№55 「阿品」 行政区の変遷
2009年 02月 05日
かつて阿品は「阿字名村」と独立した村であり、元和5年(1619年)の文書には「阿字名村には阿品・鰆浜・上田尻・下田尻の4つの字がある」と記されていたが、あまりにも小さいので、芸藩成立以前の不明の時期に地御前村に併合された。
文化4年(1807年)の文書では地御前村 総人口763人 男434人 女329人と記録されている。阿品には3軒とある。
芸藩時代には安藝国佐伯郡地御前村と称されている。佐伯郡は佐西郡と称されていた時代もあった。
明治5年(1872年)には県内が17の大区、150の小区に編成され、地御前村は第4大区・第5小区とされる。第5小区は、地御前村・大野村・口谷尻村・玖波村・松ケ原村・谷和村から成っていた。
明治11年7月には、郡区編成法により大区・小区が廃止され、佐伯郡地御前村となる。
昭和31年9月に、旧廿日市町・平良村・原村・宮内村と地御前村が合併し、新廿日市町となる。新町面積 42.89平方㎞ うち地御前4.69平方㎞。
昭和60年9月1日、国勢調査により廿日市町が日本一の人口となる。(人口 52,020人)
昭和63年4月1日 廿日市町が廿日市市に市制施行される。(人口 56,618人)