素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№167 海岸の変貌

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 上の写真は知らない人が見れば宮島の裏の海岸か、何処か田舎の海岸風景に見えるであろう。

 この写真は昭和三十年代の阿品三丁目西側附近の海岸である。宮島競艇場の少し広島寄りの場所である。

 全く同じ位置からの撮影は難しいが、下の写真はほぼ同じ場所の現在の様子で有る。

 国道の沖側には半島のように島が残っており、麓には砂浜も有り海水浴も楽しめた。ほんの少し前までは阿品の海岸も「白砂青松」の美しい風景が残っていたのである。

 鼓ケ浜団地を造成するため島は削られ、海は埋め立てられ今では見る影もない。

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 先の二枚の写真は海岸に近い方の写真であるが、この二枚は広電・国道側の写真である。

 撮影位置は若干異なるが、同じ場所を写した写真である。建物はNHKの保養所であったが、後に魚料理専門の料亭のような施設に変わっていた。それもいつの間にか無くなった。

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 鼓ケ浜の海岸から競艇場方面を臨んだ写真である。余り風景が変わっていないようにも見えるが、宮島口附近に高層の建物が増えている。
by hirosan_kimura | 2009-06-30 06:41 | 地形 | Comments(0)

№166 火立岩 2

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 火立岩(ほたていわ)は№28でも紹介したが、バイパス工事のため撤去されるまでは、鰆浜のシンボル的な風景で有った。

 管弦祭の時は厳島神社を出発した管弦舟が、この火立岩の沖に船足を止め地御前神社からの迎えを待つ。

 宵闇迫る頃、地御前神社より迎えの舟が来て、雅楽や太鼓を打ちながら地御前神社に向かう。まりで一幅の絵巻を見るようであった。

 今では管弦際も寂れてしまい、沖合いを通過する管弦舟に目を向ける者も少ない。

e0125014_10342569.jpg 古い時代の古地図にも必ず表示してあった。

 阿品を紹介する古い文書でも、阿品の名所のひとつとして必ず記されていた。





















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 子どもの頃は遊び場のひとつで、鰆浜で育った子ども達はこの場所で良く遊んでいた。

 小さな小島ではあったが驚くほど大きな松の木が数本繁り、この木に登ったり麓で遊んだりした。

 ある時、この松の古い穴に「ふくろう」が住み着き子育てをしていたこともあった。海面から見ればかなりの高さである松の枝を登り、恐る恐る巣の中の雛を覗いたことがあった。


e0125014_15281381.jpg夏にはこの小島の麓で泳いだり魚を釣って遊んだ。









e0125014_10392239.jpgバイパス工事のため撤去され、今では無粋な木柱の表示が残されているのみである。
by hirosan_kimura | 2009-06-29 06:24 | 名勝・旧跡 | Comments(0)

№165 危険な歩道

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 地御前から阿品に向かう国道沿いに狭いながらも歩道が整備されている。
 バイパスが整備される前の国道は、道路中央二車線分がコンクリート舗装され、その両側は1.5mくらい砂利のままで、人はその砂利部分を歩いていた。

 車道と歩道部分は舗装してあるかしてないかの違いだけであったが、通る車の数も極めて少なく車と人とが人身事故があったなど聞いたことも無かった。

 交通量が増え、バイパスが整備され道路は危険な場所となった。道路は整備されたが車優先象徴のような歩道を見ることが出来る。

 場所はバイパスと旧国道が交差する陸橋の下。阿品一丁目「光が丘団地」の下附近である。幅の狭い歩道が突然狭くなる。歩道を歩く者は一旦車道に下りないと通り抜け出来ない。

 まず車道幅を確保し、余った部分に歩道を設けると言う日本の貧しい道路行政を象徴するような歩道である。

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 僅かな幅の歩道を確保するためにどれだけの追加工事を要するのか分からないが、なんとも情けない歩道の姿である。

 それにしても完成して30年以上、いくら歩道を利用する人が少なくても誰からも改善の声は上がらないのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-06-26 09:33 | 交通 | Comments(0)
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 その昔、広電宮島線の終点であった「新宮島駅」、厳島への渡船場所であった浜辺を「拝床」と呼んでいた。
 今の西広島バイパス出口、国道二号線と交差する橋脚のある附近である。

 その昔、厳島は神の住む島として人が住むことは出来なかった。このため厳島神社の神事を司る神官は、毎日舟で厳島に赴き地御前よりお宮に通っていた。

 嵐の際は舟が出せないので地御前神社で神事を行っていたそうである。

 しかし、不思議なことに地御前神社からは地形の関係で、厳島神社附近を遥拝することは出来ない。

 地御前より厳島を遥拝出来るのは神社の海岸沿いに西に行き、沖島附近を越え「拝床」と呼ばれていた浜辺附近まで行くと、厳島神社附近を遥拝することが出来るのである。

 阿品地域の言い伝えでは、神域の厳島に人の住めない時代に、この地より厳島神社を遥拝したとので「厳島神社を拝む所」という事でこの地を「拝床」と言うとの説が残されている。

 この説が事実で「拝床」と言う地名が残されているのか分からない。厳島神社関係の書物にもこのような記録も残されていない。

 なお「拝床」は「灰床」とも表記される場合もある。またこの海岸を「灰床平(はいとこひら)」とも呼ばれていた。また江戸時代の地図には「拝床」を「ハイヤ」とも記されている。

 背後の山は「拝床山」「灰床山」とも呼び、厳島合戦の際、毛利軍が集結した合戦場の跡地でもある。
by hirosan_kimura | 2009-06-25 10:27 | 宗教 | Comments(0)

№ 163 ほたる

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 蛍の飛び交う季節となった。平良の可愛川流域では例年になくたくさんの蛍が乱舞しているそうである。

 以前は阿品でも至るところに蛍が飛び交っていた。数年前までは僅かに見ることの出来た蛍ではあるが、最近では阿品で蛍を見ることはほとんど無いそうである。

 阿品台ニュータウンの造成される前までは、鰆浜のJRより奥の地域、阿品地域では到る所で蛍を見ることが出来、阿品で蛍は珍しいものではなかった。

 母の実家が阿品にあったので良く泊まりに行っていたが、夜電気を消していると家の中にまで蛍が飛び込んで来て、蚊帳の中に蛍を入れて遊んだりもしていた。
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 蛍は鰆浜にも阿品にもいたが、阿品の方が断然多くいて、夏になると鰆浜の子ども達は夜になると数人が連れ立って阿品に蛍を採りに行っていた。

 今と違って夜になって子ども達だけが出掛けても危険は無く、親達も気を付けて行くようにと言うだけで何も言わなかった。のんびりとした時代であった。

 蛍は幾らでも採ることは出来たが、捕まえた蛍は一体どうしていたのであろうか。

 団地の開発により、山は削られ谷は埋められ、小さな川の流れも無くなりいつの間にか阿品で蛍を見かけるのは難しくなってしまった。

 阿品で蛍が乱舞する時代が再びあるだろうか。
by hirosan_kimura | 2009-06-24 06:04 | 動物 | Comments(0)

№162 マンション

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 阿品三丁目の海岸に屏風を建てたようにマンションが林立している。このマンションも建てられる前は宮島よりの景観が悪くなる、マンションがたくさん建ち交通渋滞が起きるなど反対運動も起きたことがある。

 本年初め最後のマンションが完成し、全体計画も完了したが今では海岸の風景にも溶け込み、宮島から見ても違和感は無くなった。

 このマンションは大きく分けて4期に分けて整備された。

ウエストデッキ
 宮島側に一番近い区域で、14階建て・203戸、平成11年3月に完成している。

イーストブリッジ
 広島側に近く、12階建て・壱番館は平成13年3月、弐番館・参番館は平成13年6月に完成し、総戸数は300戸。

センターコート
 全体の中央部分に建てられ、12階建て、総戸数125戸。平成14年12月に完成した。

シーテラス
 3階建て、48戸。平成19年8月に完成した。

シーマスト
 今年に入って完成した最後のマンションである。15階建て126戸。今まで建てられた中で一番高層である。

 大都会の中ならまだしも、一箇所に800戸を超えるマンションが整備されたが遠くから見ても中々壮観である。
by hirosan_kimura | 2009-06-23 10:59 | 三丁目 | Comments(0)

№161 水害

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先日まで今年の梅雨は雨が少なく、田植が出来ない・ダムが干上がりそうであると大騒ぎをしていたが、この所のの雨でこの心配は無くなったようである。

 阿品は土地が低く梅雨時になると田畑はいつも水に浸かっていた。特に今のJR駅前広場附近は国道より一段と低く大潮時に長雨が続くと溜まった水が中々吐けなかった。

 今では公園の下に大きな調整池が作られ、溜まった水は強制的にポンプで排水しているが、以前か干潮時に排水し、満潮時には海水が浸入しないように樋門が海水の圧力で自然に閉まるようになっていただけである。

 満潮時に奥の川から流れ出る水は堤防の内側に貯まる一方で、大雨が続くと堤防の内側は畑も田圃も道路も水の中になる。
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 河口付近の家屋敷地の低い家では、床上まで水に浸かることも珍しくなかったが、今では調整池が整備されたり、大きな排水ポンプも備え付けられ、大雨の度に田畑・道路・家屋が水に浸かるぉとも無くなった。
by hirosan_kimura | 2009-06-22 09:59 | 災害 | Comments(0)
e0125014_1493480.jpg 小さな写真を拡大したので極めて不鮮明であるが、現在の「光が丘団地」附近を地御前側から遠望した風景である。

 今でこそ「阿品一丁目」と住居表示されているが、この地は地御前に属し阿品では無かった。

 中央の白い部分は、国道・広電宮島線が敷設される際、海を埋立てため山砂が削られ、山肌が露出しているものである。

 削られた部分は崖状になっており、地御前側は山の一部が残されている。現在は西広島バイパスの出口附近で、残された山の一部も橋脚が建てられ今では残っていない。

 写真下の中央やや右寄りと、真中左部分の白い部分は国道で、当時はコンクリート舗装であった。左側上方にかすかに見えるのは宮島である。

 地御前側に僅かに残された山を「水晶山」とかってに呼んでいた。小学生の頃、学校の帰りや、休みの日にはここで水晶を良く掘っていた。

 余り大きな水晶は掘れなかったが、時には大きなものが採れることもあり、子ども達は大きさを比べあっていた。今から50年以上前の懐かしい思い出である。

 南側山肌は垂直に近く、高さ30㍍くらいあった。一時、この場所を利用して射撃場が設けられていた。どこが運営していたのか分からないが、良く射撃が行われていて時には岩国基地の米軍兵が来ていることもあった。

 径15cmくらいのアスファルト状の物で作られた皿を、機械で空中に打ち出し皿を目がけてライフル銃のような物で打って射撃をしていた。皿の色は黒かったが裏側は白く塗られていた。

 小学校の帰り道で射撃があると飽きもせず良く見物をしていた。近づくと危険なため係りの人に怒られ、遠くから見物していた。

 射撃の無い日には皿を拾らいに行っていた。銃が命中せず割れていない皿を探すのであるが、皿を持って帰っても何に使用すると言う目的も無かったが、誰がよりたくさん集められるかというだけのことである。

 射撃場もいつの間にか廃止され、崖地は斜面状に崩され今では「光が丘」という小さな団地に造成されている。

 今では団地と西広島バイパス出口となり車が行きかい、水晶の採れた小山と射撃場の面影は全く無い。

 夢中になって採った水晶、使用目的も無いのに競って集めた皿はどこに行ったのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-06-12 04:58 | 地形 | Comments(0)

№159 貴重な植物

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浜昼顔
 浜昼顔は海岸の砂浜に生える蔓性の植物である。多年草で春遅くから初夏のかけて美しい花が咲く。

 阿品では以前は珍しくも無かったが、今では中々見つからない。

 昭和30年代頃までは、お上がり場の海岸の海砂の吹き寄せた場所、電車の線路沿い、阿品新開の南側低地で良く見かけていた。

 「広電阿品駅」ホームの広島寄りの線路沿いに、今でもたくさんの浜昼顔が咲き今が見ごろである。

 広電線路の鰆浜側はバイパス工事のため線路が移設され、浜昼顔が絶えてしまったが、阿品三丁目附近は線路の移設も無く、細々と生き残っているのであろう。

e0125014_15245974.jpgこの花は良く見ると朝顔に似て中々美しい花である。

 







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 葦は地名「阿品」の語源とも言われるほど阿品では珍しい植物では無かった。

 遠い昔には海岸沿いに葦が繁茂していたとも伝えられている。

 鉄道・国道・広電線路の敷設により、海岸沿いは地形が変わるほど埋め立てられ、たくさん生えていた葦も激減したらしい。

 それでも昭和30年代頃までは国道沿いの湿地で見かけることが出来たが、今では絶えてしまっている。

 不思議なことに阿品公民館南側の狭い場所で、僅かな葦が生き残っている。

 この葦も消滅するのも時間の問題では無いかと考えられる。

 葦「あし」は「悪し」に通じるので「よし」とも呼ばれる。この植物は水の自然浄化作用があり、各地で葦原の復元が心見られている。


e0125014_15261167.jpg偽(にせ)アカシア
 この木も以前は良く見かけていたが、今では阿品陸橋の下に数本と、元新宮島遊園で見かける程度である。

 この木はアメリカ原産であるが、砂防や土止め効果があり明治の初めに日本に輸入された。

 阿品では山際や阿品新開の河口沿いで見る事が出来た。

 白い房状の美しい花が咲く。この木には棘があるが、子ども達はこの棘に唾を付けて鼻の上にくっつけて、「鬼だ」など言って遊んでいた。

 昔はそこらじゅうで見ることが出来、身の回りにあって当然と思っていた阿品の植物も、自然が開発され貴重な植物となってしまった。

追記 平成21年8月5日
 阿品公民館横の潮溜まりに貴重な「葦」が残っていると記録したが、最近通り掛かってみると「蒲の穂」が出ていた。「葦」は間違いで「蒲」が正しい。阿品では「葦」は途絶えたのかも知れない。
by hirosan_kimura | 2009-06-11 05:30 | 植物 | Comments(0)
e0125014_8492620.jpg 「てんば」とは防波堤のことである。「転波」と書くらしい。子どもの頃には防波堤を「てんば」と言っていた。

 お上がり場から競艇場附近まで、今は不用の「てんば」が残されている。

 この「てんば」は広電宮島線が、今は無い「新宮島駅」から「宮島口駅」まで延長された際、海岸を埋め立てて整備されたものである。今から約80年くらい前である。

 今では広電線路沖の海岸が更に埋め立てられたため、埋立地と広電の間に残され、防波堤の用を成していない。

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断面を良く見るとコンクリートを節約するためか、小石がたくさん入っている。これで強度は大丈夫なのであろうか。


e0125014_16371326.jpg コンクリートは連続して流し込めないので、ところどころに継ぎ目がある。
 10㍍程度づつ打ち込んで行ったようである。

e0125014_9384722.jpg 海に降りるため所々石の階段が有った。この階段は30cmくらいの長い石材を防波堤に埋め込んだものである。手すりもなく幅も狭いので、子どもの頃はこの階段を降りるのは恐ろしかった。







e0125014_9124213.jpg 50~60㍍置きくらいに舟を繋ぐロープを結ぶための、短い円柱状の物が残されている。40年くらい昔、阿品駅(今の阿品東駅)でこれにロープを結び首吊り自殺をしていた人があり、恐る恐る見に行ったことがある。






e0125014_951696.jpg 堤防には海に降りるためところどころに切れ目が入っている。

 台風などの際は、大波が来たらこの切れ目から海水が入るので、厚い板を横に入れ浸水を防いでいた。













e0125014_982933.jpg 中に入った海水を海に流すため、小さな排水口もところどころに残されている。










e0125014_7193238.jpg 平成13年3月24日、午後3時28分に安芸灘地震が発生した。マグニチュード6.4と報じられた。このため堤防の継ぎ目が大きくずれてしまった。

 今は無用の長物のような堤防であるが、良く観察してみると色々工夫がなされている。

 今の時代と違い、土木機器も無い頃の堤防工事は大事業であっただろう。

 
by hirosan_kimura | 2009-06-10 05:34 | その他 | Comments(2)