素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:鰆浜( 25 )

№117 囚人山

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 子どもの頃、鰆浜の泉窪周辺の山を「囚人山(しゅうじんやま)」と呼んでいた。今では雑木が生い茂り緑に包まれているが、国道を整備する際にでも山を削ったのか窪んだ崖地のような山であった。

 その山を整備するのに、広島刑務所に収容されていた人達が動員され、スコップやつるはしで毎日作業に当っていた。

 動員された人は二・三十人くらいで在ったと思うが、作業の際は刑務所の職員が監視に当っていた。子ども達は作業の間は恐ろしく遠くから見物するくらいで、現場に余り近寄らなかった。

 そんな中、別荘に住んでいたある奥さんが、休憩時間になると冷たいお茶やお菓子を、作業する人達に差し入れしていた。近くの人々は恐ろしがって近寄る者もないのに、色々親切にした奥さんのことが、美談として新聞に載ったことがある。

 作業が無い日には子ども達は現場に遊びに行き、横穴を掘ったり斜面を竹で作ったそりやスキーで遊んだ思い出がある。

 子ども達が「囚人山」と呼んだ山の作業もいつの間にか無くなり、今では「囚人山」と言っても何処か分からない人が大半である。
by hirosan_kimura | 2009-04-10 05:17 | 鰆浜 | Comments(0)

№115 蒸風呂

e0125014_14443089.jpg 明治40年代に地御前の清水さんが、鰆浜に石風呂を開業された。

 場所ははっきりしないが、鳥山の麓の泉窪附近であったらしい。昭和10年頃廃止されたと言う人もあるが詳しいことは分からない。

 江戸時代には串戸・地御前・阿品に蒸風呂があったとの記録も有る。

 密閉できる室(ムロ)の中で松葉を燃やし、その余熱の中に莚(むしろ)を敷き、藻を敷きつめて時折海水を掛け密閉し藻が十分温まり、部屋の中に水蒸気が充満した中に入るものである。

 地御前では、伏田(伏田伊三郎)の石風呂が明治二十年に開業し、昭和三十年代に廃止されている。やなぎ(山下イワ)の石風呂は明治三十五年に開業し、大正十五年に廃業。中井(中井徳次郎)の石風呂は大正七年に開業し、昭和四十五年に廃止された。

 中井の石風呂は入ったことはないが、地御前の街中につい最近まであったので良く覚えている。お年寄りばかりが入っていたが、どんな風呂だったのか入っておけばよかったと思う。

 鰆浜の石風呂は遠い昔のことではないので、詳しい場所や様子が分かればと思い、色々調べてみるが分からない。
by hirosan_kimura | 2009-04-08 05:14 | 鰆浜 | Comments(0)
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昭和30年5月1日 地御前村広報紙より

鰆浜より
部落のお花見
 四月九日(土曜日)午後、日本晴れの春霞み、瀬戸の内海を前に見て、山の中腹に今を盛りの桜花。老若男女合わせて五十名、子供ははしゃぎ、おとなはうたう。鰆浜の半日はこうして楽しく暮れて行きました。私の部落の年中行事の一こま・・・ 世話をされた方々ご苦労さん。

護岸堤防工事に勤労奉仕五日間!
 四月七日から連続四日間、続いて十七日にまた一度、両方合わせて五日間。去年の台風で受けた被害の跡を、部落あげての協力で立派に完成させました。資材は村から労力は部落から。

ハエ退治の申し合わせ
 わが部落は、社会教育の指定部落、衛生組合も作っています。四月いっぱいで各戸ごとに責任をもって便所の改良、ハエの生まれる元を徹底的に無くする申し合わせを行い、組合長さんの検査を受けました。
by hirosan_kimura | 2009-04-02 05:09 | 鰆浜 | Comments(0)

№54 鰆浜の「鰆」

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 阿品の字のひとつ「鰆浜」は、昔この浜で鰆がたくさん獲れたことに由来すると伝えられている。

 今は鰆の姿を見かけることもないが本当のことだったらしい。

 明治の初め頃までは毎年春になると、鰆が産卵のため太平洋から豊後水道に入り、瀬戸内海の島々を経由して、鰆浜の沖が回遊の場所となっていた。

 当時は海も綺麗で、海底には産卵場所となる藻場もたくさんあったが、今は見ることも出来ない。

 鰆が来ると海面の色が青黒く変わり、海が盛り上がるかと思われるほどの大群が押寄せたと云われていた。

 毎年春になると海を見下ろす鵯山の頂上には、鰆の大群が押寄せるのを見張る看視人が居り、大群を見つけると部落の人に合図を送った。

 この合図と同時に部落の人は総出で大急ぎ網を引く準備をしたり,手伝いの人々が浜辺に集まったと云われる。

 何時の時代か分からないが、鰆浜に鰆が押寄せることも無くなり「鰆浜」の「鰆」も夢物語となってしまった。
by hirosan_kimura | 2009-02-04 06:11 | 鰆浜 | Comments(0)
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 地御前村広報紙による部落紹介

 郷土史によると、当部落は承安四年三月十九日、後白河法皇が宮島に参詣された時、ここから西方の風景をご鑑賞になったので「ショウランバ」と称されたのが「鰆浜」となったということです。

 今から二十年も前は、数得るほどしか家並みの無かったこの部落も総戸数 二十三、世帯数三十八、人口 三○二と相当の発展を遂げています。

 また、東側山の手は別荘地として適し、今でも盛んに埋立てられスマートな家が次第に多くなっています。

 さて最近部落内では、お互いに明るい生活を送りましょうというので、いわゆる生活改善の第一歩を踏み出しております。以下参考までにその申し合わせや取り決めたことをお伝えして、皆様のご支援を仰ぐわけです。

 まず環境衛生面では、一, 便所掃除 毎月二回。 一, 薬品噴霧 輪番制。 一, 下水掃除 毎月一回。 一, 井戸さらえ 年一回。 一, 野壷の蓋 来春までに。

 次に社会面では、一, 葬儀 1 講中葬家の飲食取り止め。 2 酒三升以内とする。 3 お布施 本坊五百円以内 役僧二百円以内。

 一, 見舞(病気)・出産 50円。返礼は一切しない。 一, 旅行のみやげ物禁止。   一, 訳の分からない寄附や募金は部落として拒否。 一 ,年一回の親しみを増す部落のレクレーション。

 以上大まかではありますが、このようなことが各部落に次々と作られ、範囲の広い運動になるよう鰆浜から希望します。

 「野壷の蓋」「井戸さらい」など今の人はなんのことか分からないであろう。
by hirosan_kimura | 2008-12-31 05:37 | 鰆浜 | Comments(0)