素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:交通( 23 )

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宮島線延長・地鎮祭・祈願祭 大正十四年七月十六日 中国新聞

 既報の通り廣島瓦斯電軌株式会社は、郊外電車宮島線の第三延長工事廿日市~地御前間も竣工を告げ、愈々十五日から運転を開始すると同時に、二百五十人乗一艘・百五十人乗二艘の軽快な連絡船を新造し、地御前聖覧場(註 鰆浜の別称「№17地名鰆浜」参照)より宮島商船桟橋間の連絡航路を開始したが、之より先十四日同社では松本社長以下重役及社内幹部一同に、来賓として在廣新聞記者を招待し、廿日市駅前の仮祭壇で午後三時から新設線の地鎮祭を執行し、終了後神官同乗し地御前線及航路の平安を祈願しつつ、宮島に渡り厳島神社に於いて祈祷祭を挙げ、それより亀福別荘に於て、披露宴を張ったが宮島名物の優雅な宮島踊に主客共に夏の宵を興じた。

上掲写真
 左側 大正十四年七月十五日開通宮島航路の新宮島乗船場
 右側 大正十五年七月十五日開通広電宮島線新宮島停車場 宮島線の終点駅 上記中国新聞記事の一年後に開通。場所は現在の阿品一丁目 「広電阿品東」の東寄り約300m附近

e0125014_1143482.jpg宮島線連絡船小火を起す
大正十四年七月二十二日中国

 二十一日午前十時頃、廣島瓦電宮島線の宮島(新宮島)厳島間連絡船機関士○村○○郎操縦の第三宮島丸が、宮島(新宮島)桟橋抜錨間際に突然機関部のタブレーターから火を発し、機関室のデッキに燃え移ったが直ちに消し止めた。乗客も十名足らずであったので幸い怪我人も無く、損害軽微であった。

上図、左下に電車新宮島駅とあるがこの時点では地御前駅が終点で、新宮島には連絡船の乗船場のみあった。
by hirosan_kimura | 2015-04-23 13:05 | 交通 | Comments(0)
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 昭和7年3月に、五日市~阿品付近まで新国道が完成している。この写真は余り鮮明ではないが、開通当時の沖山橋付近のものである。この付近の風景は今では大きく変わっているが、自分たちが小学校に通学していた頃はほとんどこの風景と一緒であった。

 旧国道は電車軌道左側を地御前神社付近まで狭い道路であった。新国道と広電軌道を新設するため、海を埋立て山を削って用地を確保するという大工事であった。

 特に沖山付近は国道と電車軌道を立体交差さすために難工事であったと言われる。

 新国道開設当時は道路は舗装されていず、砂利道のままであった。

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 鰆浜側も海を埋立て山を削って用地の確保が行われたが、現在のように重機もなく人手による作業が大半だったらしい。

 左下電車軌道のすぐ上側に、広電の「新宮島駅」が設けられ、宮島に渡航する連絡船乗り場もあった。この電車駅も宮島への渡船場も、広電軌道が宮島口まで開通すると同時に廃止された。

 この付近もバイパスの橋脚が架けられ、今では風景も大きく変わっている。

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 この写真は上の新国道開通場所とほぼ同じ場所から写した写真であるが、沖山の山は削られ建物が建てられ大きく変わっている。
by hirosan_kimura | 2014-12-07 11:29 | 交通 | Comments(2)
e0125014_1491641.jpg 昭和4年、地御前村の車等を調査した資料がある。

 昭和4年当時の国道は明治12年に開通した旧国道のままで阿品附近は海岸沿いに整備されていたが、地御前神社から東は地御前の町の中古い道路を通っていた。新しい国道が整備されたのは昭和7年であった。

 明治30年に山陽鉄道が開通しているが、当初「地御前停車場」が設けられる予定であったが、地元の大反対により地御前を通過して大野の赤碕に駅が設けられた。JRの阿品に新駅が設置されたのは平成元年になってからである。

 広電の宮島線は大正14年に地御前駅が設置されている。同時に今の阿品一丁目の東海岸から宮島に渡る連絡船が就航している。翌年大正15年に宮島航路渡船場のそばに宮島線の「新宮島駅」が開業している。当時は当然今の「阿品駅」「阿品東駅」も無い。

 昭和5年1月には、己斐~宮島口間に乗合自動車が開通し地御前・鰆浜(今の阿品一丁目)にバス停留所が設けられている。

 昭和4年の地御前村の車等の調査によると、「馬車 乗用0・荷積用1台」「牛車 0」「荷車 129台」「自動車 乗用0・荷積用0」「人力車 0」、自転車は「自動 乗用0・荷積用0、通常 乗用141台・荷積用0」となっている。

 自転車が自動と通常に分かれているのも面白いが、自動とはは今のバイクのようなものを指し通常とは人がこぐものであろう。

 その他「一輪車 33台」「無税車 2台」とある。一輪車とは今の鋼鉄製でタイヤの付いたものでなく、木製の猫車のことであろう。以前は良く見かけていたこの猫車も今では見かけることもなくなった。無税車とはどんなものを指すのか不思議である。

 調査項目に「牛車」「人力車」の欄があるのも珍しいが、この時点で地御前村に自動車が一台も無いのも以外である。 

 現在では各家庭が自動車を所有し、JR阿品駅・広電停留所も新設され移動手段も格段に便利となっているが、今から85年前には人の移動も荷物の運搬も人力による場合が殆どであった。
 
 小さい頃にお年寄りから、隣村に行くにも歩いて行くのは歩いて行くのが当たり前であったと良く聞かされていたものである。
by hirosan_kimura | 2014-06-14 15:25 | 交通 | Comments(0)
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 №12・№386・№507で「阿品の飛行場」について紹介した。このことは廿日市町・市が発行した歴史に関する図書でも紹介されていたが、何時も不思議に思っていた。

 飛行場は阿品の下田尻の海岸にあったとされているが、いくら水上飛行場で滑走路が無かったとは言え、格納庫やそのたの施設を整備する広さの敷地は無い。

 上の地図では「宮島航空学校」とされているが、この中には「鼓ケ浜航空学校と「宮島航空研究所」の二つの施設があったと言われている。

e0125014_1526716.jpg 「鼓ケ浜」とは隣村大野村の古い字名であるが、今の競艇場のある場所付近である。旧地御前村の阿品に「鼓ケ浜」の地名は記録にも残っていないし阿品の言い伝えにも聞いたこともない。

 飛行場の敷地の端っこの方の一部が、阿品の下田尻に引っ掛かっていたかも知れないが、阿品に飛行場が有ったと位置付けるには無理があろう。むしろ阿品に隣接した大野村の鼓ケ浜に飛行場が有ったと言うのが妥当であろう。

 阿品に飛行場が有ったと真に受けて、小学校の子どもたちや地域のサロンで説明したことがあるが、生半可な知識で話をしたことを恥じ入るばかりである。
by hirosan_kimura | 2013-10-02 09:37 | 交通 | Comments(8)
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 我家の電車線路沿いの道路に出ると、たまに沢山の荷物を積んだ自転車が通り過ぎて行く。④と⑤の中間あたりである。夏になると日本一周するのではないかと思われる学生を見かけることが良くある。
 しかし、しばらくするとその自転車の大半が引き返して来る。引き返して来た自転車は②の地点まで行きスロープの付いた横断歩道を渡り、広電電車軌道を跨いで国道まで出なければならない。
 ④の場所の横断陸橋を渡ることも出来るが、自転車の通るスペースも無くかなり高い所まで登って下らなければならない。③の地点に自転車も乗せることの出来るエレベーターがあり国道まで出ることも出来るが、通り過ぎて②の地点まで引き返す人が多い。

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 広島方面から宮島方面に行く自転車は国道を登りきった①の地点に、国道を分かれて海岸沿いに行く標識が立てられてある。

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 ①の地点を下った海岸沿い道路は、普通車がすり違える程度の道路幅であるが、右側には広くは無いが自転車が通行出来るようになっている。途中には今は削られて無くなった「火立岩」の標識も立てられている。

e0125014_16111550.jpg ②の地点にスロープの付いた横断歩道を渡る標識が立てられているが、この標識は高さ2m位の所に右折するよう表示されているので、ハンドルを握り前かがみになって走っていると標識を見落として通り過ぎる人が多い。赤線をまっすぐ進んでしまうのである。

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そのまま真っ直ぐ進むとボートレース選手の宿舎がある地点で行止りになってしまう。そこで仕方なく②の地点まで引き返すのである。

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この建物の宮島口側には廿日市高校ボート部の艇庫がある。この艇庫に行くために「広電阿品駅」を利用する高校生が赤線を通って艇庫に行っているが、この学生たちは無断で私有地を通り抜けているのでなく、所有者の承諾を得ているのだろう。
by hirosan_kimura | 2013-09-25 17:57 | 交通 | Comments(0)

№570 国道のバス

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 広電阿品東駅そばの国道にバス停留所がある。下り便の時刻表を見ると驚いたことにニ便しか掲載されていない。二便とも市役所から日赤看護大学行きのみである。

 以前には岩国行き、徳山行き、中には広島から益田行きなどもあった。また大竹の栗谷・大野の更地行きなどの路線もあったような記憶がある。
 バス会社は広島電鉄のみでなく防長交通も営業していた。旧国鉄のバスも走っていたような気もする。一日の便数もかなりあり広島総合病院に通院する人たちもかなり利用していた。今では広電宮島線に「広島総合病院前」駅が新設されているが、当時は地御前駅と宮内駅の中間に当るのでバスを利用する方が便利が良かった。町役場に行くにも当時は平良駅は無く、廿日市駅からは遠いのでバスを利用する方が便利が良かったものである。

 当時の阿品地域でのバス停留所は今の阿品東駅のみであったが、その後現在のJR阿品駅前と廿日市町と大野町境に鼓ケ浜バス停留所が新設されたが、今では通過するバスも無くいずれも廃止されている。

 阿品の国道にバスが走り始めたのは大正10年(1921年)に宮島自動車商会と言うか会社が、広島~宮島口間に定期乗合自動車を営業した記録があるが詳しいことは分からない。

 その後昭和5年1月7日(1930年)に広島バスが己斐~宮島間に乗合自動車の営業を開始し鰆浜にも停留所が設けられている。(ブログ№41で紹介している)

 これらのその後の営業状況は不明であるが、昭和26年に広島電鉄が広島~大竹・岩国間に営業を開始している。遠い昔の記憶ではっきりとは覚えていないが、昭和20年代終わりか30年代の初めごろ火立岩付近で防長バスが国道を外れ広電軌道に落ちかけ、広電の電柱にぶっつかり宙吊り状態になっているのを皆で見に行ったことがあった。

 現在市営の桜バスが一方方向のみの営業であるが近々双方向営業になるらしい。今でも乗客数の少ない二便も廃止される可能性もある。かつて阿品の国道に三箇所のバス停留所があり多くの人が利用したバスも国道沿いに走らなくなる可能性もあるが、誠に淋しい限りである。

註 このブログを見たある人が、「知りたいことを見たいが探すのが大変だ」と聞かれた。知りたいことを検索するには、「ふるさと 阿品 よもやま」に続いて知りたいことを入れれば探すことが出来る。たとえば「ふるさと 阿品 よもやま 火立岩」と入力すれば「火立岩」に関する情報を探すことが出来る。またブログ中、№〇〇〇で紹介したと引用しているが、「ふるさと 阿品 よもやま 〇〇〇」と番号を入れれば検索出来る。参考までに
by hirosan_kimura | 2013-09-14 15:00 | 交通 | Comments(4)

№568 有料駐車場

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 先ごろより阿品の一角で畑を潰して整地されていた。阿品ではたくさんあった田畑が埋立てられどんどん宅地化されているので、この畑も数画に分割され新しい家が新築されるのかと思っていたら有料駐車場になっていた。この有料駐車場は阿品近辺では最初の施設であろう。阿品で居住者が多い阿品台は高台の上であるし。JR阿品駅と離れている。出来たばかりでこの駐車場を知らない人が殆どであるが、PRが進めば案外この駐車場は繁盛するのではなかろうか。

e0125014_951085.jpg 駐車料は一日止めて100円となっている。この場所はJR阿品駅から歩いても数分の便利の良い場所である。いくら阿品が街中でないといえ、24時間止めて100円とは余りにも安すぎる。駐車場は舗装もしてなく地面にロープを埋めて区画しただけ。満車になっても20台くらいしか駐車出来ない。

e0125014_9515333.jpg 勿論、管理人などいなく、駐車する人は料金支払機にお金を入れて、レシートをフロントの見えやすい所に提示するだけである。
 駐車場の周りに囲いもなくどこからでも出入り自由である。短時間なら無断で止めても分からないが、ニ方が道路で人目に付きやすくしかも低料金なので違反駐車する人もないのであろう。

 余りにも安い駐車料でこれで経営が成り立つのだろうかと心配したが、料金を表示した掲示板の隅に小さな文字で「OPEN記念価格」と書いてある。いつまでがOPEN価格でその後いくらになるのか分からないが、この駐車場が繁盛すれば、高齢などで田畑の耕作は無理であるが土地を手放したくない人が新しい駐車場を作るかも分からない。
by hirosan_kimura | 2013-09-07 10:30 | 交通 | Comments(0)
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 №544で阿品の葬式を紹介したが、元々はこの辺りは海の中であった。

 明治11年9月30日に阿品沖海面開墾願いが出されている。開墾面積は四町六反弐畝拾六歩とある。この願いは明治11年10月20日に許可されているが、「中国往還通路修築中ニ而兼用仕、予而目論通リヨリハ里程短縮隋テ往還ノ便ヲ得候義ニ付」とあるように、山奥を廻っていた旧道を海岸線に新設するため、堤防敷を新道用地に利用出来るためであった。

 明治12年7月5日に阿品新開が築調され汐止めが行なわれている。同時に旧国道も完成している。旧国道の道幅は三間とある。今から134年前である。

 上の図の赤線が元の海岸線。緑が堤防敷。間の白い部分が干拓された新開地で今では鉄道線路が横切っている。
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 ピンクが旧国道。赤は葬式のあった場所である。
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 大正12年12月には広電を宮島口まで延長するため、鰆浜・阿品沖の海面3,256坪の埋立申請が出されている。この埋立地は国道を拡幅する用地としても使用されている。

 広電宮島線は昭和6年2月1日に開通している。新国道は昭和7年3月に開通し幅員11mとある。

 上の図のピンクの部分が新国道であるが、この付近では旧国道に沿って新国道が新設されている。上の青い部分は海面であるが、今ではここも埋立てられ阿品三丁目となっている。

 赤い部分が葬式のあった場所である。№544では写真の撮影年月日不明としていたが、この人が亡くなったのは昭和5年12月1日とあるので、その翌日か翌々日に撮影されたものであろう。

 広電の開通3ケ月前であるが工事はほとんど完成している。新国道開通の1年4ケ月前で写真が撮影された時点では旧国道であったが、この付近では旧国道と新国道が重複している場所である。

 亡くなった人は嘉永2年6月1日なので81歳で亡くなっている。現在では80歳・90歳は当たり前であるが、当時としては随分長生きなのであったろう。

tちなみに当時の日本人の平均寿命は、男性44.83歳・女性46.54歳であった。ここで亡くなったのは女性である。
by hirosan_kimura | 2013-05-19 11:41 | 交通 | Comments(5)
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 「№12 阿品にあった飛行場」「№386 阿品の飛行場」でも紹介したが詳細はほとんど分からない。その中では水上飛行のため滑走路もなく、海岸に簡単な建物があるのみであると紹介した。

 その後、飛行場らしき写真を入手したが極めて不鮮明で、建物を表示してある文字が判読出来なかった。写真で見ると簡単な建物どころか立派な建物に見える。本当に飛行場の建物であろうか疑問に思っていた。

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 その後、不鮮明ではあるが建物をアップした写真を偶然見つけた。建物には「宮島航空研究所 格納庫」と示されている。その上部にも何やら書いてあるが判読出来ない。

 もう少し鮮明な写真があれば良い。この建物は何時頃取り壊されたのであろうか。
by hirosan_kimura | 2013-01-20 15:59 | 交通 | Comments(2)
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 行楽シーズンになると宮島口周辺の国道は慢性的に車の渋滞が続く。行政も色々工夫しているようであるが、焼石に水程度で根本的な解決策には至っていない。

 渋滞の原因は様々あるが、鰆浜で旧国道と西広島バイパスが合流し上下二車線の道路が、宮島口手前で各一車線となっていることが主な要因であろう。

 岩国方面に通過する車両と、宮島に観光に来る車両が一車線しかない道路を通るので、素人が考えても渋滞が起こるのは当然である。

 また宮島口の主要駐車場に進入するには、広電宮島線の軌道を横断しなければならないが、宮島口駅直前で頻繁に出入りする電車が通る都度遮断機が降り、一車線しかない国道を塞ぐことになる。左折車線もあるが短すぎる。

 又、宮島口周辺には駐車場もあるが、一、二ケ所を除き小規模駐車場が多く、観光客にはその場所も分かりにくい。大型バスの駐車スペースも少なくはるか離れた場所に駐車せざるを得ない状態である。

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 道路が二車線から一車線に減少する場所は、国道の左側は広電宮島線軌道、右側はJR軌道に挟まれ道路を拡幅するのは難しい。しかし、上下線とも二車線に拡幅するのは困難であろうが、渋滞する下り線のみでも工夫すれば拡幅出来そうである。

 広電と住宅地との間には今では不用の堤防が残っている。この堤防を取り壊して住宅地の道路ギリギリまで広電の軌道を左に寄せる。

 広電と国道の境界のスペースと、国道中央の分離帯の巾を狭くして利用する。以上3ケ所それぞれの巾は僅かではあるが活用すれば、下り一車線分くらい確保出来ないかと思うのは素人考えであろうか。

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 次に宮島口周辺の整備である。宮島口周辺は競艇場が大きな敷地を占めている。競艇は第二次世界大戦後の復興支援として開設されたものであるが、一時は売り上げも多く関係自治体へは巨額の配分金があったが、宮島競艇は売り上げも低迷し近年配分金は殆ど無いような状態が長く続いている。

 日本各地に競艇場は24ケ所あるが、経営状況が安泰なのは7ケ所、普通が5ケ所、やばいが5ケ所、危篤状態が7ケ所で、この危篤状態の中に宮島競艇が入っている。売上金は24ケ所中23位で将来に渡って回復の見込みはないそうである。

 赤字の競艇を抱える自治体は廃止に持って行きたいが、関係者への補償・清算費用、施設の現状回復等で巨額を要し廃止に踏み切れないようである。

 このような宮島競艇を廃止し跡地を活用すれば様々な問題が解決するであろう。先ず宮島口手前で広電軌道を海側に移設する。

 広電宮島口駅を移設し、宮島航路発着場と一体化されたターミナルを整備する。国道の拡幅用地を確保する。残った競艇場跡地は大駐車場とし、自家用車や大型バスがいつでも安心して駐車出来るようにし観光客の利便を図る。

 将来的にはJR宮島口駅を橋上化し、連絡船乗場まで歩道橋で直結し観光客の利便を図る。

 こうして慢性的な渋滞も防げ、宮島への観光客も飛躍的に増大するのであった。
by hirosan_kimura | 2012-06-01 10:20 | 交通 | Comments(0)