素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№755 阿品台東小学校総合学習№4

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№13 造成前の阿品台
 ニュータウウン造成前は阿品の集落から数本谷が奥まで続き、その谷の最深部まで耕され稲作が行われていた。中央右寄りの高台の施設は「光の園」で、当時は地御前神社脇から奥に入る細い道が唯一の進入路であったが、現在は周辺の様子が大きく変わり阿品台一丁目の宅地と同じ高さになっている。

 バイパスが大きくカーブしている上方の山付近が阿品台一丁目、左端上方辺りが阿品台三・四丁目である。
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 №14 阿品に大型住宅団地計画
 昭和40年頃に入ると広島市の人口が増加し住宅地が不足となった。そこで広島県は近郊にニュータウンの造成を計画した。様々な候補地がある中で阿品の地が選ばれた。その理由は①海岸沿いに国道・山陽本線・広電宮島線が並行し、広島市への通勤の便が良い。②造成する山はなだらかで、無人の里山で谷筋に僅かな耕地があるのみで開発が比較的容易である。③広島湾に面し気候が比較的穏やかで年中過ごしやい。等の理由によるものである。

 この地に計画戸数3,500戸、人口12,600人の計画的なニュータウウンを目指したものである。
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 №15 造成中の残土処理
 山を削っての住宅造成のため膨大な残土処理が必要となった。この残土は計画中の廿日市木材港造成のための海面埋立に利用されることとなった。

 阿品の山から木材港埋立地まで運搬する道路の整備が必要であった。阿品台から現在の日赤看護大学・特別支援学校前を通って宮内に抜ける道路が山を削って新設された。これらの道路を土砂を積んだダンプカーが一日何百台も行きかった。

 阿品から宮内に抜ける道路は現在は「阿品・高通り線」としてたくさんの車が通行している。
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 №16 造成中の阿品台
 中央辺りの緑の残された部分は「阿品公園」付近。高い丘の上にあった「光の園」は周囲の山が削られ住宅団地と同じ高さになっている。左上は「阿品台北」、左下は「阿品台西」付近である。

 阿品台と当時大野町の住宅団地の間は山で隔てられているが、現在では貫通し「対厳山線」として多くの車が行きかっている。
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 №17 ニュータウウン完成
 昭和53年8月10日(今から38年前。阿品台で最初の入居者は東の県営住宅178戸であった。当初は小学校・中学校は開校していず、阿品台東小学校が開校するまでは地御前小学校へ、阿品台中学校が開校するまでは七尾中学校へ通学する不便さであった。

 その後続々転入者があり、阿品台東小学校では一時1,100人を超える状態もあったが、高齢化が進み人口は一時より大幅に減少している。

 子どもたちに17枚のパネルで説明したが、振り返ってみればパネル枚数がもう少し少ない方が良かったのではないかと反省している。
by hirosan_kimura | 2016-10-17 10:04 | Comments(0)