素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:地図( 7 )

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文化3年(1806年)3月28日 朝曇天。
 六ッ後 一番東河、尾形、小坂、吉平、半六、宮嶋より乗船二里余佐伯郡大野村丸石岬より初、同村と地ノ御前界迄測。それより地ノ御前村厳嶋ノ外宮鳥井迄測、七ッ半後に地御前村へ着。

 二番坂部、稲生、門倉、角二、芸防の国界大竹村より初、夕見村、小方波田村、黒川村、玖波村、大野村丸石岬迄測。(丸子嶋遠測)一番と合流。七ッ半頃に地御前村へ着。

 三番高橋、永沢、惣兵衛、甲嶋村(芸州、即佐伯郡小方波田村持、防州岩国持。猪子嶋(芸州佐伯郡小方波田村持)。両嶋一周を測。夜に入て地御前村へ着。

 四番下川辺、平山、佐藤、丈助、栄二、阿多田嶋(佐伯郡小方村波田村持)を測る。夜に入て地御前村へ着。

 泊宿本陣庄屋茂右衛門。外宿、百姓出来蔵。此夜広嶋大船頭境要蔵、同船手役加藤惣右衛門、桑原五内(是は病気不参也)見舞に出る。佐伯郡支配下役宮原直右衛門暇乞に出る。

 今日三番手甲嶋測量出役防州岩国村田儀兵衛(大庄屋なり)。同手付仁左衛門、三右衛門、同筆者甚右衛門、刀称弥右衛門、同太郎兵衛門出るよし。此夜大曇不測。二番三番四番四ッ後乗船。各測量地へ行。

同二十九日 朝曇少晴。
 六ツ半頃一番東河、下河辺、稲生、佐藤、吉平、地御前村出立。外宮鳥井脇より初、宮内村、平良村、二十日駅(西国街道駅次)、坂田村、五日市村、皆賀村、井口村界迄測。
以下省略
e0125014_102412.jpg 地御前の宿泊に「外宿 百姓 出来蔵」とある。
 地御前の庄屋に文政5年(1822年)~天保4年(1833年)出来蔵とある。恐らく伊能一行が宿泊した百姓出来蔵と、後の庄屋出来蔵は同一人物と思われる。
by hirosan_kimura | 2016-02-26 10:12 | 地図 | Comments(0)

№618 古い地図

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 阿品近辺の古い地図がある。手書地図で概略図であるが、位置や方位はほぼ正確である。海岸沿いの赤い線は旧国道を示しているものと思われる。

 書かれた年代は分からないが旧国道は明治12年、旧国鉄は明治30年に開通している。広電宮島線が「新宮島駅」まで開通したのが大正15年である。この図には宮島線は描かれていない。

 従ってこの図が描かれたのは明治30年以降、大正14年前の間であろう。

 図に色が塗ってあるが、赤色の山は「田尻」・黄色「阿品」・緑「鰆浜」、薄い赤は阿品の隣の「田屋」を示している。

 阿品に二ヶ所ある国鉄のトンネルは省略して描かれている。「阿品」「鰆浜」部落内に描かれている赤い線は村道・里道等を示すものであろう。

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 この図も同年代のものであろうが、旧国道がはっきりと描かれている。
by hirosan_kimura | 2014-02-18 14:30 | 地図 | Comments(0)

№609 夢マップ

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 いつ作成されたものか分からないが「はつかいち夢マップ」が作られている。企画・作成は「はつかいち21フォーラム」とある。実現は不可能に近いが夢を語って造られたものであろう。

 阿品附近は現在と異なり大きな建物もある。「広電阿品駅」は駅舎が建て替えられ、「JR阿品駅」は大きなビルになっている。三丁目附近も大きく変わっているが、前面を埋立て新しい広い道路が新設されている。道路の海側は公園となり砂浜が広がり、海辺でレジャー遊びが出来るようになっている。

 沖山附近も大きく変わり、「かきセンター」や新しい港が作られている。

 宮島口には新幹線駅が新設され、宮島に渡る港も整備されている。「宮島競艇場」は撤去されている。

 この図には無いが市役所沖から地御前附近の海岸沖には、「廿日市ドーム」「廿日市タワー」「国際センター」「ホテル」「ヨットハーバー」など盛りだくさんの施設が整備されている。

 実現は夢のまた夢であるが面白いマップである。

 
by hirosan_kimura | 2014-02-01 12:25 | 地図 | Comments(4)

№499 古地図

  阿品付近が描かれた古地図を探すがなかなか見つからない。日本では古くからたくさんの絵地図が発行されているが、阿品付近を詳しく記したものはほとんど無い。広域的な古い絵地図を阿品近辺で拡大してみた。勿論、阿品の地名も掲載されていないし、海岸線も極めて大雑把に記してあり詳しい地形は判別出来ない。
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 西国筋海路絵図より 寛文8年  1668年

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 西国海路之図より 延宝5年 1677年

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 日本図より  元禄年間

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 大日本沿海図より  文化8年  1811年

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 本朝図鑑網目より  貞享4年  1687年

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 官板実測日本地図より  慶応3年  1867年

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 江戸長崎間道中絵図より  発行年不明

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 船路図より  発行年不明

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 江戸期航路図  発行年不明
 この図は尾道市の旧家で新しく発見された屏風絵で、先日の中国新聞にその様子が掲載されていたものである。
by hirosan_kimura | 2012-11-15 14:32 | 地図 | Comments(2)

№412 鰆浜の古図

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 明治18年頃の鰆浜の絵図である。黄色い部分が田、赤が畑とある。青い部分が荒地を開墾とあるが詳しいことは分からない。

 海岸沿いの赤い部分が、明治12年に完成した旧国道である。現在のJR・山陽鉄道が明治30年、広電宮島線が阿品付近に開通したのは昭和6年でこの図には記されていない。

 この図には家屋が記されていないので、この頃鰆浜に何軒家があったのか分からない。

 現在は住居表示で古い地番が分からないが、土地の地番とこの図を照らしあわせば大体の位置関係がわかるが、古い地番はなかなか分からない。川の位置も今とは異なっているようである。

 中央下の白い部分にはその後の地図に「鰯干場」と記入されたものもあった。
by hirosan_kimura | 2011-11-21 14:12 | 地図 | Comments(0)
e0125014_1139188.jpg №142「地図・図絵4」で明治23年頃測量された地図を紹介した。

 左の地図は明治27年に測量された阿品附近の地図である。発行は「大日本帝国陸地測量部」となっている。

 海岸線の中央当りが「お上がり場」その上部が「鰆浜」、下部の谷が「阿品」部落である。同じく海岸線の上部の山が「沖山」である。

 海岸線下部の出っ張りが「田尻」の山で、№167で紹介した附近である。その下が競艇場・宮島口に続く海岸である。

 海岸殿の道路は旧国道であるが、現在の国道と比較するとかなり曲がりくねっている。

 当然JRの線路も広電宮島線も無い。一番変わったのは阿品の山で自然の山のままである。今と違って自然溢れる風景であっただろう。

 測量技術の発達していない今から約120年前、明治23年に測量し僅か4年後にまた新しい地図が作製されたことに疑問を持っていた。

 明治23年の地図は軍用のため第五師団が、広島周辺の二万分の一の地形図を発行したものである。測量は明治23年頃であるが、明治26年3月に印刷・出版された。

 第五師団では、他に同縮尺で四日市(現在の東広島市)・上瀬野・狩留家及志波・廿日市村及玖波村の各近傍図を作成しているが、詳細は不明とされている。

 いずれの地図も縮尺は二万分の一である。正式測図の縮尺が明治43年に二万五千分の一に変更され、今では二万分の一の地図は発行されていない。
by hirosan_kimura | 2009-07-17 02:16 | 地図 | Comments(0)
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 伊能忠敬は全国を測量して周り日本地図を作製したが、当時の地図としては極めて正確で欧米の人々もその正確さに驚嘆したと言われる。

 文化3年(1806年)3月28日には、伊能忠敬が阿品地域の測量を行っている。

 当日の天気は曇天。六ツ時(午前六時)から大野村(現在は廿日市市)丸石峠から測量を始め、地御前神社まで測量を行った。

 測量隊の一行は当日、地御前村本庄茂衛門宅、他に百姓出来蔵宅に止宿した。

 翌日29日は朝曇り、六ツ半(午前七時)頃出立し、地御前神社鳥居より測量を開始し、当日は井口村(現在は広島市)境まで測量を行った。

 写真の地図は伊能忠敬が測量したものの概略図であるが、詳細分があれば今から157年前の阿品地域が詳しく分かるあろう。
by hirosan_kimura | 2008-12-15 10:06 | 地図 | Comments(2)