素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:災害( 6 )

№658 崩壊した堤防

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 昭和45年8月15日に台風9号が来襲し、沖山手前付近の海岸堤防が決壊した。堤防の決壊により広島電鉄宮島線の電車軌道が一部損壊し電車の運行が一時中止された。

 堤防が決壊したのは広電と国道が交差する沖山橋の西側付近で、以前宮島に渡航する連絡船乗り場や、昭和6年3月に廃止された「広電新宮島駅」があった付近である。

 この付近では昭和30年9月30日の台風22号、同年10月3日に来襲した台風23号でも延長50m程度堤防が決壊している。
 
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 決壊した堤防は国道の改修や広島電鉄軌道を宮島口まで延長するため海面を埋め立てた際、新しく設けられたものである。

 
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この堤防は西広島バイパスが新設された際、海面を埋め立てて道路用地や広電軌道を沖合に移設するため取り壊されて無くなり、さらに沖合に新しい堤防が設けられている。

 この工事では宮島線を延長920m、最大幅35mを沖合に移設するため鰆浜海岸が約7,200㎡埋め立てられた。この工事により昭和の初めに新設された鰆浜の堤防はすべて消滅してしまった。

 なお、お上がり場付近から競艇場付近までは当時新設された堤防が広電軌道沿いに残されている。
by hirosan_kimura | 2014-10-31 14:59 | 災害 | Comments(0)

№639 台風の被害

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 昭和30年9月21日に発生した台風22号(ルイーズ)は9月29日に鹿児島県薩摩半島に上陸し、日本各地に大きな被害をもたらした。北陸地方にも強風が吹き荒れ、新潟大火の原因にもなっている。

 瀬戸内海沿岸でも突風や強風が吹き、満潮時とも重なり各地で大被害が発生した。山間部では豪雨となり山崩れや河川の氾濫により、田畑や家屋に甚大な被害を蒙った。

 地御前では扇新開や宮内側護岸・地球館沖・地御前港に面する中国石油沖などの堤防が破壊され甚大な損害が発生した。

 阿品では火立岩附近の電鉄海岸で、堤防が延長50㍍くらい損潰している。またお上がり場海岸の護岸が延長50㍍、雁木一箇所が破壊された。阿品新開も冠水などの被害を受けている。

 10月3日には台風23号が通過し、沖山西側の堤防2箇所延長50㍍が決壊しさらに大きな被害をもたらしている。

 阿品は海岸線に面しているため、台風の都度堤防などが決壊しているが、その度に広電の電車が不通になっている。

 台風22号が来襲した時は小学校5年生であったが、家の近くの頑丈なコンクリートの堤防が破壊されたのを目の当りにして驚愕した記憶が残っている。
by hirosan_kimura | 2014-06-16 10:39 | 災害 | Comments(2)

№552 ルース台風

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 昭和26に発生したルース台風は10月14日に鹿児島県に上陸し、九州を横断後、山口県の防府市に再上陸後山口・島根県を横断し日本海に抜けた。

 この全国で死者572名、行方不明者371名や建物や河川等に大きな被害をもたらした。県内では死者は132名、家屋の全壊716戸・流失350戸、橋梁流失285箇所、道路の損壊2,092箇所と県西部の山間部を中心に大惨事となった。

 地御前村では死者も無く家屋の全壊は1戸のみであったが、248戸に浸水の被害があった他、田畑の流失埋没、道路・堤防の決壊が16箇所あった。

 阿品地域では阿品新開を中心に鰆浜・阿品・田尻などで田畑が冠水し、塩害・害虫の発生などで農作物が大きな減収となった。

 阿品では岩神水路の決壊により、農道や堤防が1,000m近く崩壊すると同時に、ふじタウン崖下に有った阿品の氏神「岩鏡神社」が建物ごとに崩壊流出してしまった。海岸端の樋門も延長80間に渡り観光道路下の樋門囲いが流水により崩壊したとある。

 鰆浜では護岸200m、用水路180mが被害にあっている。

 阿品地域では死者・負傷者こそ出なかったものの、田畑・農道・河川・堤防などに大きな被害があった。特に「岩鏡神社」の流失・損壊は阿品の人々にとっては衝撃的な出来事であった。

 上の写真は「岩神水路」の被害状況とあるが、写りも悪く部分的なもので全体の被害状況は分かりにくい。
by hirosan_kimura | 2013-06-12 11:33 | 災害 | Comments(0)
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 阿品二丁目のJR軌道沖側の地名は「阿品新開」であった。現在では駅前広場当りは盛土もされ、ポンプ場も整備され少々の大雨でも浸水することはない。

 しかし昭和50年代頃までこの一帯はJR軌道と国道の間は一段と低地となり、大雨や台風の際には度々浸水していた。

 かっては国道沿いに調整池があったが、干潮時には排水の扉が自然に開き、満潮時には水圧で扉が閉まる仕組みになっていた。干潮時には川からの流水や降雨は自然に海に放流し、満潮時には調整池に貯留していた。

 しかし海への放流が間に合わず調整池の貯留能力を上回った時は、調整池から水が溢れ出し周辺の田畑や宅地にまで浸水することは珍しいことではなかった。

 現在では調整池は埋立てられているが、阿品二丁目の公園地下に貯留槽が設けられ、お上がり場近くに排水ポンプが設置されている。又、JR駅前付近も盛土をされているので豪雨や台風でも浸水することはまず無くなった。ポンプ場設置後も豪雨の際、排水ポンプが故障していて極僅かの区域であったが浸水したことがあった。

 上の写真は鮮明ではないが、昭和40年6月に今のJR駅前広場が浸水した様子である。
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 この写真は上の写真より東寄り国道から駅前に侵入する道路付近である。
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 この写真は国道より阿品部落へ侵入する主要道路を少し入った地点で、旧公民館があった辺りである。右前面の建物は小さな川を挟んで有った美容院である。

 このあたりの風景もすっかり変わってしまった。
by hirosan_kimura | 2013-01-21 11:17 | 災害 | Comments(0)

№161 水害

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先日まで今年の梅雨は雨が少なく、田植が出来ない・ダムが干上がりそうであると大騒ぎをしていたが、この所のの雨でこの心配は無くなったようである。

 阿品は土地が低く梅雨時になると田畑はいつも水に浸かっていた。特に今のJR駅前広場附近は国道より一段と低く大潮時に長雨が続くと溜まった水が中々吐けなかった。

 今では公園の下に大きな調整池が作られ、溜まった水は強制的にポンプで排水しているが、以前か干潮時に排水し、満潮時には海水が浸入しないように樋門が海水の圧力で自然に閉まるようになっていただけである。

 満潮時に奥の川から流れ出る水は堤防の内側に貯まる一方で、大雨が続くと堤防の内側は畑も田圃も道路も水の中になる。
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 河口付近の家屋敷地の低い家では、床上まで水に浸かることも珍しくなかったが、今では調整池が整備されたり、大きな排水ポンプも備え付けられ、大雨の度に田畑・道路・家屋が水に浸かるぉとも無くなった。
by hirosan_kimura | 2009-06-22 09:59 | 災害 | Comments(0)

№61 阿品の災害

e0125014_14192892.jpg 享保17年(1732年)
 西日本一帯で「うんか」が大発生し大飢饉が起こる。阿品での被害は不明であるが、広島藩では食に飢える人が32万5千人、餓死者が8,641人あったと云う。

藩は年貢率を地御前村では、32%から9.2パーセントに下げざるを得なかった。原・宮内ではお寺の記録に多くの餓死者が出たと残されている。

天明元年(1781年)
 元年より全国的に冷害の異常気象が続き、天明2年春から夏には長雨が続いた。翌3年春から7月にかけても雨が止まず降り続く。翌4年には五月風邪が大流行し、5年・6年も長雨で前後6年に渡って、冷害による凶作・水害に加えて疫病が続いた。

阿品地域の被害の詳細は分からないが、近辺でも多くの被害・餓死者出たと推測される。いわゆる、天明の大飢饉である。

文化13年(1816年)
 夏の風水害で、阿品新開囲い土手が決壊した。

嘉永2年(1849年)7月
 7月10日から12月まで大雨が続いた。暴風雨・洪水・高潮により大きな被害が出た。

文久元年(1861年)8月4日
 台風・高潮のため、阿品新開の土手が決壊した。

慶応3年(1867年)9月2日
 暴風雨・高潮で、阿品新開土手が長さ163間に渡って決壊・破損した。

昭和17年(1942年)8月27日
 台風のため阿品川裾の堤防が決壊し、床上浸水の家屋もあった。翌28日は風水害のため、広電宮島線が不通となった。

昭和30年(1955年)9月30日
 台風22号が来襲する。続いて10月3日には台風23号が通過し、沖山西2ケ所・延長50㍍の堤防が決壊した。
by hirosan_kimura | 2009-02-11 05:52 | 災害 | Comments(0)