素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

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№154 馬飛ばし

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  昨日は旧暦5月5日。地御前神社の御陵衣祭があった。地元では(ごりょういさい)と言っていたが、(ごりょうえさい)が正しいのだそうだ。

 また流鏑馬(やぶさめ)の神事があり、子ども達はこの祭そのものを馬飛ばし(うまとばし)と親しみを込めて呼んでいた。
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 2時からは神社では長い長い神事の後、舞楽が奉納された。舞楽は毎年二曲奉納されるが今年は陵王と納曾利であった。舞楽には長い歴史があるが、宮中や特別な場を除いて一地方に延々と伝えられて来ていることは、極めて稀有なことらしい。

 その後流鏑馬の神事が行われるが、今は馬も乗り手も殆どいず、道路もアスファルトで舗装され、形式的な神事に終っている。
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 今では露店も数えるほどしかなく、人出も少なく寂しい限りであるが、昭和30年代頃までは地域を挙げての大イベントであった。

 朝学校に登校する時間には露店の準備が始まっており、授業中もそわそわして勉強が身に入らなかった。当時は馬飛ばしの日は学校は昼までで終っていた。急いで家に帰りご飯を済ますと小遣いを貰って神社に駆けつけていた。

 家々ではご馳走を作りお客さんを招き、大人達は日中にも拘わらずご馳走を食べ、お酒を飲んでいる光景がそこらじゅうに見えた。

 露店は神社から小学校附近まで両側にギッシリと並び、何処から来たのかと思うほど人出があった。

 子ども達は僅かな小遣いを握り締め、駄菓子を買ったり籤を引いたりするのが楽しくて仕様が無かった。
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 今でも忘れられないのは簡単な小屋掛の中で見たろくろ首である。着物を着て座っている女の人の首が伸びていくのを見てビックリ仰天した。

 何のことは無い。座っている人と首の役は別の人で、首の役の人が幕の切れ目から顔を出し、見ている人には分からないように梯子を上がって行くだけであった。

 そのうち流鏑馬の神事が始まる。馬には白馬と茶色い馬がいて、白馬は神馬で厳島神社から来ていた。茶色の馬は近郊の農家から来ていたが、遠い昔には浅野藩から馬に乗る武士と茶毛の馬が差し出されていたそうである。

 今と違って道路は舗装されていず馬が走り抜けたり、的を弓矢で射るのをわくわくして見たものである。

 この地方では子どもの日の祝いは、「御陵衣祭」に併せ旧暦で行っていた。粽(ちまき)やカタル餅を母親が作ってくれるのも楽しみであった。

 家々の屋根には菖蒲と蓬(よもぎ)を束ねたものが乗っており、厄除けとし後は風呂に入れて子ども達の健やかな成長を願っていた。
 
今は寂れてしまったお祭りであるが、昔のように賑わいは取り戻せないものかと願うばかりである。

 北海道に行ってきます。次回投稿は6月5日。
by hirosan_kimura | 2009-05-29 04:47 | 行事祭礼 | Comments(0)
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「ふるさと 阿品 よもやま」を閲覧している人に、ネタが無くなり困っていることを話したところ、原稿の提供を頂いた。№32「阿品の弾薬庫」をより詳しく、紹介してもらったものである。

 鰆浜側から阿品側へ見晴らし山を掘られた2本のトンネルは、昭和17年頃から工事が始まり、昭和19年頃完成した。この間、昭和18年には民家2軒を立退かせいる。(これ以外に阿品にも数本あった。)

 その内の1本は、現在2本立っている携帯電話の海側(写真左側のアンテナ)下辺りであった。

 幼い子どもの頃見たので規模ははっきりしないが、幅9尺・高さ12尺くらいの素掘りであった。側面と天井面には松の丸太を組み、厚い板(今の足場板の様な板)で補強してあった。

 穴堀りは多くの人でツルハシとシャベルで行い、土の運搬にはトロッコで周辺の田や畑に出し、敵の飛行機に分からないようにと、その上に山の木で覆ってあった。

 工事人は若い人が多く、良く働いていた。夕方には割りと早く帰ることがあったので、皆が帰った後は穴の中で遊んだり、トロッコに乗ったりして親に良く怒られた。

 完成後は急に監視が厳しくなり、何か運び込まれたようであった。

終戦後、進駐軍が多く来て彼らの管理下で、各弾薬庫からかなりの量の木の箱が,お上がり場(現在の倍以上の広さがあった)に運び出され山積みにされた。

 これらの物をアメリカの上陸用舟艇に積み込み、沖の方の海に捨てていた。

 その中の一種は、厚さ2.5センチ・幅30センチ・長さ1㍍位の綺麗な木で出来た箱があった。後で聞くところによれば、ほう(朴)の木のこと。

 あまり立派な板で出来ているので海に捨てるのは勿体ないから、希望者には中味(金属の箱)は海に捨て、木の箱は配ってくれた。

 この板で床を張る家、家具を作る家、私の家にはこれで作った製図板が今も有る。

 その時海に捨てたはずの金属の箱(上質な亜鉛版)、そのまた中味を海に捨て、これでバケツやツルベを作ってくれる人がいて、阿品・鰆浜の家ではかなり普及していた。

 その金属の箱の中身は、細いセルロイドの様なものであった。それを海から拾って来て、当時マッチが不足していたので、点け木(つけぎ)として使用する家が多く有った。危ないこと。(以下、続編に続く)
by hirosan_kimura | 2009-05-28 05:41 | 軍事 | Comments(0)

№152 瀬戸貝

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 「瀬戸貝」は、阿品の海岸でたくさん見ることの出来る貝の一つである。

 正確には「むらさきいがい」と言うらしいが、阿品では「瀬戸貝」と言っている。貝の身が女性の○○に似ているので「ニタリ貝」などと言う人もあった。

 この貝は地中海が原産であるが、昭和初期に移入されたとの説もある。また繁殖力が旺盛で船底などに付着したものが日本までついて来て、各地に広まったとの説もある。

 この貝は阿品の海岸で余りにもたくさん見かけられるし、あさりなど美味しい貝があるので、余り食べると言うことはないが、貝ごと茹でたり中味を甘辛く煮たりすると美味しいものである。

 誰でも簡単に採れる貝であり、調理次第では美味しく食べられるので、もう少したくさん食べては良いのではなかろうか。

 ヨーロッパではムール貝と言われ古くから食用にし、フランス・イタリア・スペイン等ではワイン蒸し・パエリア・ブイヤベースなど名物料理に使われているそうである。

 この貝は余りにも繁殖力が強く、発電所の放水路を塞いだり、牡蠣養殖等の邪魔をするため厄介ものとされることも多い。

 しかし、この貝は海水の浄化作用が大きく、汚染された海では見直しもされているようである。

 阿品の海岸にもたくさん有り子どもでも簡単に採れ、調理次第では美味しく食べられる「瀬戸貝」を、もう一度見直してはどうであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-05-27 04:02 | 水産 | Comments(0)
e0125014_12511585.gifかんじょ
 「かんじょ」と言っても知らない人には、何のことだか分からないであろう。

 「かんじょ」とは便所のことである。自分が子どもの頃でも「かんじょ」と言う言葉は使わなかったが、おばあさんが使っていたので意味は良く分かっていた。

 この言葉は、阿品の年寄りが勝手に使っているのだろうと思っていたが、昔から使われている立派な言葉である。

 辞書で「かんじょ」を引いてみると「閑所 かんしょとも言う。人の居ない静かな所。便所。」と載っている。

 今では殆ど使われない由緒ある言葉が、阿品で使われていたのか不思議でならない。

 この他に便所のことを「せんち」「せんちん」とも言っていた。この言葉も阿品の人が勝手に使っているのだろうと思っていたが「せっちん」から来た言葉らしい。

 辞書をひくと「せっちん せついん(雪隠)の転 便所 厠(かわや)」と記載されている。「せっちん」が「せんち」「せんちん」に変化したものであろう。

 今では汲み取り便所はまず見かけないが、昔の便所は汲み取りガ普通で、屎尿は田畑の立派な肥料として使われていた。

 おばあさんの家は、母屋と便所は離れており、子どもの頃に夜一人で便所に行くのは恐ろしかったものである。便所の明かりは薄暗く、便器の下からは幽霊の手が出てくるなど想像して、今では考えられないことである。

 使用後に使う紙は今のように柔らかい白い紙ではなかった。場合によっては新聞紙を切って使っていたが、ゴワゴワしているので手で揉んで柔らかくして使っていた。

 専用の紙もあったが、ねずみ色をしたような今のように柔らかなものではなかった。

 子どもの頃、年寄りから聞いた話であるが紙が貴重品であった時代、便所で紙を使うなど考えられないことで、荒縄を紙代わりに使っていたこともあったそうである。

 また、海に近い地域では貝殻で汚れたお尻を掻きとっていたとも聞いたことがある。

 便所に籠が二つ置いてあり、一方にはきれいな貝殻、片方には汚れた貝殻が入れてあったそうである。

 汚れた貝殻で一杯になった籠は海に持って行き、籠と一緒に水の中で貝殻を洗いまた使っていたとの事である。

 うそのような本当の話らしいが、それにしても荒縄や貝殻では、痛かったり怪我をしなかったのか不思議でならない。
by hirosan_kimura | 2009-05-26 04:24 | 方言 | Comments(0)
e0125014_15303365.jpg  №2で紹介した「遊園地広島ナタリー」が閉鎖されて十数年過ぎた。

 右の写真は極めて不鮮明であるが、今から36年位前の工事中の写真である。観覧車・ジェットコースターの姿はまだ見えない。









e0125014_15311526.jpg 右の写真は陸橋を下り駐車場に進入する道路である。

 正面あたりに遊園地の入場口があった。

 この道路と、左側駐車場は現在では、「スーパー ふじグラン」になっている。

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 この写真には「広電阿品駅(当時は田尻駅)」が写っているので、遊園地開園5年以上経過した時期と思われる。

 国道に横断歩道があるが、今は廃止されている。

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 ループザループが写っていないので、上二枚の写真より古いものであろう。

 国道上側附近には工場やサウナの建物が見える。JR阿品駅はまだない。

国道と工場・広場の間には調整池も残っている。

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 夏にはプール目当てにたくさんの人が押しかけてきた。

 プールのあった場所には、今ではたくさんのマンションが建てられている。

 このあたりは昔は海面であったものが埋め立てられ、大型遊園地が開園し今ではマンションと、短い期間に目まぐるしく、風景を変えた。

 一昔前の阿品の人が見たら、びっくり仰天するのではなかろうか。
by hirosan_kimura | 2009-05-25 05:19 | 娯楽 | Comments(0)
ずぼうな


e0125014_14301044.jpg 「ずぼうな」と言っても、今では聞いたこともない人が大半であろう。

「ずぼうな」と言うのは茅(ちがや)の新芽のことである。

 この新芽を食べていたが、ほんのり甘くて美味しいものであった。

 この写真のように伸びてしまうと、口の中がモサモサして食べることは出来ない。

e0125014_14455551.jpg食べられるのは苞(ほう)の中に包まれ、外からはまだ見えない蕾(つぼみ)を見つけて、葉をめくって中味の白い部分を食べるのである。

 自然のおやつは、酸っぱかったり・苦かったり食べにくいものが多かったが、「ずぼうな」は柔らかく口当たりも良く、ほんのり甘くて食べやすいものであった。

 それにしても「ずぼうな」とは変わった呼び方である。語源はどこから来たものであろうか。

 「ずぼうな」は万葉の昔から食べられており、大伴家持の詠った歌に茅花(つばな)が出てくる。

 この「つばな」が訛って「ずぼうな」と成ったのかも分からない。

 また、納豆などを藁でくるむが「すぼ」と言われる。この「すぼ」が「すぼ菜」から「ずぼうな」へと変わったのかも分からない。

 昔は小学校の帰り道などで、「ずぼうな」を摘んで食べながら帰ったこともある。

 茅(ちがや)は何処にでも、そこらじゅうに繁り簡単に見つけられたが、今ではいざ探そうとなると中々見つからない。

 今の子ども達も「ずぼうな」を食べているのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-05-22 03:41 | 子どもの生活 | Comments(0)
ほうずき
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昔の女の子は「ほうずき」で良く遊んでいた。

 植物のほうずきが赤く熟しきった頃、その実に小さな穴を開け、その穴から中の果肉を取り出し、皮だけになったものを、口の中に入れ音を出して遊んでいた。

 口が疲れるだけで面白そうとも思わなかったが、何故か男の子「がほうずき」で遊ぶ姿は余り見かけなかった。

e0125014_15354561.jpg 「ほうずき」と言えば植物の物が普通であるが、海が近い阿品の子ども達の「ほうずき」は、海で採れた「ほうずき」が当然の物と思っていた。

 巻貝の卵が包まれていた袋が「ほうずき」である。

 海の「ほうずき」は深い所でないと見つからないので、漁師をする人が見つけると子ども達のために採っていた。

 海の「ほうずき」には小さな物と、親指の爪くらいの大きさの二種類あった。

 小さなものは比較的簡単に見つかるらしいが、大きい方は滅多に見つからないので、大きな「ほうずき」を持っている子ども達は得意そうに見せびらかしていた。

e0125014_1536977.jpg海の「ほうずき」は連なっているので、一つづつ外し小さな穴を開けて中味を取り出し、袋の中まで良く洗って口の中で鳴らしていた。

 場合によっては「ほうずき」を梅干の汁の中に入れ、赤く染まったもので遊んだりもしていた。

 最近は海の「ほうずき」で遊んでいる子ども達を見かけることも無い。
by hirosan_kimura | 2009-05-21 05:23 | 遊び | Comments(0)
e0125014_1483097.jpg医者殺し

 「医者殺し(いしゃごろし)」とは穏やかな言葉ではない。

 阿品の人でも、この言葉を良く知っている人もあれば、聞いたこともないと言う人もある。誰かがかってに言い出した言葉で、一部の者だけが言っていた言葉かも知れない。

 この言葉は焼き魚や煮魚を、無駄なくきれいに食べると言うことである。

 今は魚より肉が好きな子どもが多いいが、昔は肉などは滅多に食べることはなく、煮魚や焼き魚を良く食べていた。

 それも魚屋さんで買うのでなく、釣ったり貰ったりしていたものである。形の揃った大きな魚でなく、いろんな魚があり大きさも様々である。

e0125014_149082.jpg 今ごろの人の魚の食べ方を見ると、食べた身より残った身の方が多いのではないかと思うこともある。

 また食べた後は皿の上がぐちゃぐちゃの事もある。

 「医者殺し」の食べ方とは、小さな身ひとつ残らずきれいに食べることである。

 背びれの小骨に付いた小さな身も箸を使って全て食べる。尾に付いたひとかけらの身も残さない。内臓を包んでいた身もほぐして食べるのである。

 頭も崩して、あごの周り、目の周辺、ひれの回り、頭の骨の中にある身もすべて残らず食べ、最後には頭の形が無くなるまで崩して食べつくすのである。

 こうして丁寧に食べて骨だけが残ったような魚を、茶碗などに入れて湯を掛けてかき回し、その汁も吸い尽くすのである。

 このようにして魚を食べるとみんな健康に成り、誰もお医者さんに行かなくなるので、お医者さんにとっては死活問題になると言うのである。

 魚の身をきれいに食べ、残った骨に湯を掛けて飲んで健康になるのかは疑問である。

 生き物を食べさせてもらうのだから、粗末な食べ方をしてはならないと言う教訓から生まれた言葉かも知れない。
by hirosan_kimura | 2009-05-20 05:33 | 方言 | Comments(0)
e0125014_1363165.jpg  かつての阿品では部落の中央を巾3㍍くらい道が、国道から部落の一番奥まで伸びていた。

 道幅は鉄道線路下のガード巾と同じくらいであった。

 勿論舗装はしてなく、車がすれ違うのも困難なほどの道である。この道は曲がりくねっているほどではないが、直線道路ではなかった。

 酔っ払った人が道を踏み外し、川に落ちたこともあったらしい。余り帰りが遅いので、家の人が探しに言ってみると、川の中で気持ち良さそうに寝ていたと、笑い話のような話も聞いた事がある。

 川といっても巾も狭く水量も少ないので、あまり危険ではなかったそうである。

 この中央の道路から、人が歩ける程度の道が両方に何本か伸びていた。北側の山沿いに細い道が通り、南側の川沿いには少し広い道が、奥から鉄道線路に伸びていた。

e0125014_12224490.jpg 自動車も無くリヤカーか大八車が通る時代なら、この程度の道路でも大きな支障は無かったであろうが、自家用車を持つ家も出、民家も増えてくると道路の拡張の必要性が生じた。

 昭和50年頃になってようやく道路拡幅の工事が着手された。

 田畑の片側を削り道路巾を広げたが、民家が増え交通量の増した現在では十分な道路巾ではない。

 以前のように道の両側は田畑ばかりであれば拡幅も出来るが、現在のように家が建て込んで来ると、今以上の拡幅は困難であろう。

 それでも車同士が正面衝突し、事故が起こった話は聞いたことが無い。
by hirosan_kimura | 2009-05-19 04:52 | 道路 | Comments(0)
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すいば

 昔の子ども達は野山の植物を良く食べていた。

 山に遊びに行ったとき、喉が乾いても水などは無い。そんな時は「すいば」の木を見つけて葉っぱを咬んでいた。酸っぱいだけで美味しいものではないが、喉を潤すのに少しは役立った。

 昔は山に入ればそこらじゅうで目に付いたが、いざ探すと中々見つからないものである。

 この写真は先日、武田山に登った時、友人が見つけて写してくれたものである。

 「すいば」は大きな木にはならない。大きくなっても写真より一回り大きくなる程度である。

 「すいば」とは阿品で子ども達が勝手に呼んでいたもので、「酸っぱい葉っぱ」とでも言う意味であろう。

  別名「きづ」とも呼んでいた。

 正式な木の名称を探してみるが、中々分からない。

 今の子ども達にこの葉っぱを食べさせても、一口咬んで吐き出すであろう。

追記
 このブログを見たある方から、「すいば」とは「ぎしぎし」のことで、この木は「すいば」では無いと言うご指摘を頂いた。他の人に聞くと「すいば」と言っていたと言う人もある。いずれにしても勝手に呼んでいた名称であろうが、いずれが正しい呼び方なのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-05-18 04:41 | 子どもの生活 | Comments(2)