№28 火立岩(ほたていわ)
2009年 01月 09日
火立岩は鰆浜の海辺にあった小島である。元は海岸より数㍍離れていたが、道路を整備するために陸続きとなり、電車軌道に隣接していた。
岩山のような小さな島であったが、樹齢数百年と言われる松の巨木が数本あり、小島がひっくり変えるのではないかと想われるくらい枝を張っていた。
房顕覚書
吉田ヨリ廿三日地御前至て出張、国衆各聞懸ニ陸地ノ興面火立岩迄被出レケル
桂岌円覚書
元就様、隆元様、元春様、隆景様、廿日市の西下火立岩に御陣され
森脇覚書
此方御対陣ハ地之御前火立と申平山御陣被居候
陰徳太平記
厳島の向こうなる、地御前へ打出で、同所火立岩と云ふ小山を陣とせられければ
佐伯郡史
地御前火立山(俗に鵯山)の下にあり、弘治元年厳島戦争の際、毛利氏の発船として其の名高く、又毎歳厳島神社の管弦船此の岩邊にて燈を張り火を點ずるを古来の例とす、是火立岩といふ起源ならんか、
別称 仕立岩 志たて岩 帆立岩 とも標記された。
昭和43年に西広島バイパスの道路用地を確保するため、海岸を埋立てる際消滅した。鰆浜部落の象徴として長年愛され、子どもの頃良く遊んだ「火立岩」が無くなったのは、時代の流れと云え寂しい限りである。