素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№730 餅搗き

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13日の日曜日には鰆浜の集会所では餅つきが行われていた。前年までは子供会中心に行われていたらしいが、子どもの居ない家庭は参加しにくいということ、今年は町内会の行事として行ったそうである。餅つきの周りに子どもたちが少ないとおもったら、集会所の中で搗いた餅を丸めたり食べたりしているようである。

 今では家庭で餅を搗くことわ滅多になく、店で買ったり中には正月でも餅の無い家も珍しくないらしい。昔は正月前になると各家庭でたくさんの餅を搗くのが当たり前であったが、廃れゆく風習を子どもたちに伝える目的で餅つきの行事が行われたのであろう。

 現在行事などで行われる餅つきは臼と杵を使って行われるのが大半であるが、一昔の阿品では足踏み式の餅つきが通常であった。この餅つきは台唐(だいがら)と呼ばれ阿品の農家ではほとんどの家に有っただろう。

 我が家では母の実家が阿品(今の阿品二丁目)にあったので、年末の餅つきは実家に行って行っていた。餅つきは12月の27日か28日に行うのが通常であった。29日は9が苦につながり31日は一夜餅といって縁起が悪く避けていたそうである。

 当時の餅つきは驚くほどたくさん搗くのが当たり前で、家によっては15臼も20臼も搗いていたそうである。1臼は2升かそれ以上あるので沢山の米が必要であった。このもち米を水に漬けたり餡を作ったり前日から女の人は大忙しであった。

 当日は蒸籠でもち米を熟むし、熟むし次第臼に移し台唐を踏むのが男性でこねるのは女性が担当することが多かった。子どもたちは餅つきが始まるとわくわくし、臼を搗くのやそれをこねるのを飽きもせず眺めていた。

 搗きあがると大急ぎでひらたい板に移し餅の大きさに切り分けられる。子どもたちは争うように丸めたり平たく餅の形に整えるのがとても楽しかった。また餡を中に包むのも面白がって行っていた。形の整った餅は「もろぶた」に並べ箱がいっぱいになると積み重ねられるが、搗く餅の量が多いのでたくさんのもろぶたとなる。

 「もろぶた」と言っても今の人には分からないかも知れないが、搗いた餅を並べておく木の箱である。喜んで餅を丸めていた子どもたちはその内飽きてしまい、炭火で焼いた餅を砂糖醤油を付けたり餡餅を食べるのが楽しみであった。

 餡の入った餅は「あんいり」「あんころ」「あんびん」などと呼称していたが、これらの言葉もだんだん使われなくなった。またもち米と粳米を混ぜて搗いた餅を「あらかね」と呼んでいたが、この餅を食べる機会もほとんどなくなった。

 今のように楽しみも沢山の玩具も無い時代の子どもたちにとっては、餅つきも楽しみのひとつでありやがて迎える正月を目の前にして、胸がわくわくするようなひとときであった。
Commented by hitoshi at 2015-12-17 21:28 x
30年も前、石見銀山に有人と撮影ドライブに行ったとき、銀山の鉱石の展示の説明に ”あらかね” と言う言葉があり、 お餅 の あらかね とは、このことかと思いました。 あんびん も けっこう 一般的 な言葉のようで 方言探しも面白いですね。 もちつき については、書かれていることに、いちいち そうでしたそうでした と納得しています。
Commented by hirosan_kimura at 2015-12-18 06:41
 一昔前までは極当たり前に使っていた言葉も、今では通じなくなってしまいました。書いていてもこの言葉が正しかったのか間違っているのではと思うことも有ります。
by hirosan_kimura | 2015-12-17 06:40 | Comments(2)