素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:阿品台( 7 )

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 昭和40年代になると、広島市及びその周辺は人口の都市集中が著しく、強力な宅地、住宅の供給対策が望まれていた。

 この対策の一つとして、主として広島市の業務地域への通勤人口対策を対象とした、健全な居住環境と都市機能を備えた旧宅市街地を開発し、良好な住宅地の大規模な供給をはかることとされた。

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 大規模住宅用地の選定にあたっては海岸線沿いに国道・山陽本線・広電宮島線が平行し、広島市への通勤の便が良い。

 造成する山はなだらかで、昭和40年代まではほぼ無人の里山で、谷筋に僅かな耕地があるのみで開発が比較的容易である。

 広島湾に面し気候も比較的穏やかで、年中過ごし易い等の理由で阿品の地が選ばれた。

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 当時、広島県の輸入木材の6割を扱っていた広島港は、施設が各地域に分散されていたため、廿日市地区に貯木場と係留施設及び企業用地造成を行う木材港の計画が立てられた。

 この木材港造成の為埋立土は、廿日市ニュータウン造成の残土が搬出されることとなった。このため土砂運搬用道路が新設された。この道路は「阿品・高通り線」の名称で、住宅団地造成現場から山を削り宮内の「畑口・寺田線」まで結ばれた。

 昭和46年に住宅団地の造成工事が始まったが、この間一日何百台ものダンプカーが新しい港の新築現場まで行き交った。

 昭和52年には住宅の分譲が開始された。計画戸数3,500戸、計画人口12,600人で一時は若い人や子どもで溢れかえっていた「阿品台」も高齢化と少子化で、かつての活気がやや失われたようである。
by hirosan_kimura | 2015-03-29 11:37 | 阿品台 | Comments(2)
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 廿日市町地御前阿品地区に県が造成した、廿日市ニュータウンにいよいよ入居が始まりました。今回は県営住宅158世帯が昭和53年8月10日より入居を開始しています。

 全体で1万2千人の人口が住みつき、団地内にはスーパー・小学校等の日常生活に密着した施設も開設予定となっており、廿日市町で一番大きな団地になります。

 8月1日に田尻駅(現在の広電阿品駅)が新設され、8月10日に団地内路線バスが開通して交通の便もよくなり、今後の廿日市町の発展にも大いに寄与することでしょう。
by hirosan_kimura | 2014-01-15 10:33 | 阿品台 | Comments(0)

№515 県営住宅

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 数年前より阿品台西小学校に依頼され阿品の昔の様子を子どもたちに話に行っている。今年は1月30日に3年生の総合学習で話して欲しいと依頼があった。いくら相手が3年生とは言えいい加減な話が出来ないので色々調べていたが、結構手間がかかるものである。数日前に学校より子どもたち質問事項について知らせていただいた。

その中に「阿品台の県営住宅はいつごろ建てられたのですか」との質問があった。県営住宅は40棟あり一時に整備されていず数年に渡って整備されている。ネットで調べたりしていたが分からないので、思い切って市役所の知人にお願いしたところ、忙しい中手早く調べて貰い感謝するばかりである。

 阿品台ニュータウンは広島県が造成したもので、昭和49年7月に工事を着手し、昭和59年2月に全ての工事が完了し、昭和53年8月に入居が開始されている。計画戸数3,500戸、計画人口12,600人となっている。昨年10月の統計では3,366世帯、8,419人の居住となっている。この団地も高齢化・核家族化が進み空家も増え人口も一時に比べると随分減少しているようである。

 この内、県営住宅の居住は1,137世帯・3,053人であるが阿品台西地区に県警官舎分が含まれており正確ではないがその数は僅かである。阿品台全体に占める割合は世帯数で33㌫、居住者では36㌫となっている。一世帯あたり家族数は全体で2.5人。県営住宅で2.6人と殆ど変わらないが若い人や子どもは県営住宅の方が断然多い。

 県営住宅は東地区に16棟390世帯、西地区は24棟700戸である。最初に建てられたのは東地区で昭和52年度6棟160戸、昭和53年度8棟180戸、昭和54年度10棟270戸、昭和55年度5棟150戸、昭和56年度2棟80戸、昭和57年度4棟110戸、昭和58年度3棟戸、昭和59年度1棟30戸、昭和61年度1棟20戸で9年に分けて建てられている。西地区では昭和54年度に最初の棟が完成している。

 建物は大半が5階建てであるが、西地区の39・40号棟の2棟のみは何故か4階建てとなっている。一階に6世帯あるのが大半であるが、中には8世帯あるものが2棟、4世帯しかないものが1棟ある。

 以前、西地区で民生委員を担当した際、この地区は2名中1名が欠員で市役所より全700世帯を担当してもらえないかと依頼があったが、3自治会の内2自治会分の460世帯を担当した。しばらくして欠員分が補充され半数の350世帯づつとなり随分楽になったのも束の間、9ケ月後に新任の民生委員が倒れられて退任されてしまった。

 このような場合は地区会長が調整して、欠員地区周辺の民生委員が少しずつ世帯を分担し合うのが通常であるがそのような措置も無かった。市役所よりは次の民生委員を早急に手配するので、700世帯担当して欲しいとの依頼があり余程断ろうかと思ったが、迷惑が掛かるのは居住者であるので700世帯を担当することとした。

 県営住宅は階段を挟んで2世帯づつの玄関となっている。5階まで上がって隣の隣を訪問するには1階まで降りて再び5階まで上らなければならない構造となっている。10世帯訪問するのに5階上がらなければならない。単純計算では700世帯あれば積み重ねれば350階上ることになる。

全世帯を訪問しなければならないことは滅多にあることではないが気が遠くなるようである。1階に集合ポストは設けられているが、いたずらがあるので配布物は必ず玄関ポストに入れていた。

 しばらくして後任の人が決まり350世帯づつの担当となった時は肩の荷が降りほっとし、地区内居住者より民生委員の候補者があり委員を降任したが、折に付けご苦労しておられる様子が耳に入るが頭の下がる思いで一杯である。
by hirosan_kimura | 2013-01-28 12:53 | 阿品台 | Comments(0)

№500 Z坂 2

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  平成20年12月13日に始めたこのブログもやっと500回目を迎えた。当初は書く材料もたくさんあったが最近はネタ切れで苦労しているので、先日NHKで放映された番組を取り上げてみた。
 狭い阿品なのでローカル局でたまに放映されることはあるが、NHKの全国版で放映されることはまず無い。今回放映されたのは阿品台の「Z(ゼット)坂」である。Z坂はこのブログの№383で紹介したことがある。
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  この番組は全国の人より心に残る場所をNHKに手紙を出して、俳優の火野正平が自転車で全国各地を巡り思い出の地で手紙を紹介するものである。阿品の放映は12月1日に行われたが、実際に阿品に訪れたのはその数日前らしい。
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  阿品の前は呉の神社や江田島が紹介され、呉のJRポートピア駅より廿日市駅まで列車を利用している。廿日市駅からZ坂までの約6.3kmを自転車で走行している。
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  途中、平良の「ごち」と言う店でお好み焼を食べた。
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  地御前では「きんさい家」と言う店でコーヒーを飲んだ。
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  地御前までは平地であるが、阿品台に入ると坂道が続く。
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  阿品公園に来ている人にZ坂を尋ねると、本当のZ坂とは違う道を教えていた。Z坂は人が歩けるだけの狭い急な道で、上から見ると「Z]の形に見える道である。
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  自転車で車道を登りZ坂の頂上付近に到着したところである。Z坂はこの写真では見えにくいがベンチの左側付近の急斜面を下に降りている。
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  手紙で紹介されたようにここからの景色は素晴らしく、前面は牡蠣筏の浮かぶ広島湾で遠く見渡せば、広島市街・江田島市の山々・安芸の宮島・遠く大竹市などを望むことが出来る。

  ブログごとに閲覧者のランキングが表示されるが、最近「№383 Z坂」が一番になっている。「にっぽん縦断こころ旅」の予告や本番を見た人がネットで「Z坂」を検索し「ブログ ふるさと 阿品 よもやま」に辿り着いたのだろう。
by hirosan_kimura | 2012-12-05 12:53 | 阿品台 | Comments(6)

№236 阿品公園

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 阿品台ニュータウンのほぼ中央に「阿品公園」がある。この公園は団地の入居が始まった二年後の、昭和55年8月1日に完成した。面積は75,166㎡でかなり大きな公園である。
e0125014_10251845.jpg公園の入口正面にはかなり大きな記念樹が植栽され、公園のシンボルとなっている。











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 公園には約30台くらいの駐車場が整備されている。休日等で野球の試合等が行われる際には、駐車場は狭すぎるが平日であれば自由に駐車できる。

 この公園には幼児が遊べる遊具・芝生広場もあり、小さな子どもを連れた人が良く遊びに来ている。

 この他に野球場・テニスコートも整備されている。野球場は左翼90㍍、中堅89㍍、右翼84㍍だそうであるが、野球に詳しくないので十分な広さなのか良く分からない。

 昭和57年9月16日に、この野球場にナイター設備が整備去れた。この設備は3時間使用で硬式7,000円、ソフト3,000円とあったが今はどうなっているのだろう。

 この公園の一角に、山を整備せず昔の阿品の山がそのまま残されている場所がある。当時は狸の巣穴もあり、自然がそのまま残されていたが、この狸たちは今でも住んでいるのであろうか。
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 この公園の前面側には遊歩道・東屋なども整備されている。前面を見下ろせば、住宅街や宮島・広島方面まで臨むことが出来、素晴らしい風景が広がっている。

 結構遠方からでも訪れる人があり、子どもを遊ばしたり、景色を見ながら弁当を広げる人も有るようである。
by hirosan_kimura | 2009-10-27 10:53 | 阿品台 | Comments(0)
e0125014_1446220.jpg 廿日市西高校の東側谷間の奥に「小鳥原小学校阿品森分校」の標柱がある。「小鳥原」と書いて「ひととばら」と読む。

 この小学校は平成19年3月に廃校となった、庄原にあった小学校である。

 明治8年に開校した歴史ある小学校であったが、過疎により児童が減少し廃校になったものである。

 廃校直前の児童数は僅か16人であったそうである。

 この小学校は、自然を体験する学習の盛んな学校であった。自然保護団体から、何回も表彰されたそうである。

 団栗を子ども達がひらい、それを蒔いて木に育てる活動もしていたが、廃校に当り育てた苗木が遠く離れた阿品の地に一部移植された。

 廃校となった小学校をいつまでも忘れないよう、この標柱が立てられたらしい。

e0125014_14495877.jpg この標柱が立てられている一帯を「阿品の森」と言う。

 阿品台の団地が出来た頃、周りは空き地だらけで、団地のすぐ側は林で囲まれていた。その頃はこの森附近を、子ども達は「秘密基地」にして良く遊びまわっていた。

 この森は市有林であるが、平成11年に「郷土の森林保全活動モデル事業」に指定されて、森の整備が開始されたものである。

 森林サポーターが一般公募され、約90人くらいの人数で、下草刈りや枝打ち・間伐などが行われた結果、素晴らしい森となっている。
 道路は整備され、下草は刈られ、標柱も整備され迷うこともない。

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 この森は住宅地のすぐ側にありながら、知っている人は限られているのではなかろうか。

 広い道路からわずかに入っただけで、大型団地に接しているとは思えないほど、深山の雰囲気が味わえる。

 周囲の阿品の山とは異なり、楠木やその他の巨木も聳え、一面が照葉樹林で覆いつくされ、人里離れた山奥に入り込んだようである。

 足元さえしっかりしていれば、誰でも散策できるよう山道も整備されているので、訪ねて行って深山の雰囲気を体験する人が増えれば良いと思う。

 整備された山道を30分も登れば、眺望の良い山頂にたどり着くことができる。

「阿品の森」樹木等
アカマツ スギ ネズミサシ ヒノキ アラカシ カクレミノ クスノキ コジイ 
ソヨゴ タブノキ ヤブツバキ リンボク アオハダ アカメガシワ アヌシデ エゴノキ クリ コシアブラ ゴンズイ キナラ タカノツメ ハリギリ 
オオバヤシャブシ ヤマガキ ヤマザクラ リョウブ アセビ イヌツゲ 
イヌビワ クロキ シャシャボ ネズミモチ ひさかき イヌザンショウ 
コバノミツバ ザイフリボク タニウツギ タラノキ ネジキ マルバハギ 
ミヤマガマズミ ヤマウルシ ヒメヤマツツジ ショウジョウバカマ フユイチゴ マンリョウヤブコウジ クズ サネカズラ サルトリイバラ ヤマフジ 
ヤマブドウ ウラジロ コシダ シシガシラ ベニシダ マダケ チヂミザサ

 身近な所で、驚くべき植生である。植物の好きな人なら、植物図鑑片手に散策するのも良いであろう。
by hirosan_kimura | 2009-10-17 06:25 | 阿品台 | Comments(0)
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 阿品台ニュウタウンは広島県が造成した団地で、この団地により廿日市の人口が大幅に急増した。しかし、入居開始後30年以上経過し、入居当初は働き盛りの人達も高齢者となり、当時は小さかった子ども達も都会へ転出し、今ではどこにも負けないくらいの高齢者の街となっている。

昭和46年10月16日
 廿日市地区住宅造成事業(開発面積約136万㎡)の地元説明が、鰆浜・阿品住民を対象に開催される。午後7時30分から旧阿品公民館。

昭和46年12月13日
 翌年2月末日までの計画で、廿日市地区住宅団地造成のための、現地境界杭打・測量が着手される。

昭和49年7月
 「阿品台」の造成工事が着手される。全体面積 137㌶。住宅戸数 3,500戸。計画人口 12,600人。

昭和53年8月10日
 県営住宅158戸の入居が開始される。同日、団地内の路線バスが運行を開始される。

昭和54年4月1日
 「廿日市町立阿品台東小学校」が開校する。「私立つくし幼稚園」が開園する。

昭和55年8月1日
 「阿品公園」75,166㎡が完成する。

昭和56年4月1日
 「廿日市町立阿品台中学校」が開校する。

昭和57年4月1日
 「廿日市町立阿品台東保育園」が開園する。
 阿品台~大野町青葉台間の山が掘削され、道路が貫通する。

昭和58年4月1日
 「広島県立廿日市西高等学校」が開校する。「阿品台公民館」が開館する。

昭和58年6月12日
 「阿品台地区コミュニティを進める会」が発足する。

昭和58年12月1日
 阿品台に消防団が新しく編成される。
 
昭和59年2月
 廿日市ニュータウンの全ての工事が完了する。

昭和60年4月1日
 「廿日市町立阿品台西保育園」が開園する。

平成2年12月1日
 「廿日市消防署西分署」が整備される。

平成3年8月27日
 「阿品台地区老人クラブ連合会」が発足する。

平成12年4月1日
 「日本赤十字広島看護大学」が開校する。

少し古い統計であるが、平成18年4月1日の人口 9,556人。世帯数 3,131世帯である。
by hirosan_kimura | 2009-02-26 04:57 | 阿品台 | Comments(1)