№703 海と島と港の見える丘
2015年 03月 29日
この対策の一つとして、主として広島市の業務地域への通勤人口対策を対象とした、健全な居住環境と都市機能を備えた旧宅市街地を開発し、良好な住宅地の大規模な供給をはかることとされた。
造成する山はなだらかで、昭和40年代まではほぼ無人の里山で、谷筋に僅かな耕地があるのみで開発が比較的容易である。
広島湾に面し気候も比較的穏やかで、年中過ごし易い等の理由で阿品の地が選ばれた。
この木材港造成の為埋立土は、廿日市ニュータウン造成の残土が搬出されることとなった。このため土砂運搬用道路が新設された。この道路は「阿品・高通り線」の名称で、住宅団地造成現場から山を削り宮内の「畑口・寺田線」まで結ばれた。
昭和46年に住宅団地の造成工事が始まったが、この間一日何百台ものダンプカーが新しい港の新築現場まで行き交った。
昭和52年には住宅の分譲が開始された。計画戸数3,500戸、計画人口12,600人で一時は若い人や子どもで溢れかえっていた「阿品台」も高齢化と少子化で、かつての活気がやや失われたようである。