素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№753 阿品台東小学校総合学習№2

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№1 大昔の阿品の想像図。今から約200年前の絵図を元に平地部を海であったと想定して修正したもの。実際の様子は分からないが、阿品の谷の最深部の家で井戸を掘ったところこの辺りが海であったことを示す物質が掘り出されたそうである。
 
 その昔には阿品には平地がほとんどなく谷と谷との間に僅かな平地しかなかったものと推定される。推定に過ぎないものを事実のように話すのは良いことではなかろうが、阿品に昔平地がほとんど無かったと話すと子どもたちは驚いたようである。
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№2 文政2年(1819年)今から197年前の絵図に着色したものである。№1の阿品が山から少しずつ土砂が流れ出たり、海の砂が少しづつ押し寄せて長い期間を懸けて平地が出来ていった。谷と谷との間の平地はともかくとして、海岸沿いの山と海の間の平地は広過ぎ誇張して描かれているようである。
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№3 鼓ケ浜(阿品三丁目)の集会所付近の絵図である。描かれた年代は不明であるが、山際の旧国道や国鉄が敷設される前で少なくとも140年以前の風景である。白黒の絵図に近所の絵の大家に着色してもらったものである。

 現在の風景から想像してもあじなの風景とは信じられないが、広い浜辺の松林や漁師の家こそ無かったが、50年くらい前までは中央の海に突き出た小山は残っており松の木が生い茂っていた。小山の麓には僅かばかりの砂浜もあった。背後の山は団地開発され昔の面影はまったくない。
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№4 鰆浜(阿品一丁目)の100年位前の海岸風景である。中央の小島は「火立岩」と呼ばれ阿品の名称の一つであったが今は無い。火立岩から手前に向けて埋め立てられ広電宮島線・国道に変わり風景は一変している。

 左下に僅かに見えるのは「旧国道」の一部で、海面より道路までの高さが僅かしかないのに子どもたちは驚いていた。
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№5 昭和6年(今から85年前)に廃止された「広電新宮島駅」と鰆浜・厳島間連絡船乗場。広電宮島線の終点は阿品にあり、今では宮島口から出ている連絡船は阿品から出発していた。子どもたちがもう少し興味を持ってくれるかと思ったが案外無関心であった。
 話す時間が短すぎたのか、電車の終点が阿品で宮島へは阿品から乗船していたのは突飛で現実感が無かったのかもしれない。
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№6 今から60年少し前の阿品の航空写真。平地は殆ど田畑で家屋は僅かばかりである。残りの大半は山ばかりで今の阿品台・ふじタウンも見られない。自分たちの阿品の原風景はこの写真の通りであるが、今の子どもたちにはこれが阿品と云っても実感が湧かないであろう。

 ちなみに当時の阿品全体の世帯数は101世帯、人口は552人であった。今年の4月1日現在では5,783世帯、13,502人となっている。驚くことに世帯は57倍、人口は24倍となっている。一世帯当たり家族数は当時5.4人であったが今では僅か2.3人となっている。阿品地区では人口が増加しているが、阿品台地区は減少するばかりである。
by hirosan_kimura | 2016-10-13 11:40 | Comments(0)