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by hirosan_kimura

№43 新国道 その2

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昭和7年(1932年)4月10日 芸備日日新聞
宮島観光道路竣工報告式
 きのふ廿日市小学校で挙行。余興あり非常に賑ふ。総工費四十二万一千五百円。使用延人員十二万九千二百一名で、内務省が失業救済事業として昨年から着工した。

 広島市外から宮島に至る六キロ半の宮島観光道路は、癀報(こうほう)の如く竣工され、八日午前十一時から廿日市小学校校庭で厳島神社宮司菊池武文斎主となり、荘厳な道路竣工を挙げ、千葉知事(内務部代理)その他来賓数氏の祝賀があった後、斎主以下神職を乗せた自動車を先頭に、参列員の分乗した数台の自動車が之につゞいて晴の通り初めを行ふ。

 式典を終って盛大な祝賀会を催し、午後二時万歳盛裡に散会したが、引きつゞき同二時から余興の花角力を始め青年団の駅伝競走、廿日市券芸妓の手踊り等が催されて、式場廿日市を中心に観光道路沿線は、終日お祭り気分が漂ひ、見物人で雑踏を極めてゐた。

 昔お年寄りから聞いた話であるが、道路が出来た時その広さにビックリ仰天し、何でこんな無駄な物を作ったのか不思議に思ったそうである。何かの時には飛行機が離発着するのではないかとも噂したそうである。

 どこまで本当の話か分からないが、通る車は朝チゝヤスの牛乳を広島まで運ぶ車が通り、夕方また帰って来るくらいで後はたまに馬車が通った程度だそうである。

 当初砂利道であったが、昭和11年に道路の中央部分のみコンクリート舗装された。私が子どもの頃もそのままで、道路の両脇は2㍍くらい砂利のままであった。

 今の交通量からみると信じられないが、夏休みには道路の端でラジオ体操をしていたこともあった。

 台風が来ると国道の真中で大きな風呂敷の端を二人で縦に持って、大風を風呂敷に受けその勢いで国道の真中を走り廻って遊んだこともある。

 昭和27年12月4日には一級国道2号(大阪市~門司市),昭和40年4月1日には一級・二級の区別が無くなり、一般国道2号となった。
by hirosan_kimura | 2009-01-24 05:57 | 国道 | Comments(0)