№89 お上がり場
2009年 03月 11日
明治18年(1885年)頃
お上がり場は明治天皇が上陸されるために造られた施設で、上陸が決定するや長さ四十二間・幅三間・高さ一丈と、長さ十二間・幅二間・高さ一丈の二箇所の桟橋が築造された。
明治18年(1885年)7月1日
明治天皇が厳島より帰途、広島に向かわれるため、船でお上がり場に上陸された。ここより御召馬車で広島に向かわれた。
明治23年(1890年)
暴風雨のため大損壊し、石垣の一部が崩壊しその後長く潰れ落に委競られていた。
明治28年(1953年)4月12日
傷病兵を慰問するため、広島大本営に行啓された昭憲皇太后が厳島に向かわれるため、お上がり場より乗船され、即日帰還された。
大正11年(1922年)
崩壊し長らく放置されていた施設を、地御前村により復旧する。東側の損壊が最も甚だしかったが、根石の旧態を基礎コンクリートで築き、構築当時の形状を窺えるようにした。
昭和6年(1931年)4月
「西幸記念碑」が建立される。
昭和30年(1995年)9月1日
地御前村広報紙より
今年の観光シーズンに当り、村の観光施設や海水地の整備充実に全力を挙げて着ました。お上がり場と地御前海水浴場に対して特に力コブを入れ、お上がり場の便所については立派な建物が設置されました。
この夏、お上がり場に臨海学校としてキャンプ宿泊したのは、七尾中・鈴ガ峯、約800名。
夏の海水浴シーズンには複数の露店も開店していた。砂浜の沖には飛び込み台も設けられ、貸ボートも沢山有った。山間部の町内会・子ども会・青年団等が、貸切バスで海水浴に訪れ大変な賑わいであった。
海は汚染し砂浜も無くなり、鬱蒼と繁っていた松も全部枯れてしまった。バイパス工事で公園面積も狭くなり、今では昔の賑わいは想像も出来ない。