素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:地形( 28 )

№377 いけす

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 JR阿品駅前が整備される前に、国道沿い沿って調整池があった。阿品は比較的土地が低いため、満潮時に川の水を一時的に調整値に溜めておき、干潮時に海に放流するためのものである。

 今では排水設備が整備されているためこの調整池は埋め立てられ、国道沿いの公園の地下に調整池が整備されている。

 埋立てられる前の調整池は、古い地図には「汐廻」とあるが、阿品では「いけす」と呼んでいた。生簀(いけす)とは採った魚などを生かしておくためのものであり、この調整池は該当しないので「池洲」とでも指していたのかも分からない。

 この調整池は国道・広電線路の下の水路で海と繋がっており、樋門により干潮時には排水を海に放流し、満潮時には自動的にゲートが閉まり海水が調整池に流入しないようになっていた。

 このため、海の魚が調整池にたくさん生息していた。子ども達はここで良く魚釣りをしていたが、年に一回、大潮の干潮時に青年団が調整池に網を入れ、たくさんの魚を捕獲していた。大きなボラやチヌなどがたくさん採れていたがいたが、小さな魚や雑魚などのおこぼれを分けて貰うのが楽しみであった。

 今では調整池を始め周辺一帯が埋立てられ当事の面影は無いが、阿品に生まれ育った者にとっては懐かしい思い出がたくさんある。

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 この写真は阿品の調整池ではないが、地御前の電停国道沖のものである。

 今では排水設備が整備され調整池の用をなしていない。大半が埋立てられ一部しか残っていず、泥が堆積し雑草が生い茂っててかつての面影は残っていない。
by hirosan_kimura | 2011-02-27 10:51 | 地形 | Comments(0)

№353 阿品の谷

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 阿品地域は団地の造成等で、山は削られ谷は埋められ今では比較的単調な地形となっている。

 昭和40年代前半までは、阿品・鰆浜地区とも谷が山の奥まで延びていた。その狭く細長い谷の最深部まで耕され、田圃が造成されていた。

 その昔の阿品は海が山裾まで迫り平地は殆ど無かったが、谷間の狭い所に人が住み始め田畑を作り暮らし始めたと推測される。

 川から少しづつ土砂が流れ出し、沖合いに平地が広がり、埋め立てたり干拓しながら平地が広がっていったらしい。

 海岸沿いには道も無く、地御前の方からは山越えで阿品に入り、谷の奥に入りまた山を越え大野方面に抜けていた。

 昭和40年代に入り、大型団地の造成により谷は埋められ、山は削られ昔の面影は全く無くなってしまった。
 
by hirosan_kimura | 2010-03-28 09:49 | 地形 | Comments(0)

№303 白砂青松 2

e0125014_16255055.jpg №248で田尻海岸図絵に色付けをしたものを載せた。この色付けは、近所に住んで居られる絵の達人の人にお願いしたものである。



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 同じ方に、又色付けをしてもらったが、同じ風景でも色付け次第で随分異なって見える。これは夏の雰囲気を出してもらったものである。
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 この図は冬の雰囲気を出してもらった。空はどんよりとし、山に雪が降っているものである。

 今は海岸が埋め立てられ、JRや広電の線路が通り、車の行きかう海岸沿いであるが、一昔の阿品の人は、こんなに自然に囲まれ、美しい風景の中で暮らしていたのであろう。
by hirosan_kimura | 2010-02-01 05:10 | 地形 | Comments(0)

№234 高畑山

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 阿品で一番高い山は宮内との境、高畑山である。

 標高は僅か197.5㍍であるが眺望は誠に素晴らしい。正面には宮島と広島湾の島々を望むことが出来る。

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 左側には五日市・広島方面を臨むことが出来る。

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 右を見れば遠く岩国方面まで見える。

 この山は標高こそ余り高くないが、前面は広島から廿日市や遠く岩国方面まで見渡せるので、通信手段の発達していない頃、狼煙(のろし)の中継地となって居たそうである。

 遠くから中継された狼煙が、広島の己斐附近の山で受け継がれ、この狼煙が見えたら高畑山で狼煙をあげ、この狼煙を見た岩国方面の山で狼煙があげられ、次々西方面へ中継されたそうである。

 今では雑木が生い茂り全方向が見渡せる訳ではないが、禿山に近い状態であればこの山が狼煙の中継点であったことは納得できる。

 阿品台から整備された山道を30分も歩けば頂上に到着できる。この山に登り遠い昔に思いを馳せるのも面白かろう。
by hirosan_kimura | 2009-10-25 12:38 | 地形 | Comments(0)

№167 海岸の変貌

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 上の写真は知らない人が見れば宮島の裏の海岸か、何処か田舎の海岸風景に見えるであろう。

 この写真は昭和三十年代の阿品三丁目西側附近の海岸である。宮島競艇場の少し広島寄りの場所である。

 全く同じ位置からの撮影は難しいが、下の写真はほぼ同じ場所の現在の様子で有る。

 国道の沖側には半島のように島が残っており、麓には砂浜も有り海水浴も楽しめた。ほんの少し前までは阿品の海岸も「白砂青松」の美しい風景が残っていたのである。

 鼓ケ浜団地を造成するため島は削られ、海は埋め立てられ今では見る影もない。

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 先の二枚の写真は海岸に近い方の写真であるが、この二枚は広電・国道側の写真である。

 撮影位置は若干異なるが、同じ場所を写した写真である。建物はNHKの保養所であったが、後に魚料理専門の料亭のような施設に変わっていた。それもいつの間にか無くなった。

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 鼓ケ浜の海岸から競艇場方面を臨んだ写真である。余り風景が変わっていないようにも見えるが、宮島口附近に高層の建物が増えている。
by hirosan_kimura | 2009-06-30 06:41 | 地形 | Comments(0)
e0125014_1493480.jpg 小さな写真を拡大したので極めて不鮮明であるが、現在の「光が丘団地」附近を地御前側から遠望した風景である。

 今でこそ「阿品一丁目」と住居表示されているが、この地は地御前に属し阿品では無かった。

 中央の白い部分は、国道・広電宮島線が敷設される際、海を埋立てため山砂が削られ、山肌が露出しているものである。

 削られた部分は崖状になっており、地御前側は山の一部が残されている。現在は西広島バイパスの出口附近で、残された山の一部も橋脚が建てられ今では残っていない。

 写真下の中央やや右寄りと、真中左部分の白い部分は国道で、当時はコンクリート舗装であった。左側上方にかすかに見えるのは宮島である。

 地御前側に僅かに残された山を「水晶山」とかってに呼んでいた。小学生の頃、学校の帰りや、休みの日にはここで水晶を良く掘っていた。

 余り大きな水晶は掘れなかったが、時には大きなものが採れることもあり、子ども達は大きさを比べあっていた。今から50年以上前の懐かしい思い出である。

 南側山肌は垂直に近く、高さ30㍍くらいあった。一時、この場所を利用して射撃場が設けられていた。どこが運営していたのか分からないが、良く射撃が行われていて時には岩国基地の米軍兵が来ていることもあった。

 径15cmくらいのアスファルト状の物で作られた皿を、機械で空中に打ち出し皿を目がけてライフル銃のような物で打って射撃をしていた。皿の色は黒かったが裏側は白く塗られていた。

 小学校の帰り道で射撃があると飽きもせず良く見物をしていた。近づくと危険なため係りの人に怒られ、遠くから見物していた。

 射撃の無い日には皿を拾らいに行っていた。銃が命中せず割れていない皿を探すのであるが、皿を持って帰っても何に使用すると言う目的も無かったが、誰がよりたくさん集められるかというだけのことである。

 射撃場もいつの間にか廃止され、崖地は斜面状に崩され今では「光が丘」という小さな団地に造成されている。

 今では団地と西広島バイパス出口となり車が行きかい、水晶の採れた小山と射撃場の面影は全く無い。

 夢中になって採った水晶、使用目的も無いのに競って集めた皿はどこに行ったのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-06-12 04:58 | 地形 | Comments(0)

№38 幣司岩

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 阿品地域ではないが、沖山の東海岸に「幣司岩」という大きな岩があった。潮が満ちると海中に没し、干れば磯に現われ上が平で畳 八畳位あり地御前海岸でシンボル的存在であった。

 子どもの頃は潮が引き始めると泳いで行き、岩が水面に現われる前に岩の上に上がったり、潮が引いてからも岩に登ったりして良く遊んでいた。

 岩の名前の語源は、昔何かの祀りのためこの岩の上に御幣を立てたことによるとも云われる。別の説では暗礁を言い表す南方馬来語の「パシル」に由来するとも言われる。これが「パシ」(台湾にある海峡名)→「フィシ」(琉球語)→「ヒシ」(大隈風土記)→「ヒジ」→「ヘイジ」と変化したのだそうである。

 この岩は後に、牡蠣業者の作業船運航の邪魔になるので爆破撤去された。もし残っていれば海岸に風情を添えたであろうが、勿体無いことである。

国郡志御用下調書出帳より
 沖山鼻より東に当り凡三拾間程離レ、幣司岩与申ス岩有リ。六月卅日外宮社ニおゐて身曾貴御祭り之節、厳島へ社人帰帆之刻此岩にて鳥喰飯上り申候。右岩汐満チ居候得者見へ不申、又汐干候得者皆相見へ申候。

 もう少し鮮明な写真があれば良いが、中々見つからない。
by hirosan_kimura | 2009-01-19 07:51 | 地形 | Comments(5)
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 阿品は近年、海が埋立てられ山を削って団地が造られ昔の面影は全く失われている。大昔の阿品は山が海まで迫り、鰆浜と阿品の谷は海が奥まで有り大きな湾となっていたらしい。

 平地は殆ど無く、今の阿品台のすぐ下まで海であった。

 
 古い時代の地形について残された物が無いので、推測の域は出ないがその後、長い時を経て川から砂が流れ出し、海の砂が寄せてきて僅かの平地が出来、いつの時代かに人が住み着いたと思われる。

 その後小規模の埋立があったかもしれないが、山陽本線の奥附近まで平地であった時代が長く続いたと考えられる。

 阿品が大きく変わったのは、山陽本線・国道・広電宮島線の敷設により海岸が埋立てられ、近年になって大規模な宅地造成のため、山が削られ谷が埋められて現在の形となったものである。
by hirosan_kimura | 2008-12-16 10:13 | 地形 | Comments(1)