№762 動き出す県病院跡地
2017年 07月 09日
鰆浜の広い空地については何回も取り上げてきた。昭和18年(今から74年前)に開設された教員保養所が昭和26年に県立病院に移管され「県立地御前病院」として21年間開院していた。
この病院も昭和47年に廃止された以降45年間空地のまま放置されていた。この間様々な施設の誘致が検討された。この中でも大竹の山陽自動車道用地内にあった精神病院の移転は、かなり具体的な所まで検討されていたが、地元鰆浜町内会の粘り強い反対運動によりこの計画は撤回された。この間、山陽自動車道の整備工事がストップし大野~大竹間の開通が大幅に遅れたこともあった。
この間民間による開発計画も浮上しては消えたが、隘路になったのはこの地への国道よりの進入路が普通車の離合も困難な狭い道路しかないことである。
しかしこの広大な空き地があることで地元ににとっては様々な行事を行うことができた。夏には盆踊り、正月あけには毎年とんどをすることもできた。その他様々な行事も行え、子どもたちは走り回って遊ぶこともできた。
45年間空地であった県病院跡地も、このブログ「№751 県病院跡地がやっと動き出した。」で紹介したが民間不動産会社による開発が行われることとなった。
この計画が発表されて以来いつから具体的に動き出すのかと気を揉んでいたが、先日工事開始の看板が設置された。工期が平成30年7月15日とあり平地の宅地開発にしては工期が長すぎる気がしないでもないが、進入路と国道の接続部分に関して様々な手続きを要するのかも分からない。
いずれにしても高齢者が増え活気の乏しい鰆浜部落が、一年後には大きく変わっていることが期待される。
4月に平和資料館 東館がリニューアルオープンされ、エスカレーターで3階に行くというルートになりました。最初の壁面展示 戦前の広島 の 最初の写真が若次の戦前の奨励館 相生橋 中島 のパノラマ写真です。数枚後にもう1枚 二中のプールの競泳の写真となっています。是非、足をお運び下さい。