素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:絵図( 10 )

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 昭和3年に広島瓦斯電軌(株)が「宮島広島名所交通図絵」を発行している。現在の広島電鉄(株)の前身会社である。この絵図は吉田初三郎が書き、縦177㎜、横770㎜有り広島市から宮島までの鳥瞰図である。

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 今まで入手していた絵図は拡大すると文字などが潰れて見にくかったが、拡大しても鮮明なものを提供してもらった。

 阿品付近は火立岩と明治天皇御上陸地(お上がり場)が誇張してある。赤線が広電であるが、この絵図のが発行された時点ではまだ宮島口まで延長されていなかったが、線路は宮島口まで描かれている。

 当時の宮島線終点は鰆浜の「新宮島」であったが、新宮島~宮島間の航路は描かれていない。昭和6年には電車宮島口まで開業し「新宮島駅」と宮島航路が廃止され、新宮島駅と宮島口の間に「阿品駅(現在の阿品東)」停留所が新設されている。

 汽車のトンネルは、地御前~鰆浜間は地御前側の入口は見えるが鰆浜側の出口は見えない。また、鰆浜~阿品間のトンネルは阿品側の出口は見えるが鰆浜側の入口は見えない。鰆浜間の鉄道軌道は省略してあるのか、山陰で見えないのかも知れない。

 右側は地御前神社と地御前の港が描かれている。この絵図は大まかに描かれていて一部を省略したり、一部を誇大化したりしてあるが、いずれにしても阿品近辺が描かれている数少ない絵図である。

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 昭和5年には同じく吉田初三郎が描いた「広島県鳥瞰図」も発行されている。
by hirosan_kimura | 2013-10-04 09:21 | 絵図 | Comments(4)
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 阿品のみの絵図はほとんど無い。厳島を中心に描かれた絵図の隅の方に一部阿品が描かれたものが大半である。

 この絵図は厳島合戦を描いた図の一部であるが、端の方に僅かに阿品が描かれている。

 図の一部を拡大したので不鮮明であるが、右端に「火立岩」その左に「アシナ」と標記されている。阿品が中心でないので大まかな描かれ方をしている。

 海岸線も阿品とは大きく異なっているが、上部の道路は地御前神社付近から山越えをし大野に抜ける道らしい。

 本の図を複写したので極めて不鮮明であるが、もう少し鮮明な図があればと思う。

 したの図は一部を拡大する前の図である。

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by hirosan_kimura | 2010-08-30 16:32 | 絵図 | Comments(3)

№368 古絵図

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 知人に古絵図の写しを提供してもらった。阿品付近は描かれていず、わずかに「火立」と記されているのが判読できる。

 この絵図は宮内村を中心に描かれたもので、それも当時の村の奥付近を中心に描かれている。

 中央やや下に黄色に横に描かれているのが「西国街道」。街道の左上あたりが地御前。一番上部に厳島が描かれている。図の左下辺りに「廿日市村」とある。
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 阿品はこの図の山の裏側辺りである。阿品の描かれた絵図はなかなか見つからない。
by hirosan_kimura | 2010-07-21 09:42 | 絵図 | Comments(0)

№363 厳島図絵

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 芸州厳島図絵は全10巻10冊からなり、天保13年(1843年)今から167年前に発行されている。

 1~5巻は「厳島名所図会」、6~10巻は「厳島宝物図絵」からなっている。厳島中心の図絵であるから、厳島に関しては細部に渡って描かれているが、厳島以外では「速谷神社」「地御前神社」「大頭神社」「大野の瀧」などが僅かに描かれているのみである。もちろん阿品に関しては何の記録もない。

 しいて言えば、対岸の廿日市あたりから大野附近を望んだ図があるのみである。この中に阿品附近も描かれているが、小さな図なので大まかに描かれ、阿品附近の詳細は分からない。背面の山から想像してこの辺りが阿品だろうと想像できるのみである。

 厳島絵図は印刷物として発行されているので、図自体は比較的鮮明なものがあるが、それでも図が複雑で汚れた部分を消すのに随分手間取った。
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 全体図を阿品附近のみ拡大してみたが、この図だけを見るとここが阿品だと想像するのは難しい。
by hirosan_kimura | 2010-05-27 10:13 | 絵図 | Comments(0)

№362 堤防決壊図

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 この図は「文久元年 堤防決壊図」とあり今から149年前の図である。図は地御前村全体が描かれているが、阿品附近のみ一部拡大したものである。

 堤防の決壊図とあるが、どの部分が決壊したのか良く分からない。

 右端海岸付近が「灰床平」、昔 宮島線の「新宮島駅」、厳島に渡る航路の発着場があったあたりである。その左側に「火立岩」が描かれている。

 中央付近の海沿いに描かれているのは「みこの松」であろうが、この松はJRトンネルの上附近にあったとの記録があるが、位置は大雑把に示召されているのであろうか。

 左端は田尻附近である。鰆浜・阿品・田尻の平地には♯の印が描かれてあり、恐らく田圃を示すのであろう。

 この図を参考にした原図は下図のように濃淡がはっきりしなかったり、一部図が欠けている部分もある。原図のままでは見難いので修正してみた。
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 図が小さいと修正しにくいので大きく拡大する。元の図以外の部分は少しづつ消していくが、真っ黒な部分は汚れて黒い部分と、原図との境が分りにくい。図が欠けている部分は原図を想像しながら線を入れていく。黒い線部分は良いが、濃淡部分の修正は難しいので原図とは異なった修正しか出来ない。

 小さな原図でも時間を掛けながら少しづつ修正するので、結構期間を要し途中で投げ出そうかと思うこともある。パソコンの操作が分る者なら、もう少し効率良く修正出来る方法があるのであろう。
by hirosan_kimura | 2010-05-22 11:09 | 絵図 | Comments(2)
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 文久元年の阿品図絵が見つかった。今から148年前に描かれたものである。

 元の絵が不鮮明な上、拡大してあるので見づらい。文字も何が書いてあるのか分からない。
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 修正してみたが技術が無いので上手く行かないが、少しは良くなったかも分からない。

 右端の一番下の小さな岩山に松が生えているのが「火立岩」である。右側は田屋である。

 その左の谷が鰆浜(今の阿品一丁目)である。中央に川が流れている。川下には干潟が見える。

 中央やや右の海岸に大きな松が描かれているが、お上がり場附近であろう。

 松の左奥に家屋らしき物が描かれているが、鮮明でない。中央当りが阿品の部落で、今の阿品二丁目である。

 海岸には、石垣らしきものが描かれている。

 阿品の中央には川が流れているが、その河口左が田尻である。  
by hirosan_kimura | 2009-10-08 05:53 | 絵図 | Comments(0)
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 この地図は明治23年頃(1890年)頃のものである。

 海岸沿いに旧国道が完成したのは明治12年である。国道の巾が広く描いてあるが、実際には道幅3間(約5.4㍍)くらいの狭いものであった。

 鰆浜地区の道路は、泉窪附近では今より山沿いに大きく湾曲している。JR線路、広電宮島線も見られない。

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 昭和20年代の地図である。地御前の丘に「光の園」が記されているので、20年も後半であろう。

 廿日市ニュータウウン・ふじタウンは当然無く自然の山のままである。

 阿品三丁目は海の中である。

 阿品に生まれ育ったものにとっては、一番なじみのある地形である。
by hirosan_kimura | 2009-05-13 05:21 | 絵図 | Comments(0)
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 この図絵の描かれた年代ははっきりしないが、文政10年(1827年)以降に描かれたもとと言われる。

鰆浜には人家が描かれていないが、阿品の谷の奥には7軒の家が見られる。田尻の浜にも1軒の家がある。

 この図では鮮明に見えないが、阿品の奥には「岩神神社」も描かれている。この神社は昭和25年の台風により崩壊し、今では丘の上に移転改築されている。

 JR阿品駅西側附近に「アミダ坊」の地名も見える。

 この図も海岸沿いの平地が異様に広く記されている。

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 この図は明治初期と考えられる、阿品近辺の概略図である。
by hirosan_kimura | 2009-05-12 05:48 | 絵図 | Comments(0)
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 この図絵は正徳4年(1714年)、今から約300年近く前の図絵である。

 極めて大まかな図絵であるが地形はかなり正確に描かれている。 しかし山裾から海までの平地が広すぎる。

 鰆浜と書いてある字の右下の窪みがJRのトンネルのある場所である。

 阿品の谷の奥の山裾に、農家らしきものが4軒記入されている。鰆浜には家が一軒も書いてない。

 昔の阿品の様子が良く分かる。

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 この図絵は芸藩通史を編成する資料として、文政2年(1819年)今から約190年前に提出されたものである。

 芸藩通史は、広島藩主浅野斎賢が、頼杏坪・加藤粽蘆の諸氏に命じて編纂したものである。

 活字本としては明治43年に第1刊、第5刊は大正7年に完結刊行されている。

 家屋は記されていないが地形はかなり正確に伺える。

 海岸の岩礁なども詳しく記されており、沖山沖の蓬莱岩・弊司岩・隠れ岩・すやだし、お上がり場の雀岩、田尻の十兵衛岩・亀岩等が記されている。

 地御前から大野に至る海岸沿いの道も記入されている。

 海岸からすぐ山が迫り、海岸沿いは殆ど平地がなかったが、図会では平地が広く描かれているのは何故だろう。
by hirosan_kimura | 2009-05-11 05:23 | 絵図 | Comments(0)
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この図絵は天文24年(1555年)、今から約450年くらい前に画かれた、厳島から本土を見渡した図絵である。

 真中辺りが阿品であるが、山が強調され阿品の平地が余り描かれていない。

 右下の小山が串戸の藤掛山、その左が地御前であるが極めて狭く表現してある。

 赤い鳥居は地御前神社ですぐ左が「ヒタテ岩(火立岩)」である。その左の入江が鰆浜と考えられる。

 地御前神社奥山を越えて赤い線があるのが、地御前より山越えをして鰆浜に入り、阿品の部落を通る大野の中山に抜ける昔の古道と考えられる。

 左端海岸の赤崎は、今の宮島口である。

 いずれにしても山などが強調して描かれ、位置関係は正確に表わされていない概略図である。

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 この絵図は何時ごろのものか分からないが、阿品には田畑らしきものが描かれている。

 右下に「中山鼻」と読めるが何処を表わしているのであろうか。
by hirosan_kimura | 2009-05-08 05:10 | 絵図 | Comments(0)