素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:通信( 6 )

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滅多に手紙やはがきを郵送する機会もないが、近くに郵便ポストがあれば至極便利である。幸い我が家では歩いて数分も掛からない場所に郵便ポストが設置されている。

 現在阿品全体では18個の郵便ポストが設置されている。阿品一丁目2か所、二丁目2か所、三丁目3か所、四丁目1か所、阿品台10か所で全部で18個の郵便ポストが設置されている。

 郵便ポストはメールの普及や人口減で、全国的にみれば設置数が減少しているらしい。ポスト1個当たりの人口は全国で700人程度となるが、阿品ではポスト数と人口からみれば780人程度にポスト一か所ととなるので全国平均よりやや少ない程度で、ほぼ全国平均に近いポストが設置されていることになる。

e0125014_11414985.jpg 現在ではこのようにたくさんあるポストも、かつては阿品全域で1個のポストがあるだけであった。場所は鰆浜(現在の阿品一丁目)の広電停留所前にあった藤川商店に設置してあった。図の赤丸の場所である。

 阿品で最初に開店し唯一の店であった「藤川商店」も店主の方が亡くなられ、一時親戚の方が引き継いで居られたが間もなく閉店された。その後鶏肉の加工場になっていたがこれも無くなり、今では一般住宅が建てられている。

 いつの時代に設置されたのかは分からないが、このポストは三丁目の埋立、ふじタウン・阿品台が開発されるまでの長い間、阿品の人たちの唯一の郵送手段として利用されてきた。この地にあったポストは現在では鰆浜の集会所脇に移転されている。

e0125014_10555981.jpg 当時のポストの写真でもあれば良いがなかなか手に入らない。

 阿品で唯一のポストは壁掛け式で、現在では余程田舎の方にでも行かないと見る事が出来ない。
by hirosan_kimura | 2015-01-30 14:05 | 通信 | Comments(4)

№631 鉄塔2

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 №444で紹介したが、阿品には山の上に二本の携帯電話の電波を送信する塔が建てられている。日本とも標高30~40m程度の見晴らしの良い山の上に、それぞれ30mと35mの塔の高さがあり地上からはかなりの高さとなっている。

 この3月の末には更に一本新しい送信塔が建てられた。写真の右端の山の上の二本が既存の塔で、左端が今回新設されたKDDIの塔である。

 e0125014_10364954.jpg この塔は鰆浜のJR線路の奥側すぐ傍の平地に建てられている。この場所は三方を山に囲まれた谷で、開けているのは海側の一方のみである。塔の高さは地上20mであるが、海抜でも塔の頂上は25mにも満たないのではなかろうか。

 素人考えでは電波を飛ばす塔は、見晴らしの良い高い場所に更に高い塔を建てるのが当然と思うが、三方を山に囲まれた平地に20m程度の高さしかない塔が建てられたのだろうか。

 設置場所の選定に当っては、当然電波の届く範囲等の調査を行なったのであろうが不思議でならない。
by hirosan_kimura | 2014-04-04 10:39 | 通信 | Comments(6)

444 鉄塔

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 鰆浜と阿品境の山のJR線路より沖側に二本の鉄塔が立てられている。

 携帯電話の電波を飛ばす鉄塔らしい。

e0125014_9402669.jpg  阿品側から見て左側の鉄塔は「ジェイフォン株式会社 W阿品東局」とある。この鉄塔は円筒形の筒状の構造で、鉄塔の高さは35mとある。

 完成は平成15年8月とある。













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右側の鉄塔は「株式会社NTTドコモ中国 阿品基地局」とある。鉄骨を組上げて建てられている。

 鉄塔の高さは不明であるが、ジェイフォンのものと殆ど変わらないようである。

 鉄塔脇の看板に「阿品LET新設工事」「阿品IMT撤去工事」、工期は平成24年2月27日~平成24年6月18日とある。何の工事をするのであろうか。







e0125014_9534873.jpg追記
 ブログを見た人よりジェイホンとNTTの写真が入替っていると指摘いただいた。また、NTTの鉄塔は高さ30m。IMTとは現在の第三世代移動通信システムのことでこれを撤去し、LET(次世代携帯電話規格システム)を新設し通信速度を飛躍的に速くする工事と教示してもらった。
by hirosan_kimura | 2012-04-25 06:54 | 通信 | Comments(2)

№238 公衆電話

e0125014_10153067.jpg 阿品三丁目の陸橋の下に公衆電話BOXがある。

 平成12年まではこの公衆電話BOXの側が、広電宮島線「田尻駅」であったが、8月1日に駅が移設されたため旧ホームの一部が残されているのみである。

 それまでは電車を利用する人達がこの電話BOXを利用していたが、駅が移設され携帯電話も普及し、この電話を利用する人は殆ど無い。

 携帯電話の普及により公衆電話がどんどん撤去されている。市民が利用する公民館の電話も撤去されてしまった。

 以前には公衆電話は店先や、道路脇の電話BOX等到る所で見かけることが出来た。今では町中でも公衆電話を探すのは容易ではない。

 携帯電話を持っている人には不便ではなかろうが、お年寄り達には不便になってしまった。

 利用する人の殆どいない三丁目の電話が撤去されないのは不思議である。撤去費用より維持費の方が安くつくのであろうか。

 阿品で電話が開通したのはいつのことか不明であるが、明治44年9月に廿日市~大野間に開通しているのでこの頃ではないかと思われる。今から約98年前のことである。

 この当時に電話を引いた家は極僅かで、役所関係か特別の家のみで限られた所のみであったろう。

 子どもの頃の昭和20年代30年代になっても一般家庭には電話は無く、鰆浜でも吉田病院・藤川商店など極限られた家にしか電話は見られなかった。

 当時兄は名古屋に住んでいたが、子どもが生まれたときにはすぐ隣の吉田病院へ電話が掛かっていた。看護婦さんたちが電話が掛かるとわざわざ我家まで呼び出しに来ていた。

 父が病院に駆けつけ「男の子が産まれた」と聞いてきた。しばらくすると又呼び出しがあり「男の子でなく女の子であった」と聞いてくる。しばらくすると又呼び出しがあり「やっぱり男の子が正解であった」と電話がはいったこともあった。

 なぜこのようなことになったのか分からないが、名古屋では会社から病院とのやりとりで混乱があったのかも分からない。

 我家に電話が入ったのは随分後であったが、自宅で電話を受けたり掛けたりするのがこんなに便利なものかと思ったものである。

 今では一家に一台どころか一人一台の時代となった。一昔前のことを思うと自宅のすぐ近くの人にさえ、電話でやりとりするのを見かけると、勿体ないことだと思う方が間違いであろうか。(№86電話参照)
by hirosan_kimura | 2009-10-29 11:04 | 通信 | Comments(0)
e0125014_13494100.jpg明治30年1月15日
廿日市~厳島間電信電話局開局の新聞記事 芸備日日新聞

新設電話局の縦覧
 佐伯郡厳島と同郡阿品間の海底電線は既に全く出来上がり、新設厳島及び廿日市電信局にては早くも電信機械の据付を了り通電の準備悉皆皆整ふたるを以て、来る廿一日頃には本省より開局の命令あるべきっ予定なれば、其前に当り十八九日の両日に於て、両局に於ける電信機械の据付を各人民に縦覧せしむる筈なりといふ。
 
e0125014_13231498.jpg また技術員は正員二名、予備員一名都合三名を一電信局に置くべき規定なれども、目下技術員不足の場合なるを以て、当分の内は廿日市及び厳島の両局に於て正員二名を置きて予備員を置かざる筈なりと。

 また電信機械は当分の内常機械のみを据付けて、予備機械は本省より到着の後に据付くる筈なりといふ。
by hirosan_kimura | 2009-04-09 05:02 | 通信 | Comments(0)

№86 電話

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 阿品に電話が開通したのははっきり分からないが、旧廿日市町の開通が明治42年1月とある。廿日市~大野間の開通が明治44年となっているので、阿品地域も明治44年頃と推測される。

 昭和30年代前半でも鰆浜に電話があったのは、県立地御前病院・吉田病院・藤川商店で、一般家庭で電話があったのは阿品地域では、数えるくらいしか無かったと思われる。

 なぜかこの頃は阿品地域は「大野局」の管轄であった。

 その頃の電話は壁に付けられ、右側に電話局を呼び出す手回しのハンドル、左側のコードの先には受話器、電話の真中に小さなラッパのような送話機が会った。

 電話を掛ける時はハンドルを回し電話局を呼び出し、交換手が相手の電話に繋ぐので相手が出るまでには随分時間が掛かった。大坂など遠距離では局を呼び出しいったん電話をきって、相手に繋がったと云うベルの合図を待っていた。

 広島の局につなぎそこから大坂の局につなぎと、リレーのように手動で繋ぐので随分時間が掛かった。他の通話が込んでいる時は一時間くらい電話機の前で待っていなければならないこともあった。

 電話がある家庭は極僅かなので、電話を掛ける時は他の電話を借りるのが普通であった。気の毒なのは相手から電話が掛かった時で、「○○さんを呼び出してください。」と云う時で、その都度電話の掛かった家を呼び出さなければ成らなかった。

 電話が済み受話器を置きしばらくまっていると、電話局より「ただ今の電話料金は○○円です」との連絡が入るので、電話を借りた者は借りた家にお金を払うのである。

 中学校の際、先生が良くこぼしておられた。宿直をしていると夜電話が掛かり近所の家の呼び出しがある。中には速谷神社附近の家の呼び出しがあり、断る訳にも行かず自転車で呼び出しに行ったこともあるそうである。この間、学校は無人になり相手が来るまで電話ははずしたままである。

 今では一家に一台はおろか一人一台の携帯電話、外国でも瞬時につながり、ほんの少し前では考えられない時代となった。 
by hirosan_kimura | 2009-03-08 06:15 | 通信 | Comments(0)