素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№754 阿品台東小学校総合学習№3

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 №7 今から45年くらい前のおあがり場
 この公園は明治18年8月1日に明治天皇が宮島から広島にむかわれる途中、この地に上陸されたので「おあがり場」と称される。昭和20年代から昭和40年代半ばまで、夏場は海水浴場としてにぎわっていた。松の木が生い茂り公園全体を覆いつくし陽射しをさえぎり、涼しい木陰を造っていた。

 露店が2軒・貸しボートや飛び込み台もあり、遠方よりバスで団体客がたくさん来場していた。今では道路の拡張等で狭くなり、生い茂っていた松も枯れてしまい往年の面影は見られない。
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 №8 埋立前の阿品三丁目
 広電宮島線沖はすべて海であったが昭和41年10月(50年前)から海面の埋め立て工事が着手された。埋め立てが完成後はこの近辺の風景は一変した。
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 №9 今から50年位昔の阿品(今の阿品二丁目)
 山沿いに農家が散在し谷の中央部は三軒の農家があるのみで、残り部分は全て田畑が広がっていた。この写真では分かりにくいが中央部右寄りに、阿品で最後の藁屋根の農家が残っている。中央奥の山は阿品台、左側の山はふじタウンの宅地造成により大きく変わっている。

 田畑の中に家屋が散在していたのどかな田舎風景も、今では民家が立ち並び家と家の間に田畑が残されている状況である。阿品が大きく変わる前の懐かしい風景である。
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 №10 駅前付近と三丁目埋立中
 今から50年くらい昔の風景である。JR駅前付近は荒地状態である。広場と国道の間には調整池が残されている。この調整池も国道の拡幅で埋立てられた。

 電車軌道前の海は埋立中である。右上に№3で紹介した海に突き出た小山があり、麓には僅かであるが砂浜も残されている。埋め立て完成後は田尻沖は住宅地、阿品沖は遊園地「広島ナタリー」として賑わっていたが、遊園地閉鎖後はマンション群と商業施設となっている。
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 №11 遊園地「広島ナタリー」
 遊園地は昭和49年4月23日(今から42年前)に開園した。この遊園地も他の地域に遊園地が開園して入園者が減少したり、プール等の老朽により多額の改修費も必要となり、平成8年3月末(20年前)に閉鎖された。この間22年間で912万人の来園者があった。

 遊園地には当時東洋一の高さ65㍍の観覧車・海に突き出たジェットコースター・大型プール・その他たくさんの遊具が整備されていた。また冬場には屋外駐車場を利用してスケートリンクも開設された。

 ヨーロッパの富豪が所有していた「ナタリー号」は巨大プールの中に設置されていた。この帆船は527トンでエンジン付き帆船としては世界でも有数の大きさであった。全長177フィート。全幅27フィートであった。夏場には巨大プールの外周にあった流れるプールも人気の施設であった。
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№12 ナタリー航空写真
 上空より見るとジェットコースターが海面に突き出していたことが分かる。大型プールに浮かんだ「ナタリー号」、大型プールを取り巻くように一周していた流れるプールも判別できる。

 国道を挟んであったテニスコート、やドライブインも懐かしい。JR阿品駅はまだ開業していない。広電阿品駅も無い。
by hirosan_kimura | 2016-10-16 13:20 | 幼小中 | Comments(0)