素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№749 どうなる今後の阿品

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 昨年の秋に国勢調査が行われ、その一部の状況について速報値が発表された。この中で阿品の高齢化に関する資料が目についた。通常高齢化を表す場合65歳以上を高齢者としているが上の表は75歳以上の割合を示している。65歳以上と比較するとより厳しい高齢社会を表していることとなる。

 表では75歳以上20%越を赤、以下10%以上、5%以上と白は5%以下である。阿品は大きく分けると阿品地区・阿品台地区と分けられる。

 阿品地区では四丁目が飛びぬけており20%を超えている。四丁目は昭和53年2月に完成した住宅団地であるが、宮島を見下ろす高級住宅地として売り出された。当時は若い人たちや子どもたちばかりで活気溢れる街であったが、40年近く経過した現在では高齢化が進み子どもたちも少なくなっている。この団地は高台にあり麓の駅や買い物帰りの高齢者にとっては大変そうである。

 三丁目は800戸以上のマンションと、180戸くらいの戸建て住宅からなっているが75歳以上は10%を超えている。高台の住宅地に住む高齢者が自宅を手放して空マンションに移り住む方もあるそうである。

 一丁目と二丁目は阿品の大元であるが、古くからの住宅と新しい住宅が混在している。もう少し高齢化が進んでいると思っていたが5%以上と若い人や子どもが多いようである。この地区は平地でJR駅、広電駅もあり人気の住宅地である。近年田畑が埋め立てられ住宅の建設が進んでいる。特に一丁目の県病院跡地は近い将来の宅地開発により、若い人たちで賑わうことであろう。

 阿品台は昭和53年ころより入居の始まった県により造成された住宅団地であるが、早くから入居してる一・二・三・四丁目は驚くほど高齢化が進んでいる。

 阿品台東は390戸、西は700戸の県営住宅があるが、若い方や子どもたちがたくさん住んでおり75歳以上人口は5%未満と驚くほど少ない。

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 阿品台は高台にあり高齢者が低地に転居される方も多いらしい。不動産業者の話によると、阿品台では売り家の話があっても買い手が少ない。反対に阿品一・二丁目で土地を買い求める希望者はあるが、売地が滅多に出ないそうである。

 つい最近、JR阿品駅すぐ裏の畑が埋め立てられ宅地の造成が行われている。
Commented by 晴くんのパパ at 2016-07-07 18:35 x
いよいよ残り少なくなりましたね
最後は21世紀に残したい阿品の風景は如何ですか ?
Commented by hirosan_kimura at 2016-07-08 10:07
やっとここまで来ました。「残したい阿品の風景」良い案ですがどこを選ぶか考えどころです。ヒントがあれば教えてください。それにしても撮り溜めた写真のデータが全部消滅したのは痛いです。
Commented by yy at 2016-07-19 18:16 x
画像が消滅とはどうしたのですか!?

ところでお聞きしたいことが2つあります

①阿品モールのスーパーピュアークックのところのナフコがオープンする以前には軽食コーナーがあった気がするのだが、実際はどうだったのか?

②さくらバスの阿品台1丁目停留所の位置に、昔は広電バスの阿品台東のバス停があったみたいだが、広電のバスが通らなくなったのはいつか?

どうかお願いします
Commented by hirosan_kimura at 2016-07-20 10:54
今では阿品台はどこにも劣らないくらい高齢化が進み、活気のない街になりました。以前は専門店街・スーパーの中にもたくさん商店がありましたが今では随分寂しくなりました。様々な商店が入れ替わり詳しいことは分かりません。公民館にでも行って聞かれたらどうでしょう。バス停の件ですが中学校と一丁目の間のことでしょうか。今では広島バスセンター行は一日5便程度で土・日・祝日は0便となっているようです。阿品台が活気溢れる頃にはバスセンター行が一日60便以上あり、たくさんの人が通勤・通学に利用していました。もちろん土・日・祝日もたくさんの便がありました。随分と様変わりしましたが何時頃が最盛期で何時頃から便数が減ったのか良く分かりません。
Commented by yy at 2016-07-20 13:53 x
そのバス停は、地図上ではつくし幼稚園の真東にあります。
Commented by hitoshi at 2016-07-20 20:38 x
廿日市N.T.が造成中、土曜日の夜、ハムの交信のため、暗いなかを登っていったことがありました。その造成工事が完成して、大きな新しいまちになって、全国的にも住みやすいまちとの評価をうけたこともありましたが、夢のようです。幼い頃は、松茸を採ったりできた自然豊かな山でした。阿品台北あたりに、三ツ池の上の方、に家の山(県から借りていた?)があったので、よく、行ってました。昭和40年以降が、阿品の歴史のなかでも。最も大きな変化があった時代でしょうね。
Commented by hirosan_kimura at 2016-07-21 10:52
バス停は勘違いしていました。広電バスが何時から通らなくなったのかは分かりませんが、さくらバスは止まっているようですね。阿品区域は昔の面影が無いくらい変わりました。開発し尽くされたので今以上に大きく変わることはないでしょう。後はて田畑が潰されて住宅が建つくらいではないでしょうか。一丁目の県病院跡地がどのようになるか楽しみです。
by hirosan_kimura | 2016-07-07 12:11 | 社会 | Comments(7)