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by hirosan_kimura

№41 阿品に乗合自動車

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明治26年(1893年)10月20日 芸備日日新聞
廿日市の国道
 佐伯郡にては廿日市以西の国道は非常に破損し、車馬の通行も出来ざる程に至りたれば、近日九州より帰営する小機動演習隊の通行にも差閊(さしつか)ふればとて、同郡長より其修繕方を昨日本県知事へ上申したりと。

大正9年
 旧国道法により国道2号は延長され、東京市より鹿児島まで路線認定される。

昭和5年(1930年)1月7日 芸備日日新聞
己斐・宮島間乗合自動車開通
 広島バスが七日から宮島線運転す。初発午前七時 終発は午後六時 一時間半毎に発車。
 
 広島バスでは、先年姉妹会社である広島ガス電軌が獲得した、己斐・宮島(省線)間乗合自動車営業権を譲り受けて、いよいよ七日から同区間の一般乗客輸送することに決し、五六の両日これが試運転を行うふたが頗る良成績であった。

 なほ同線使用の自動車は十四人乗りの新型で、当分毎日午前七時初発午後六時終発とし、一時間半毎に発車することになってゐるが、同線の開通によって沿線町村民の蒙る利便は至大とされてゐる。

 なほ己斐間の各停留所は、己斐ー高須ー古江ー草津ー梅林入口ー井ノ口ー八幡橋ー五日市ー廿日市ー平良ー宮内ー地御前ーさば浜(鰆浜の誤字?)-宮島の十二区にわかち、賃銀は一区間五銭、全区六十銭であること。
 
by hirosan_kimura | 2009-01-22 06:00 | 交通 | Comments(0)