。

 強い繁殖力で各地に広がっているようであるが、生態系に影響は出ないのであろうか。しかし「セイタカアワダチソウ」よりは益しかも知れない。
by hirosan_kimura | 2009-08-17 03:31 | 植物 | Comments(0)

№197 華やかなお墓

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 普段はひっそりとした阿品周辺の墓地が、毎年 お盆が近づくと華やかになり遠くからみると、豪華な花畑のようになる。

 安芸門徒のみの風習で紙と竹で作られた、色鮮やかな盆灯篭で墓地が埋め尽くされるからである。

 この風習がいつの時代から始まったものかは定かではないが、江戸時代後期に広島城下の現在の紙屋町附近に住んでいた紙商人が、愛娘の死去を悼んで灯籠を作り墓に飾ったのが始まりとも言われている。

 この風習が各地に広がり、広島を中心に尾道辺りから岩国周辺まで盆灯篭が供えられている。浄土真宗の安芸門とのみの風習であったが、現在では宗派を越えて盆灯籠を飾っている。

 太平洋戦争中は防空上と紙不足で全面的に自粛されたが、その後再びよみがえり現在に至っている。

 以前は紙を買って来てそれぞれの家で手造りをしていたと聞いたことがあるが、今では手造りをする家はほとんど無い。盆が近づくと農家では灯籠を作り出荷する家があるが、良い収入になるらしい。

 子どもの頃、母の実家に泊まりにいくと遠くに墓地が見え、灯籠に点灯されたローソクの明かりがほのかに見えたが、何とも不気味であったのを思い出す。
 
 昔は灯籠にロウソクを点灯していたが、時によって他の灯籠に燃え移ったりすることもあり、現在では明かりを点けることは無い。

 広島地方のこの風習も、資源の無駄遣いとか、灯籠が大量のゴミになるためお寺によっては自粛するようなこともあるが、昔から伝わる風習がいつまでも残って欲しいものである。

 資源の無駄遣いと言うが、なにもかも使い捨ての時代。他にも自粛しなければならないことがたくさん有るのではなかろうか。
by hirosan_kimura | 2009-08-14 09:57 | 宗教 | Comments(2)
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 「キャンディーズ」と言っても今の若い人には分からない者も多かろうが、昭和40年代に圧倒的人気のあったグループである。

 「年下の男の子」「春一番」「ハートのエースが出て来ない」等は爆発的に売れ、紅白歌合戦にも三回出場している。デビューした頃、番組のプロデューサーが食べてしまいたいと言うほど可愛かったので、「キャンディーズ」というグループ名にしたそうである。

 昭和49年には遊園地「広島ナタリー」のイメージガールとして初CMをしている。このグループは人気が高く引っ張りだこでその後、旭化成・ハウスククレカレー・森永チョコフレークなどのCMを行っている。

 キャンペーンのためナタリーに何回も来場したが、その度にあふれるばかりの若者達が押寄せ熱狂的な声援を送った。

 人気絶頂の昭和52年に突然解散したが、その時の「普通の女の子に戻りたい」は当時の流行語にもなった。

 かつて全国の若者達に熱狂的人気のあったアイドルが、阿品の地に何回も訪れたことがあったと言うことを、知る人も少なくなってしまった。

 今では阿品のシンボルであった「広島ナタリー」も無くなり、「キャンディーズ」も解散して無くなってしまった。


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by hirosan_kimura | 2009-08-13 04:01 | 娯楽 | Comments(0)
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 今の子ども達は水泳を学校の体育の時間や、スイミングスクールで覚えることが大半であろう。まず水に慣れることから始め、手をプールの端に掴んでバタ足、次に手や足の動かし方を習い、平泳ぎやクロールなどを覚えて行く。

 今から数十年前の阿品の子ども達は、そんな丁寧な習い方はしない。泳げない子どもでもいきなり堤防の上などから海に投げ落としていた。その子の親が見ていたら目を回しそうな光景である。

 今の子ども達は夏休みになっても外で遊んでいるのを余り見かけない。たまに遊んでいても同年代の子ども達だけで遊んでいることが多い。

 一昔の阿品では家の中で遊ぶのは雨の日くらい。家の外で駆け回って遊んでいた。夏になると海が遊び場で、飽きもせず朝から晩まで海で遊んでいた。

今では紫外線が皮膚ガンの原因になり、直接太陽の光に当らない様にと言われているが、当時の子ども達は肌が真っ黒になるまで火に焼け、余りにも焼きすぎて皮膚がボロボロにめくれるの当たり前であったが、皮膚ガンになったと言う話は聞いたことも無い。

 遊ぶのは小さな子から大きな子まで一緒になって遊んでいた。大きな子は小さな子がいると煩わしいので追い払うこともあったが、それでも大きな子に付きまとって遊んでいた。

 阿品では海が近いので大半の子ども達は、小さな頃から泳ぐことが出来た。

 小学校に上がる前後になって泳げない子は、大きな子ども達がその子を海に投げ入れるのである。泳げない子は必死になって手足をバタバタさせて海の中でもがき、死に物狂いで陸にたどり着いていた。

 その間、泳げない子は放って置かれるのでなく、大きな子ども達が目を離さず、その子が溺れそうになると飛び込んで行って助けていた。

 このようなことを何回も繰り返していると、いつの間にか泳ぐことを覚えて行くのである。勿論その泳ぎ方は犬掻きのようで、正式な泳法ではないが、上の子ども達の泳ぎ方をまねをしながら、平泳ぎやクロールらしき泳ぎ方を覚えて行くのである。

 こんな乱暴な泳ぎの教え方であっても、不思議と子どもが溺れて大変なことになったと言う話は聞いたことが無い。

 少し泳げるようになると、大きな子が数メートルの深さに石を投げそれを拾らいに行かされたり、遠くの目標物まで泳ぐ早さを競ったりするうちに、段々と水泳が上達していた。

 このようにして覚えた水泳であるので、泳法に沿った綺麗な泳ぎ方や早さを競うことは苦手であるが、ユックリと時間を掛けて泳げば限りなく泳げ、今でも宮島までくらいは泳いで行くことが出来るのでは無いかと思う。

 今の子ども達がプールでは何百メートル泳げると言っても、波があったり底の深い海などでどのくらい泳ぐことが出来るのか疑問である。
by hirosan_kimura | 2009-08-12 05:47 | 子どもの生活 | Comments(2)

№194 自然の芸術品

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 先日、鰆浜の兄の家に行くと変わった胡瓜が飾ってあった。近所の人が家庭菜園の中で見つけたものを持って来られたそうである。

 胡瓜が生長する際、何か障害物があってこのような形になったのかと思ったら、自然に成長する中でこのようになったそうである。

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 自然のいたずらは時々ビックリするような物を作り出す。大根やその他の植物で変形した物が、新聞などに投稿されることがあるが、この胡瓜も面白いので紹介してみた。
by hirosan_kimura | 2009-08-11 06:37 | 植物 | Comments(0)
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 7日金曜日は厳島神社の管弦祭であった。御座船が厳島神社から地御前に渡る頃を見計らって、海岸に見に行ってみた。

 例年の如く寂しい限りで、御座船を取り巻く船は十数隻。海岸から見物している人も数人のみ。

 昭和40年代の始め頃までは、御座船の周りを数百隻の船が取り囲み、海岸端にはギッシリと見物人があったものである。
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 毎年管弦祭りが近づくと、数日前から瀬戸内海の島々から遠くは四国の方から、家族ぐるみで漁船に乗り込み船に泊り込み自炊をしながら、祭りに備えていた。

 その数は数え切れないほどで、神社を中心に西の松原から小学校の方までギッシリと埋め尽くしていた。

 漁業を営む人達が、厳島神社に安全祈願をするためと、楽しみの少ない時代の数少ない娯楽でもあったのだろう。

 その漁船が、御座舟に付いて地御前沖まで伴をしていたので、御座舟の運行のみでも圧巻であった。

 管弦際は旧暦の6月17日に行われるので、地元ではこの祭りを「十七夜(じゅうひちや)」とも「おかげんさん」とも呼び、子ども達はこの日を心待ちしていたものである。

 4年に一回うるう年があり2月に1日 日にちが追加されるが、旧暦では「うるう月」があり今年は5月が二回あったため、管弦祭が8月になり遅くなったが、例年では学校の夏休み前のことが多い。

 子どもの頃には管弦祭の日は小学校が昼までで終っていた。下校途中に地御前神社の境内を通って帰宅するのに、道の両側をギッシリと屋台が埋め尽くし、中には早々と営業をしているものもあった。

 わくわくする気持ちを抑えながら急いで家に帰り、昼食を済ませて僅かな小遣いを貰いお祭りに行くのが楽しみであった。

 夕方が近づくと厳島神社にお参りするため、国道の下りは渋滞が起き、下り電車も乗客で身動きが出来ないくらいであったが、今では国道も広電もガラガラ。

 御座舟が厳島神社を出発する頃になると、阿品の海岸では見物客で一杯であったが、今では僅かな人が居るのみ。

 御座舟が地御前神社に到着する頃が祭りの最高潮で、地御前神社附近は人ごみで溢れかえっていたが、今ではその頃の面影もない。

 祭当夜は各家々では親戚や知人を招き、子どもはご馳走を食べ、大人はお酒を飲んで楽しんでいたが、今ではそのようなことをする家も僅かである。

 大人も子どもも一年の数゙少ない楽しみの一つでであったが、今では阿品の人でも管弦祭があったことさえ気付かない人もある。

 誠に寂しい限りであるが、昔のような賑わいを取り戻すことは出来ないのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-08-10 01:55 | 行事祭礼 | Comments(0)