素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:歴史( 19 )

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平成8年(1996年)1月21日
 「第一回全国都道府県男子駅伝競走大会」が実施され、県営陸上競技場をスタートし中電大野研修所で折り返し、往復とも阿品地区を通過する。

平成8年(1996年)3月31日
 遊園地「広島ナタリー」が閉園する。開園からの延入場者数は910万人であった。

平成9年(1997年)3月30日
市議会議員選挙
             有権者数   投票者数  投票率
阿品公民館      2,372人  1,495人  63.03%
阿品台東小学校   3,602人  2,200人  61.08%
阿品台西小学校   3,684人  1,869人  50.73%

平成9年(1997年)4月1日
 阿品四丁目に「老人保健施設 シェスタ」が開設する。 入所定員100名。

平成11年(1999年)6月
 広電宮島線に、超低床電車「グリーンムーバー」の運行が開始される。この電車はドイツで製造され、空路広島空港に運ばれた。

平成11年(1999年)7月10日
 「フジグラン ナタリー」が開店する。敷地面積21,048㎡。店舗面積23,680㎡。

平成12年(2000年)4月1日
 阿品台東に「日本赤十字広島看護大学」が開校する。敷地面積40,909㎡。延床面積20,412㎡。総定員480名。

平成12年(2000年)6月8日
 JR阿品駅~駅前広場~国道2号線~広電宮島線を横断し、阿品三丁目の広電駅・フジグランナタリーまでの歩道陸橋が完成する。

平成12年(2000年)8月1日
 広電田尻駅(現広電阿品駅)が、東寄り70㍍移転新設される。

平成13年(2001年)3月24日
 午後3時28分、マグニチュード6.7の地震が発生し「芸予地震」と命名される。阿品地域でも壁の亀裂・屋根瓦のずれる家屋があった。特に阿品三丁目では液状化現象や、修復不可能な家屋被害もあった。

平成13年(2001年)5月1日
 さくらバスが運行開始される。西循環線は市役所~陽光台~宮園~四季が丘~看護大学~阿品台~阿品~地御前~串戸を経由して市役所に至る経路となる。運賃は一律100円。

平成13年(2001年)11月1日
 広電宮島線の「田尻」駅が「広電阿品」駅に、「阿品」駅が「阿品東」駅に改称される。

平成15年(2003年)10月1日
 阿品四丁目に「有料老人ホーム ヴィラみずほ」が開設する。入所定員 介護型 34名。一般型 54名。
 (元 ライフ研修センター跡)
by hirosan_kimura | 2009-12-17 04:10 | 歴史 | Comments(0)
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平成元年(1989年)5月1日
 岩鏡公園 1,867㎡が完成する。

平成元年(1989年)8月11日
 JR阿品駅が開業する。

平成2年(1990年)4月1日
 野坂中学校が開校し、阿品台中学校より分離する。

平成2年(1990年)10月1日
 JR線路奥側に鰆浜自転車駐車場が供用開始される。自転車108台。バイク151台。総事業費5,956万2千円。

平成2年(1990年)12月1日
 阿品台に「廿日市市消防署西分署」「コミュニティ消防センター」が開設される。

平成3年(1991年)8月7日
 広電宮島線の高床車が廃止される。翌日より路面電車タイプに統一される。

平成3年(1991年)8月27日
 「阿品台地区老人クラブ連合会」が発足する。

平成4年(1992年)4月1日
 光の園に「ケアハウス インマニュエルホーム」「廿日市市ディサービスセンター光の園」が開設される。

平成4年(1992年)11月
 阿品で最初のマンション「藤和阿品ハイタウン」が完成する。

平成5年(1993年)3月31日
 阿品新開調整池が築造される。 総工費2億2,351万円。

平成5年(1993年)4月1日
 世帯数  阿品989世帯。 阿品台3,369世帯。

平成5年(1993年)7月11日
 北は和歌山県から南は大分県までの瀬戸内海沿岸で、第一回海のクリーンアップ作戦が実施される。廿日市では地御前神社前と、お上がり場周辺で清掃活動が行われる。当日は町内会・老人クラブ・子ども会他、大勢の地元住民が参加した。地御前・阿品合せて約600人のボランティアが海の清掃奉仕を行った。

平成6年(1994年)4月1日
 阿品二丁目集会所が供用開始される。

平成6年(1994年)9月30日
 第12回アジア競技大会の聖火が阿品を通過し、JR阿品駅前を午前10時55分に出発する。

平成7年(1995年)2月1日
 阿品四丁目に「廿日市市高齢者ケアセンター」が竣工する。特別養護老人ホーム 定員54名。ケアハウス 定員30名。ディサービスセンター定員30名。その他、在宅介護支援センター・老人訪問看護ステーション・保健福祉研修センター。

平成7年(1995年)7月10日
 JR阿品駅前広場が完成し、阿品台・楽々園ショッピングセンター・広島バスセンター行きのバス路線が乗り入れる。電停付近の国道の横断歩道が廃止され、広島寄りに信号機が設置される。

平成7年(1995年)7月11日
 7月11日~7月28日の間に、阿品・阿品台地区で順次天然ガスへの転換がされる。

平成7年(1995年)10月1日
       人口      世帯数
阿 品    3,380人   1,125世帯
阿品台  10,864人   3,252世帯
by hirosan_kimura | 2009-12-16 06:11 | 歴史 | Comments(0)
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昭和60年(1985年)3月24日
廿日市町議会議員選挙
       有権者     投票者    投票率
阿  品   1,526人   1,77人   70.58%
阿品台   5,051人   3,241人  58.92%

昭和60年(1985年)4月1日
 阿品台西保育園が開園する。定員120名。

昭和60年(1985年)4月1日
 阿品四丁目に「ふじ幼稚園」が開園する。

昭和60年(1985年)4月1日
 字阿品・字阿品台の一部14,912.72㎡を大野町へ分離し、大野町福面の一部8,910.95㎡を廿日市町に編入する。

昭和60年(1985年)9月1日
 国勢調査により、廿日市町が人口規模日本一の町となる。
 人口 52,020人  世帯数 16,052世帯

昭和61年(1986年)
 日本初のエアドーム(空気膜構造)のフジタドルフインクラブナタリープールが建設される。平成18年3月に廃止された。

昭和61年(1986年)4月1日
 お上がり場公園1,934㎡が整備される。国道の拡幅・広電軌道の移設により、公園の面積は従前の半分程度となる。

昭和61年(1986年)12月29日
 広電の阿品(今の阿品東)駅、田尻(今の阿品)駅に、乗客案内表示装置が設置される。

昭和62年(1987年)9月1日
 阿品四丁目に「阿品土谷病院」が開院する。病床数219床。診療科目は、内科・外科・整形外科・放射線科・リビリテーション科。人工透析も行われる。

昭和63年(1988年)4月1日
 廿日市町が市制施行する。県内13番目、全国655番目。
 人口 56,618人、世帯 18,143世帯。

昭和63年(1988年)11月21日
 阿品台五丁目・阿品台山の手地区が住居表示される。
by hirosan_kimura | 2009-12-15 05:30 | 歴史 | Comments(0)
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昭和57年(1982年)2月1日
 阿品一丁目~四丁目に住居表示が実施される。

昭和57年(1982年)4月1日
 阿品台東保育園が開園する。 定員200名。

昭和57年(1982年)4月1日
 ふじタウン、644区画が完成する。

昭和57年(1982年)4月
 阿品台~大野町青葉台間の山を切り取り、対厳山線が開通する。

昭和57年(1982年)7月吉日
 岩鏡神社が改築される。施工者 丸市工務店。

昭和57年(1982年)8月2日
 校外バスが阿品台北へ乗り入れが開始される。

昭和58年(1983年)4月23日
 阿品台公民館が開館する。

昭和58年(1983年)4月1日
 阿品台西小学校が開校する。これにより阿品一丁目から四丁目の児童は、阿品台東小学校から校区が変更される。阿品の子ども達の一部は住所の変更は無いのに、入学は地御前小学校。途中で阿品台東小学校。更に阿品台西小学校と校区が変わり翻弄された。

昭和58年(1983年)4月1日
 県立廿日市西高等学校が開校する。

昭和58年(1983年)5月2日
 阿品台公民館に、廿日市町住民課窓口連絡所が設置され、公民館で住民票・戸籍・印鑑証明等の交付が受けられるようになる。

昭和58年(1983年)6月12日
 阿品地区から分離し「阿品台地区コミュニティをすすめる会」が発足する。

昭和58年(1983年)12月1日
 団員10名で阿品台地区に消防団が新編成される。

昭和59年(1984年)2月
 廿日市ニュータウンの全ての造成工事が完了する。

昭和59年(1984年)5月29日
 当日、広島市より阿品台三丁目への転入者により、廿日市町の人口が5万人を突破する。県内8番目の人口規模。
by hirosan_kimura | 2009-12-14 06:03 | 歴史 | Comments(0)
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 この村民の信条はいつのものかはっきりしないが、内容からみて戦時中のものであろう。

 この時代と同じ頃のものであろうが、「地御前村 申合セ事項」というものがあった。

 国策ニ順応シテ生活様式ヲ簡易化シ、消費ヲ節約シ生産ヲ増加シ、貯蓄ヲ励行シ以テ長期交戦ニ堪ヘ得ル様覚悟ヲ為シ、左記ノ通リ実行ヲ期スルコト

一、葬儀 委員長ヲ推薦シテ、全部其ノ指図ニ従フコト
 食事ハ二菜ニ限リ(二回以上ヲ要スレバ握飯主義) 
 酒ハ絶対ニ供セザルコト 但シ火葬場行キノ同行ハ此ニ限ニアラス
 葬儀ノ花輪廃止
 鉢米ノ俵ハ飾ラヌコト

一、婚儀
 荷物ヲ飾ラヌコト
 式服ハ着換ヘヌコト

一、入退営ノ際
 村社ニ報告祭ヲ行フコト
 酒宴絶対廃止
 幟ハ一本ニ限ル
 土産物絶対廃止

一、合力 船卸シ柱立等誠意ノ援助タルコト
 援助受否ハ家長ノ意ニ従ヒ強要セヌコト
 日時方法ハ家長ノ意ニ従フコト
 食事ハ普通平常通トスルコト

一、盆物歳暮ノ贈答ハ全廃スルコト

一、講寄リ食事ハ一回二菜トスルコト
by hirosan_kimura | 2009-12-13 16:36 | 歴史 | Comments(0)
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昭和54年(1979年)4月1日
 阿品台東小学校が開校する。これにより阿品・阿品台地区は地御前小学校より校区が変更される。

昭和41年(1979年)4月8日
 阿品台二丁目に「つくし幼稚園」が開園する。

昭和54年(1979年)4月8日
 広島県議会議員選挙が行われる。今回より初めて阿品台に投票所が設置される。

昭和54年(1979年)7月11日
 農協阿品支所の落成式が挙行される。

昭和54年(1979年)8月1日
 阿品公園 75,166㎡が完成する。

昭和55年(1980年)4月1日
 鰆浜地区の小規模下水道が供用開始される。

昭和55年(1980年)8月13日
 鰆浜の盆踊りで「鰆浜音頭」が披露される。

昭和56年(1981年)3月29日
廿日市町議会議員選挙が実施される。
有権者  阿品 765人  阿品台 2,986人
投票者      573人       1,871人
投票率     74.90㌫       62.66㌫

昭和56年(1981年)3月31日
 阿品公民館が竣工する。

昭和56年(1981年)4月1日
 七中学校より分離し、阿品台中学校が開校する。

昭和56年(1981年)8月19日
 8月1日に公示された阿品四丁目の町名設定について、JR線路とふじタウン間の地区より、阿品二丁目に編入するよう、変更請求が提出される。

昭和56年(1981年)11月1日
 阿品台一丁目~四丁目・東・西・北地区に住居表示が実施される。

昭和56年(1981年)11月8日
 地御前地区より分離し、「阿品地区コミュニティをすすめる会」が発足する。

昭和56年(1981年)11月20日
 8月19日に提出された、阿品四丁目の町割変更に対し9月議会に議案が提出される。公聴会等の開催を経て公示通りの町割が議決される。
by hirosan_kimura | 2009-12-12 05:12 | 歴史 | Comments(0)
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昭和47年(1972年)11月
 廿日市ニュータウン団地造成事業に対し、県営団地造成事業対策鰆浜協議会が、県に対して申入れを行う。
一 下水処理場について。
一 鰆浜公園について。
一 県病院の跡地利用について。
一 環境保全について。
一 その他。

昭和48年(1973年)3月17日
 西広島バイパス工事のため、鰆浜の広電宮島線の線路920㍍を、最大35㍍海側に移設する。この工事により「火立岩」が消滅する。

昭和48年(1973年)8月24日
広島県告示第621号
 鰆浜地先 7,268㎡、阿品地先 167㎡、阿品新開地先 506㎡、海面埋立。

昭和49年(1974年)3月20日
 沿岸漁業構造改善事業により、鰆浜の人工干潟が完成する。工費8,600万円。請負者 フジタ。

昭和49年(1974年)4月3日
 西広島バイパスの五日市~阿品間、正午より供用開始。庚午~波出石交差点間は昭和46年8月11日に開通済み。

昭和49年(1974年)4月23日
 阿品三丁目に遊園地「広島ナタリー」が開園する。面積77,000㎡。総工費128億円。高さ65㍍の観覧車は、当時日本一の高さであった。

昭和49年(1974年)7月
 県の事業による、「廿日市ニュータウン阿品台」の造成工事が着手される。全体面積137㌶。住宅戸数3,500戸。計画人口12,600人。

昭和49年(1974年)7月7日
参議院議員通常選挙
 阿品の有権者 666人。 投票者 518人。 投票率77.78㌫。

昭和50年(1975年)4月1日
 旧鰆浜火葬場の下に、供養塔が建立される。

昭和50年(1975年)7月27日
 鰆浜集会所の竣工式が行われる。敷地面積745.15㎡。延床面積134.15㎡。事業費835万4千円。

昭和51年(1976年)3月24日
 鰆浜公園完成。897㎡

昭和51年(1976年)3月30日
 田尻公園完成。1,431㎡

昭和52年(1977年)3月27日
廿日市町議会議員選挙
 阿品の有権者 741人。  投票者数 539人。  投票率 72.74㌫。

昭和53年(1978年)3月
 町営阿品墓地182区画が完成。永代使用料 一区画25万5千円。永代管理料一区画2万円。

昭和53年(1978年)8月1日
 広電田尻駅(現在の広電阿品駅)が開業する。

昭和53年(1978年)8月10日
 阿品台の県営住宅158戸の入居が開始される。同時に団地内の路線バスが開通する。

昭和53年(1978年)10月2日
 町営阿品墓地の、第二次(60区画)募集開始される。
by hirosan_kimura | 2009-12-11 04:52 | 歴史 | Comments(0)
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昭和38年(1963年)4月1日
 広島市光町に広島県養護学校が設置されたのに伴い、県立地御前病院内の特殊学級が県立に移管され、広島県養護学校地御前分校となる。


昭和38年(1963年)5月6日
 広島電鉄の市内線・宮島線の直通運行が、宮島口駅まで延長され高床車・低床車混合運行となる。廿日市駅までは昭和37年5月6日に直通運行済み。宮島口駅から広島駅までの直通運行は一日44便。

昭和38年(1963年)7月
 沖山の造成及び隣接海面を7,067㎡埋め立てる。

昭和39年(1964年)7月25日
 山陽本線横川~小郡間が電化され、山陽本線全線の電化が完成する。

昭和39年(1964年)9月20日
 東京オリンピックの聖火が、阿品を通過する。

昭和39年(1964年)10月31日
廿日市町長選挙が行われ、豊田正夫氏が当選する。阿品の有権者381人。投票者282人 投票率74.02%

昭和40年(1965年)3月28日
 廿日市町議員選挙が行われる。阿品の有権者394人。投票者330人。投票率85.79%。

昭和40年(1965年)4月30日
 お上がり場が462.75㎡海面埋立される。

昭和41年(1986年)10月
 田尻地先(現在の阿品三丁目の、埋立造成工事が着手される。

昭和42年(1967年)2月16日
田尻地先公有水面埋立第二期工区造成工事町議会議決
工  期 昭和42年2月20日~昭和43年2月19日(後に4月30日までに変更)
請負額 2億4850万円
請負者 ㈱ 熊谷組

昭和42年(1967年)4月1日
 県立地御前病院が廃止される。 ただし、昭和47年3月31日までは県立広島病院地御前分院として存続されることとなる。
内科・小児科・呼吸器科・外科・理学診療科。200床

昭和43年(1968年)1月4日
 廿日市町営火葬場「霊峯苑」が完成する。これにより鰆浜の火葬場が使用されなくなる。

昭和43年(1968年)3月8日
広島県告示第180号 阿品新開地先 83,982.08㎡海面埋立。(マンション側)

昭和43年(1968年)10月
 西広島バイパス工事、鰆浜以東の用地測量が開始される。

昭和44年(1969年)9月9日
広島県告示第683号
 田尻地先 80,909平方㍍(24,462坪) 海面埋立造成工事完了。(鼓ケ浜側)

昭和44年(1969年)10月
 阿品のクラブ(集会所的施設)が解体される。

昭和45年(1970年)3月1日
 地御前に電話局分局が完成し、阿品地区の電話番号が31局から36局に変更される。

昭和45年(1970年)8月15日
 台風9号により、沖山西側の広電軌道が被災し、電車の運転が一時中止される。

昭和46年(1971年)3月6日
 阿品陸橋の竣工式が挙行される。総工費3億4000万円。取付道路85㍍、橋梁部分幅員12㍍、長さ92㍍。国道・電鉄側、幅員8m、長さ133㍍。国鉄側、幅員10㍍、長さ34㍍。
 国道2号線を跨いだ陸橋としては、広島以西最初のものであった。

昭和46年(1971年)6月
 田尻団地の入居が開始される。

昭和46年(1971年)6月27日
参議院議員通常選挙が行われる。
 阿品の有権者数 462にん。 投票者数 319人。投票率 69.05㌫。

昭和46年(1971年)10月16日
 廿日市地区住宅団地造成事業(開発面積約136万㎡)の地元説明会が、鰆浜・阿品地区住民を対象に、午後7時30分から旧阿品公民館で、広島県が行う。

昭和46年(1971年)12月13日
 廿日市地区住宅団地造成のため、現地境界杭打・測量が翌年2月末までの予定で着手される。

昭和47年(1972年)3月1日
 広電「地御前県病院前」駅が「阿品」に改称される。現在の「阿品東」駅。

昭和47年(1972年)3月31日
 県立広島病院地御前分院が廃止される。

昭和47年(1972年)5月
 阿品に「阿品簡易郵便局」が開局される。
by hirosan_kimura | 2009-12-10 05:31 | 歴史 | Comments(0)
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昭和31年(1956年)1月15日
 地御前村成人式が挙行される。阿品の成人者。阿品 6名、鰆浜 5名。

昭和31年(1956年)1月20日
 児童養護施設「光の園」が広島市より移転。園児72名。建物約500坪。

昭和31年(1956年)3月21日
 NHKが広島でテレビ放送を開始し、阿品でもテレビが見れるようになる。

昭和31年(1956年)4月1日
 地御前小学校入学式。入学児は95名。内鰆浜6名、阿品8名。

昭和31年(1956年)7月8日
 参議院選挙行われる。阿品全体の有権者数324名。投票率69.74%。

昭和31年(1956年)8月13日
 鰆浜の火葬場が改築される。

昭和31年(1956年)9月
 日赤共同募金 鰆浜785円 阿品1,658円

昭和31年(1956年)9月30日
 地御前村が、旧廿日市町・原村・平良村・宮内村と合併し新廿日市町となる。面積42.71平方㎞。人口19,211人。世帯数4,445世帯。新年度予算額1億1377万3千円。電話加入数714戸。ラジオ3,502戸。

昭和31年(1956年)12月21日
 山陽本線電化化のためには阿品のトンネルを改修する必要があった。その間、列車を片側通行とするため、現在の阿品駅西寄りに「阿品信号所」が設置された。

昭和32年(1957年)9月25日
 県立地御前病院内に、地御前小学校・七尾中学校の特殊学級が併設される。

昭和36年(1961年)2月8日
 広電「地御前県病院前(現阿品東駅)」に低床ホームが完成する。

昭和38年(1963年)2月28日
 阿品団地(通称 武田団地)が完成し、第一号の入居者がある。

 写真は開所当時の光の園である。現在では阿品台の住宅地と隣接しているが、当時は高い山の上にポツンと建っていた。阿品と光の園との間には山が聳(そび)えていた。
by hirosan_kimura | 2009-12-09 04:51 | 歴史 | Comments(0)
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昭和28年(1953年)7月1日
人口・世帯数
     総人口  男     女     世帯数
鰆浜  257人  136人  121人   36世帯
阿品  295人  157人  138人   65世帯
総数  552人  293人  259人  191世帯

昭和28年(1953年)8月15日
 九州北部を襲った豪雨は気象史上最大といわれ、降雨量は最高800㎜であった。村内より義捐金を募り、鰆浜1,000円、阿品1,175円の募金があった。

昭和29年(1954年)1月1日
 広電「阿品駅」が「県立地御前病院前」に改称される。現在の「阿品東駅」。

昭和29年(1954年)6月25日
 宮島競艇場設置に反対する意見書が、地御前村教育委員会より提出される。

昭和29年(1954年)11月1日
地御前村広報紙より
郵便切手等売りさばき所
 郵便切手・収入印紙は、いつでも次の場所にありますから御利用ください。
 鰆浜 藤川商店方

昭和29年(1954年)
町村合併に関する地御前村の要望書(阿品関係分のみ9
一 地御前村字鰆浜字阿品の海岸に船溜(波止場)を新設する事。
一 厳島対岸に接する沿岸の景勝地帯を、公園化する事。

昭和30年(1955年)1月15日
 成人者数  鰆浜 6名  阿品 7名

昭和30年(1955年)2月15日
県立地御前病院が増築される。
 増築後の規模  敷地 約5,000坪。  総建坪 約900坪。  病室数 35室
            患者定数 200名。  職員 60名。

昭和30年(1953年)3月21日
阿品岩神水路復旧工事
昭和26年度災害、29年度施工。
着手 昭和29年12月中旬。
完成 昭和30年3月21日。
延長 338㍍。
工費 1,699,000円。

昭和30年(1955年)4月
 広島市基町にある「児童養護施設 光の園」の、移転用地の整地作業が始まる。

昭和30年(1955年)8月1日
 お上がり場へ便所が設置される。
 造林事業 阿品地獄谷 5町歩。

昭和30年(1955年)8月20日
阿品で夜間屋外映写会行われる。
「新生活の村を」 山梨県の一農村のみんなが築きあげる新生活の村の姿。
「心の晴着」 因習が結婚改善を阻んでいる。それを脱して新しい生活を築いて行く。

昭和30年(1955年)8月
 お上がり場で、七尾中学校・鈴ガ峯生徒約800名が、臨海学校としてキャンプ宿泊する。

昭和30年(1955年)9月30日
 台風22号が阿品地域を襲う。中心気圧975㍊、瞬間風速38㍍を示し通過した。続いて10月3日には台風23号が通過し、沖山西の堤防2ケ所延長約50㍍が決壊する。

昭和30年頃
 年月ははっきりしないが、この頃旧阿品公民館が建てられた。現在の公民館が建てられるまで、長年に亘って地域で活用されてきた。

 写真は米軍岩国基地の兵士による、光の園の整地作業の様子である。当初はスコップ等による手作業であったが、余りにも効率が悪くブルトーザーなどの重機を使用としたが、現場までの侵入路がなかった。そこで現在の西広島バイパス陸橋附近で国鉄の列車の運行を一時停止し、線路上に木材などを積み上げ仮の道路を作り重機を運び入れた。          
by hirosan_kimura | 2009-12-08 08:22 | 歴史 | Comments(0)