素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№729 地御前神社修繕の神賞

e0125014_9294546.jpg

 厳島神社の御旅所なる佐伯郡地御前村の地御前神社は近年痛く破損して修繕もなさず拝殿の如きは建腐の有様、実に見る影もなきことなるを苦に何でも一□修繕せんものと思い立ちしは厳島町の宮田文助なる人にて同人は此の修繕の事を地御前村の人々に謀りしに同村は仏教信者多くして心を神事に委する者なきを以て同村人は、宮田の心配を蛙面水に受け流し一も助力せんとせざりしとか然に宮田の熱心なる遂に自己の力にて同社を修繕することとなり(建腐の拝殿は取り除く)今や旧観に復したりと依て阿品と厳島との間を通航する船は自今宮田をば無賃にて渡すことゝなしたりと神賞として宮田は之を勧受するならん。
明治二十四年七月二日付 芸備日々新聞

 明治20年頃、地御前神社は見る影もないくらい荒れ果てていた。これを見かねた厳島町の宮田文助は、地御前の人々に神社の修繕を投げかけた。

 しかし仏教徒の多い地御前では、荒れ果てた神社のことを気にかける事も無く、、宮田の投げかけを取り合わなかった。それでも神社の修繕に熱心な宮田は自分の力で、元の神社のように復旧させた。

 この功績により、宮田にたいして阿品と厳島間の渡船運賃を無料にすることとした。宮田は神様からの授かりとこれを受けた。

 新聞記事にあるので間違ってはいないだろうが、地御前の人々は地御前神社に特別の思い込みがあると思われ、仏教徒が多いので神様には無関心であるとは考えられない。

 宮田の申し出に対して「蛙の面に小便」と受け流して、全く協力しなかったとあるが果たして真相はどうであったのであろう。

 阿品と厳島間の渡船は、今の「お上がり場」付近から厳島への渡船である。当時この航路には11隻の渡海船があり、運賃は一人6銭とある。

 この航路は後に宮島口に鉄道の駅が開業し、交通の便の悪い阿品からの乗船客は減少し間もなく廃航路となった。

 大正14年7月にはこの航路東側に新宮島~厳島間の新航路が営業開始している。
by hirosan_kimura | 2015-12-05 10:21 | Comments(0)